六 ライムの刺激
最初こそ固い様子だったジンは旅の開放感とアルコールの作用が化学反応を起こし心地よい感覚に身を任せるようになっていった。
なにより遠方の地において、アカネと「同い年」という共通点を見出した
自分は大学生で国語科の教員を志している。しかしなれるかわからない。現実逃避のため、東北に足を運んだ。
くどいようで相手の時間を奪って申し訳ない、といつもなら話の速力を落とすような自分に関する話題も、アカネはケタケタと顔を
方言に興味があるというジンの話題提起から二人は宮城県でよく使われる方言について話しを膨らませる。
んー、と頭をかしげ、アカネは考える素振りをし、アっと閃くような動作をした。
「では、クイズです!『なじょする?』の『なじょ』とはなんでしょう」
「一問目にしては難易度が高すぎないか?」
「難しく考えるのはなしです!さあさあ」
「疑問を投げているから『どうする』とか……」
「ピンポン!よくできました」
「これならまだまだ簡単だな。次は?」
「次は難しいよ。『いずい』はなんでしょう!」
「ははあん。ここに居づらいを略した『気まずい』だな」
「残念。正解は『かゆい』でした」
「いきなり難易度があがってないか?もう少し優しい問題が欲しいな」
「じゃあさ、クイズを考えるからさ、クールダウンも兼ねてお酒を飲みましょう」
そういうとアカネは空になったグラスを下げて、辺りに散った水滴を手際よく拭いていく。
「ジン君は学校の先生を目指しているんだよね」
「本当になれるのかわからないけどね。採用試験はだめだった訳だし」
「生徒のために遠くまで行ってネタを作る先生って私は聞いたことないよ。きっといい先生になれるんだろうな。私もジン君みたいな先生が担任だったら良かったよ」
そんな人を落とすだなんて試験官の人たちは見る目がないなあ、と純粋そうにつぶやく。
ジンは、ほんの少しだけ声を出して笑った。しかし脳裏には晴のあの時のピースサインがフラッシュバックした。ズキン、と胸に痛みが走る。両目の間に力が入る。どこにいても「あの時」の残像は事ある毎に姿を見せた。
「……ではお望み通り、第三問です。『しゃっこい』とは!」
「んー、どうしてもわからん。ヒントをくれないか」
「よろしい。では目をお瞑りください」
ジンは言われたままに目を閉じた。すると額にヒヤリとした物体が接触し、反射的に上半身がのけ反った。
「冷たっ。いまのは何?!」
「大正解!今のはキンキンに冷えたグラスだよ」
アカネはいたずらをした幼子のようにニヤリとした。つられてジンも笑いだす。
「アハハ。ごめんなさいね。けど君が怖い表情していたから、アイシングしてみました」
見事なヒントをありがとう、とジンは多少の皮肉を込めた。
「ジン君はさ、怖い表情よりも笑った顔の方がステキだよ」
大学でのピリついた環境でない分、研磨をかけるが如く地金が徐々に露わになっていくのがジンは自分でも理解できた。
「ごめんなさいね。びっくりさせちゃった」
アカネはそう言うとカウンターにジンライムをコトンと音を立てて置いた。入店してからアカネはジンライムを『ぴりっとした刺激が身体にいいから』と、とにかく勧めてくるのだった。お酒の種類に疎いジンはそれを気に入った。
「今気がついたよ。このお酒と僕と同じ名前なんだね」
「そうですね。だから私はこちらをサービスします」
「嬉しいよ。さすがはバーテンダー。そんなところにまで気遣いがまわるなんて」
バーの店員だからじゃないかもね、とアカネは伏し目がちに、はにかみを見せる。ジンは落ち着かない様子で目の前のグラスを勢いよく傾けた――。
突如グラスの割れる音がジンの耳に届いた。ぶっ叩かれたようにジンの座っているカウンターチェアがバランスを崩し、地面に倒れそうになる。ジンは踏ん張りなんとか持ちこたえた。
「おめの調子に乗った態度が気に入らねえ。なめんじゃねえぞ」
先客の二人が喧嘩を始めた……というより、一人が一方的に威圧しているようだった。暴走し始めた男はよろよろと危なげな足どりで「おめ」と呼ばれた男に向かっていく。髪の毛を掴みあげ、怒声を浴びせて頭を振り回す。
震えていたアカネは小さく見えた。ジンは「仲裁せねば」と衝動が間欠泉のごとくいきり立った。
「どうしたんですか!店内で何考えているんだ」
正気を失った男はジンの存在に気が付く。男は髪の毛を掴んでいた手を離し、ものも言わずジンに向かって拳を振り上げた。ジンの左下腹部に固い拳がめり込み、一瞬呼吸の仕方を忘れる。均衡が崩れた体を何とか支えた。
続けざまに殴りかかる男の一撃を、体を折り曲げひょいとかわすとジンは相手を馬のごとく蹴り上げた。男はがくんと膝を折った。立ち上がろうとした所をもう一人の連れの男がなだめ止めに入った。連れの男は申し訳なさそうに何度も頭をさげ、二人は店外へと出た。
「ジン君!大丈夫?ごめんなさい。痛いよね。」
「いや、ごめん。お店の中なのに」
「いいえこっちは大丈夫。本当は私が止めなきゃいけないのに。それよりも止めてくれてありがとう……」
「東京だとできない経験ができたよ。片付けを手伝ったら今日はホテルに戻ってゆっくりとするよ――」
ジンはシャワーも浴びずにホテルのベッドに横になっていた。いくら喧嘩を止めに入ったとはいえ、自分の行いは正義であったのか。蹴り飛ばしてしまった男に対しても、アカネに対しても非常に申し訳ない事をしたと、自己嫌悪の波が時間差で追いついてきたのだった。
数日後には東京に戻り、いつもの日常がやってくる。明日はどこにいこうか。それは明日の自分が決めればいい。まどろみの中、せめて携帯電話の充電だけはしようと、むくりと立ち上がり、ハンガーにかけた上着からポケットをまさぐる。携帯電話を取り出すと同時に、見覚えのある物が地面にポンと落ちていった。
「……あ゙」
地面に落ちたカードケースに
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