五 Yellow Point
エレベータを出るとジンは後悔の念に駆られた。目の前には『Yellow Point』の看板と重厚な雰囲気の扉。普段だったら絶対に来ないような場所でジンは勇気を出してドアノブに手をかけては離す。そんな動作を繰り返し、頭を抱えた。すると背後のエレベータが動き出し、開いた。
「おやおや?うちのお店に何かご用がありそうで」
女性はジンのことをのぞき込んだ。猫っ毛の細くセミショートの前髪は濡れて束になっていた。雨に濡れた前髪を整えることもなく、微笑みながら見つめ上げる女性の顔は変に美しかった。
「実は道でこれを拾って、近くを通りかかったから届けにいこうかと……」
女性は「あっ」と感嘆詞をもらす。
「私のだ!それ探しに行っていたんですよ!まさか届けにきてくれる人がいたとは。日本も捨てたもんじゃないですな」
裏表のなさそうな無邪気な風貌がジンの動作を瞬間的に止めた。
「なら良かったです。……じゃあ自分はここで」
「お待ちください。お礼に一杯お酒でも!サービスしますから」
女性は口笛を吹きながら、何の迷いもなく扉を開けた。
薄暗い店内には洋楽が響く。店内には二人の男性客がおり、カウンター越しの女性と会話をしている。BGMのせいなのか、会話の声が大きく、厳めしさを覚える。
ジンは案内され先客の二つ空いた席に着いた。
(もしもここのお会計がとんでもないものだったらどうしよう)
「随分と寒がりなお客様だねい」
「東北の気候は慣れなくて……」
からからと笑う女性に対して硬い微笑を浮かべるジン。武田仁です、と自己紹介を交わす。
アカネですと、女性は唇を尖らせジンの真似をした。不思議と嫌な感じはしなかった。
「じゃあジン君って呼ぶね。急な雨の中、大変でしたね。改めてありがとうございます。はいどうぞ!」
感謝の言葉を贈るとアカネは目を細めながらジンに温かいおしぼりを手渡した。受け取ったおしぼりは指先を柔らかくほぐした。そして着替えるためアカネは一度裏に引っ込んだ。一人になったジンの意識はBGMへと向けられた。
店内のBGMはアップテンポなパーティーソングから繊細なピアノの音色へと切り替わった。一定のリズムでバスドラムが立体的に低音を響かせ、ピアノの旋律と調和していく。低音の間隔は徐々に徐々に小刻みに、名も知らない曲は進行していく。
着替えたアカネがジンの前に戻ってきた。曲の調子が変わり、再びアップテンポなビートがジンを包み込む。二人の目が合う。クスッとアカネは笑みを返す。
ジンの耳はどんな曲が流れているのか、認識することを放棄した。固く結んだはずの靴紐がはらりと緩んだ。
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