第8話

 風呂の時間が終わりそうになって、三人で慌てて部屋を出た。いったんロビーを経由して風呂に向かう時、前から亘理たち三人が歩いてきた。

 風呂上がりの、ちょっと赤くなった頬と、まだ湿っている黒い髪で、彼女の体温か伝ってくるようだった。Tシャツの首にかけているタオルでわずかに汗ばむ顔を拭いていていて、いかにも力が抜けたような様子だったけれど、切れ長な目だけは意志を持って僕を見つめていた。

 その印象が強く僕の胸をついて、思わず彼女から目をそらす。この衝動のようなものの正体がつかめず、鼓動だけが早くなった。

 気づくと僕らはすれ違っていて、挨拶を交わす声だけが聞こえてくる。一瞬遅れて振り返ると、顔半分だけこちらを向けている亘理と、その背中が見えた。片目だけで僕を追う目は、細められて、唇は微笑んでいるらしく頬が上がっていた。

 僕は、今の感覚に驚いていた。亘理を形成する、黒と白。真っ黒な髪の毛と、瞳と、真っ白な肌。それが、網膜に強烈に焼き付けられて、何だか普段見ている彼女とは違う人間を見たような気がした。何か得体の知れない感情。感情だろうか? 頭の、脳の奥がチリチリするような、そんな感じだった。やがて、僕は自分の頬が、わずかに上気していることに気づいて、顔を伏せた。


 浴槽で天井を見上げていると、伊藤が顔をのぞき込んできた。

「ん?」

「小沢、なんか変だな」

「そう?」

 なんとも言えない気分だった。呆けるように亘理の顔を思い浮かべてみたり、焦るような気持ちが迫ってきたり、胸の中が忙しい。

「伊藤さ、なんで女子嫌いなの?」

 僕は、ふとそんなことを聞いていた。

「…苦手なだけで、嫌いじゃない。機嫌がとれないから近寄らないようにしてる」

「誰かの機嫌を損ねた?」

 そう聞くと、彼は何とも言えない顔をした。

「思ったのと違うとか、とにかく女は思い込みが激しいんだよ。付き合ってられない」

 なんとなく、今の返事で過去に何があったのか、わかった気がした。そういう面で、彼ははるかに僕の先を行っていたようだ。

「さっきから顔が浮かぶんだ。何か用があるわけでもないのに…。これ、わかる?」

 伊藤はとたんに嫌な顔をして、聞いてみればわかるんじゃないの?とにべもない。

「誰に聞くんだ?」

「それは、本人にだろ?」

「そうなの?」

「そうだろ」

 言うと彼は浴槽から上がって、更衣室に向かった。


 佐々木が入れ替わりに湯に入ってきたが、僕はあいかわらず考えごとをしていたらしい。声をかけられるまで気づかなかった。

「答え合わせにいかないとな」

 なんの? と僕は顔をあげる。

「本人に、聞けばいいと思うよ」

 伊藤との会話は、彼の耳にもはいっていたらしい。

「そっか」

 僕はしてもしなくてもいいような返事をして、また考え込んだ。そのうち、おい、という声が遠くから聞こえて…意識が途絶えた。

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