第5話
「結局、公式を覚えてないんだね」
亘理が答案を見てまじめな顔をして言う。
「公式の意味がわからなくて覚えにくいんだよ」
「そこからか…いやでも公式丸暗記でもいいんだよ?」
「意味がわからないものを丸暗記って言われてもなあ…」
「意味がわかる方がいいけどさあ…いやあ、そんなもんなのかな?」
意外と手ごわいかも知れない、と彼女はつぶやいて、ふむっ、と考え込んでいる。やがてこちらを向いてため息をついた。
「じゃあ、理屈から説明するから、覚えてよ?」
僕は、うんと頷く。
亘理は教科書の最初の方をめくると、ノートに例題を書き写して、説明しながら解いてみせる。一問終わったところで、次は小沢が自分でやってみてと言われたので、僕は自分なりに答えをさぐろうとする。
のぞきこむ彼女の頭が近くて、髪もきれいなんだな、なんて勉強中なのをふと忘れそうになったところで、わかった?と問われ、僕はもう一回、とわからなかったふりをしてごまかして、亘理は仕方ないなあという顔をする。
そんなことを一時間ほどしていたろうか。
「ん、休憩」
亘理が伸びをして、んふっと息を漏らす。
「疲れた…」
僕は早々と弱音を吐く。
「なかなか教えがいがあるよ。まだまだ時間はかかるけれど」
「よく人に勉強教えようなんて思うね。大変じゃないの?」
僕が率直に聞くと、亘理は少し困ったような顔をした。
「人による、かな」
「なにそれ」
「小沢だったら、応援しようって気になるって話」
ますますわからなかった。僕のどこをそんなに応援したくなるのか、絵というだけではなかなか納得しにくい。有名人になったら知り合いだと自慢したいとか?いやそんな、可能性が低すぎる。そもそもそんなアホらしい理由であるわけがない。
考え込んでいると、亘理の視線が僕に刺さった。
「小沢って、なんか男の子同士でも女の子とでも変わらないよね」
「ん、よくわかんないけど変わらないのかな」
「普通は男女で壁があったりすると思うんだけど」
「佐々木は女子に優しいけどね。伊藤は苦手みたいだ。僕は、よくわからない」
「意識したりしないの?」
「しないことはないけど、そんなにするもの?」
彼女がちょっと固まった。目が少し泳いで、あー、とか、うー、とか言っている。照れているようにも見えないではない。けれどここで照れるなにかがあるとは思えなかったし、言ってみれば少々不審だった。
「結局、小沢はまだお子様なんだね…」
「子供でしょ、中二なんて」
「そういう意味でもないんだけれど…」
亘理は少し困った顔をしている。と、その表情が急に変わって、明るくなった。
「そう言えばさ、来月、研修旅行じゃない? 一緒の班になろうよ。佐々木たちも入れて」
唐突だなと、僕は思ったが、まあどうせ組むなら話したこともない女子たちよりもいいだろうと考えた。
研修旅行は、バスで二時間ほどの青少年の家という施設で一泊するというもので、だいたい自然と触れ合うとか、野外で料理をするとか、まあそんな感じで親睦を深めようというものだ、と思う。男女三人ずつの班を組むことが決まっているので、僕と佐々木と伊藤、亘理とその友達ということになるのだろうか。彼女の交友関係を考えると、あまりルールから逸脱するような人間が入ってくる心配はないだろうと思う。
「話してみるよ。たぶん、大丈夫」
亘理はそれを聞いて、良かったという顔をして、いかにも満足げだった。
次の月曜日、僕は早速研修旅行のことを佐々木たちに切り出した。
「いいんじゃないか」
と佐々木は即答し、伊藤もならう。伊藤に関しては、女子がうるさくしなければそれだけで十分という感じだ。たしかに亘理は僕以外に馴れ馴れしい態度をとることはない。
やがて彼女が女子メンバーを書き記した紙を持ってきて、佐々木に渡す。僕らのリーダー格は彼だと思われているようで、それは間違ってはいなかった。
亘理が持ってきた紙を見せてもらうと、原と和泉の名前があった。原は彼女の前の席に座っている子で、和泉は亘理と小学校から同じらしい。二人とも目立つタイプではなくて、僕はひそかにほっとする。
和泉の方は僕と席が近く、笑顔の彼女によろしくね、と挨拶された。
放課後、ファミレスはやはり出費が痛いということで、結局は図書室にやってきた。
僕はなるべく隅の方の机に座って、ここにしよう、と亘理に告げる。彼女は右隣に腰を下ろして、教科書を広げた。
「なんで隣?」
「向かいだと字が読みにくい」
そうか、と僕は思ってそのままノートを出す。
「研修旅行、同じ班で良かったよ。何もなかったらだるいだけだもんね、あれ」
「だるいかな?」
「自然と触れ合いましょうとか、わざわさあそこまで行かなくても自然だらけでしょ」
「それはそうだけれど」
「夜一緒に過ごせるのって、なんか楽しみだよね」
亘理は楽しそうに話しているが、僕は夜というのが引っかかった。
「寝るだけでしょ?」
「え?遊びにこないの?部屋に」
「それは規則違反じゃないの?」
はあ、と彼女はため息をついて、難しい顔をする。
「小沢、素直だよね」
何を言われているのかさっぱりわからなかった。え?という顔をしていたと思う。
「こういうのは夜遊ぶのが楽しいんだよ。小学校の修学旅行だってそうだったでしょ?」
「いや、僕は修学旅行でそんなことはしなかったし、先生に怒られるし」
「すごいなあ…先生には見つからなければいいんだよ。絶対楽しいから、来てね」
何がすごいのかはわからなかったけれど、でも、唇を尖らせた彼女の来てね、には真剣味があったし、夜こっそり遊ぶということも、彼女に言われてみると楽しいのかもしれないという気がした。
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