リピートシンキング

天鵞絨

堕落した精神

「だから、俺は色々考えてるんだよ」


 言うまでもなく、人は考える生き物である。思考というものは良かれ悪かれ人の行動を決めるための前提になる。しかしある人間はあるかもわからないことをあれこれ考えて、何をするにも言い訳を作って行動に移さなかった。


***


「あんた、いつまで寝てるつもり?就労支援行かないの?」


 朝の十時半、母親の富永寛子とみながひろこはしびれを切らして、今年二十一になる息子のかけるを起こしに部屋に押しかけた。

 思ってもいなかった息子の生き方に危機感を覚え、胃が痛んでいたのは想像にかたくない。翔は布団を頭まで被りながら目覚めきっていない声で答える。


「今日は在宅にするよ……電話するから」


 就労移行支援事業所に通っている翔は週に五日はそこに通うように予定を立てていた。

 しかし、その予定はほとんど形だけというもので、ほとんどの日は家でノートパソコンを開いて"勉強"と称してゲームをしていた。


「勉強とか言って、いつもゲームしかしないじゃない。就労支援って公的なお金で成り立ってるんでしょ?もったいないわ」


 寛子は彼女の正義感を掲げて翔に不平を口にした。翔はバイトすらしたことのない人間ゆえ、福祉サービスの利用料はほとんど無料だった。つまり、彼の利用料は税金によって賄われていた。


「分かってるよ…でも、母さんは今の俺がしっかり自立して働けると思ってるの?」


 他人と話すことを頑なに拒否するくせに、家族に対しては口が立つ。翔は布団の中の暗闇を見つめながら母に対してもっともそうなことを述べた。


「……。あなたがやろうと思えばいくらでもできるわよ」


 母である寛子は、息子のことをどうしても可愛いと感じてしまう。本来二十一であれば大学に行き、学びながら就活に勤しんでいる頃であろう。

 寛子は「この子も人並みに」という幻想を抱いていたがために、今の状況を受け入れ難いと思っていた。


「電話したら"勉強"するから、部屋入ってこないでね」


寛子は息子の最後の言葉に呆れたのか深くため息をつき、ドアを雑に閉めリビングの方へと降りていった。


 そもそも、翔がこのように堕落した生活を送っている理由は学生時代にある。人とコミュニケーションすることを過度に避け、友達もおらず、勉強も運動も人並み以下であったため青年期の翔自身が一人絶望していたのは母すら知らないことだ。


「はい……はい。今日も体調が悪くて、はい。在宅でお願いします」


いかにも病気で苦しんでいそうな声で電話を終えれば、家族用のパソコン(ほとんど翔が独占)を起動しブラウザを開いた。


***


「どこから間違ったのかしら」


 寛子はリビングに戻りソファに腰かけ、天井を眺めながら呟いた。夫であるかおるにも相談しているが、彼から返ってくる言葉は「もうどうしようもない」の一言であった。

 息子を愛しているゆえの激励もほとんど無意味であったようで、この先の絶望を感じているのは彼女も同様だ。

 三十歳の時に、やっと生まれた可愛い息子であるはずなのに、どうしても恨みや憎しみが働いてしまう。そんなこともあって寛子は自己嫌悪に陥っていた。


「最近中国では寝そべり族というものが社会現象となっているようです」


 テレビに映っていたニュースでは、若いアナウンサーとおあつらえ向きな風貌の専門家達が机を囲んでいた。寝そべり族、というネーミングにひと握りの可愛らしさを感じた寛子だが、その実態は凄惨なものであった。


「寝そべり族ってことは仕事もしないのかしら?」


 映っているのは翔と同年代ぐらいの男性が街で寝そべっている風景だ。ニートと何が違うんだろうと思っていた矢先、その寝そべり族の男性のインタビューへと移った。


「僕は競争社会で生きることを諦めただけで、働かない意思決定をした訳ではありません」


 男性は収入こそ少ないものの、自分で生きる道を確立しているようだ。趣味もあるらしく、彼の部屋にはアニメのポスターが貼られていた。


「うちの子もこうやって少しでも生きる道を見い出せていたら…。」


 寛子は頭を抱えながらテレビを切り、溢れ出るため息をそのままに呟いた。寛子と馨はただ一人息子である翔が楽しく幸せに生きてくれればそれでいいのだ。

 しかし、今の状態は幸せに生きていると判断するには苦しく、金銭面の状態も思わしくないために、どうにか息子には働いて欲しいと思っていた。


「もし、翔ちゃんが働いて生き方を見つけてくれたら万々歳なんだけど……」


 こもった声で寛子は独り言を続けた。母親としての苦悩、家族としての苦悩があるがゆえの独り言であった。


***


「クソッ…お前らちゃんと動けよな!」


 今はブームが落ち着いた銃撃戦のシミュレーションゲームをしていた翔は口が悪い。というのも、コンピュータによって割り当てられたチームのメンバーが翔の思うように動いてくれなかったからだ。

 目の前にはLOSEの文字が書いてあり、ちょうど結果画面に移ったところだった。


「クソエイム。お前らがちゃんとしてたらランクアップ出来たのに」


 罵詈雑言を述べることに関しては人並み以上の翔は吐き捨てるように言ってからパソコンを閉じた。感情が昂っているためか息が上がって、心臓の鼓動もうるさくなっていた。


 精神的に気分が悪いので、このまま眠りにつこうとベッドに腰掛けようとしたその時、滅多に通知が来ないスマホが震えた。


「なあ、富永。俺のこと覚えてる?」


 その文言だけのSMS。名前欄には電話番号が書かれていた。いつもの翔ならば、詐欺かなにかだろうと思って無視しているはずのメッセージだが、何故かそのメッセージには返事をしてしまった。


「誰ですか?名前は?」


「俺の名前は山下幸樹やましたこうき。高校の時の同級生。」


 山下幸樹、そんな人間もいたような気がする。とはいえ、一切友達ではないしなぜ今になって連絡してきたのだろうと訝しげである。


「なんで連絡してきたんです?」


「ああ、まず本題だな。同窓会に来ないか?」


 一番翔が危惧していた言葉がディスプレイに映った。同窓会。友達も一切いないのになぜ翔を呼ぶのか……それを翔は勘ぐり続けたが、たどり着いた答えは"晒し者"にすることだろうと思えば怒りが湧いてきた。


「俺が無職だからそれを他の奴らに晒そうとしてるのか?」


 その言葉を打ち込んでいる最中の翔の顔は怒りに満ちていただろう。一切タイピングミスをすることなく打ち込み終えれば、一度深呼吸をして返事を待った。しかし、返事はこれ以降来なかった。


「底辺の俺を呼んで何が楽しいんだクソが…」


 布団を被りスマホの電源を切って目を閉じた。そもそも、自分が底辺であるということは自覚していて、加えて自分の能力が人並み以下であることもわかっている。そうであるはずなのに自分はなんの努力もしてこなかったから、当然のツケが今回ってきている訳だ。


「クソ……」


 自分の能力が劣っているという自覚があるゆえに、悪態をつこうにも簡単な言葉しか出てこない。翔のはらわたは煮えくり返って、どうしようもない感覚に陥っていたが、布団の中にいることが気持ちよくて出られなかった。


***


「翔くんの事なんですけど…一度知能検査と心理検査を受けた方が良いかもしれません」


 生徒のいない静かな教室に呼び出された翔と寛子は中学校の担任から突然そのように伝えられた。

 寛子は「私の子に限ってそんなこと」と言おうとしたが、どこかで"そうなること"を予測していたため言葉が出なかった。


「あと、成績の話なのですが……このまま成績が思わしくないと……」


 中学校時代の担任は三年間連続この教師であった。噂によると高レベルの国立大学を卒業しており、家庭にも恵まれ人生は順風満帆らしい。それを聞いていた翔は教師に対して「お前に俺の何がわかる」と心の中で思っていたことは言うまでもない。

 担任はひたすら翔にとって不都合な現実ばかりを提示していた。その顔は悲しみの感情よりは、見下しの感情の方が強かったように思われた。


「翔ちゃん……病院、行こっか」


 帰り道、フラフラと歩きながら遠くを見つめていた母は翔に勧めた。翔は俯きながら、一体自分はどうなるんだろうという恐怖に苛まれながら頷く。

 彼女の様子を見ようにも申し訳なくて、ただでさえ自尊感情のない翔にとっては苦しい所の話ではなかっただろう。


「ごめんね、お母さん」


 震える声でたどたどしく母に伝える。母は黙っていた。それがなんとも苦しいと感じられたのは、翔自身どこかで「謝らなくていいわよ」と優しく声をかけてほしかったからなのだろう。


「あなたを真っ当に育てられなかったのは私たち親の責任なのかしらね…」


 母のその声に怒りや悲しみが含まれているように感じた翔は黙っていた。その声色には「私たちは間違ってなかった」というような感覚があるように思われたからだ。


「俺、いくら頑張ってもちゃんと出来ないみたいで、ごめんね」


***


「嫌な夢だ」


 いつの間にか寝てしまっていたらしい。ぼさぼさの頭をかきながら、スマホの電源をオンにし、時計を確認する。時刻は午後二時で、そろそろ終了報告をしなければならなかった。


 急いで電話をかけて、偽りの活動報告を担当の支援員にし、投げ捨てるように通話を切った。本来ならば楽しく働いているか勉強しているはずであるのに、描いている理想と現実のギャップが違いすぎるため余計にストレスがかかった。


 そういえば、母は今何をしているのだろう。普段なら正午ぐらいに昼食を置きに来るはずだ。見たところ置いていないので、いやな予感がしつつリビングへと向かった。

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