第13話 紗羅の過去 (1)

「おい、お前。名前は?」


 紗羅の目の前に降り立った男は言った。しかし、その声が発狂し周りが見えていない紗羅に届くことは無かった。

 

 今の紗羅の心は

(どうして……?どうして美桜の幻覚なんて見たの!!どうして!!!なんで!!!!こんな世界に美桜がいるわけなんて無いのに!!!!!所々思い出せないことがあるのもなんで??どうして!!どうしてどうしてどうしてどうして!!!!!)

この荒ぶる感情の渦に飲み込まれ、到底現実に戻れるはずもなく、ただただ顔を覆って発狂することしかできないでいた。

 どうしようもない感情に襲われ、涙があふれる。精神が限界を向かえたこの状態は、既視感デジャブと共に紗羅の思い出したくもない記憶を掘り返していた。


――幼い頃からの英才教育、親からの出来て当然という理不尽な考えの重圧、紗羅の才能を妬んだ者からの恨めしい視線、少しも外れた道を行けない想像を絶するプレッシャー。それらは全て召喚される前の紗羅に与えていた精神の負担。

 物心つく前からこの負荷に耐え続け、期待を裏切って失望した眼差しを向けられないために努力し続けた苦痛。

 表面上では平静を装い、誰に対しても分け隔てなく丁寧に接する事で自らの身を守ってきた児童期。

 それに疲れて目立たないように行動するようになり、限界を迎えそうになってボロボロになっていた精神を癒す拠り所にするように没頭したネットやイラストの世界。


 どれだけ紗羅が変わっても、どれだけ紗羅が人を信用できなくなって遠ざけようとしても、いつも一緒に居てくれた美桜という唯一無二の、最も紗羅の心の支えとなっていた親友の存在。


 この世界に召喚され、紗羅はそれまでに掛けられていた全ての重圧から解放されたと同時に、全ての心の支えを失ったのだ。

 

 たとえ重圧から解放されようとも、心の支えというのは必要であり、それはどんなことがあろうとも手放すことなどできはしない。


 失って初めて分かる辛さ。それを紗羅は生き延びるために先送りにしていた。全く知らない世界にいきなり連れてこられ、いきなり自分一人の力で生きていかなければならないのだから。

 必死に生き抜いた末に、久しぶりに会った親友みおは偽物で、に気づいておきながらも会えた嬉しさに舞い上がってしまった。

 紗羅はありもしない希望を見せられ、最悪の形まおうによって親友を失った事を認識してしまった。


 それは記憶を抜き取られ、ただでさえ負荷の掛かっている紗羅の精神に甚大な被害を与えた。それ故の、発狂。それ故の、涙。



「――おい、名前はって聞いてんだろうが」


 そうした状況に囚われている紗羅に、強烈な痛みが迸った。

 いつの間にか時間が経っており、紗羅の精神はほんの少しだけ落ち着きは取り戻し、その痛みによって一気に現実に引き戻された。


「――痛っ……」


 思わず頬を片手で抑え、おそるおそる上を見上げる。そこには紫がかった黒髪の男が立っており、ヤンキー座りをしながらじっと私を見つめていた。


「誰……」


 私が未だ朦朧とする意識の中でぽつりと呟くと、男は凄まじく大きなため息を吐きつつ、私に言った。


「お前の!名前は!何だ!」


 恐らく、私が意識を取り戻すまでひたすら声を掛け続けていたのだろう。その声は一言一言区切られ、ハッキリと言い放たれた。


「紗羅……藍神 紗羅」


 ゆっくりと私が言うと、男は紗羅にとって衝撃の一言を放った。


日本人か」


 (「やっぱり」??どういうこと??そういえば、この人よく見てみればどことなく懐かしい顔立ちのような……)


「まぁ、座れよ」


 その言葉に不思議に思いながらも私は木の太い根に腰を下ろす。


 ――そう。男は日本人だった。

 しかし、紗羅と違う点としては、されてこちらの世界に来たのではなく、本当に偶然この世界にしたということ。

 それ故に、紗羅とは違い人の国とは遠く離れたこの森で気がつき、自らの寿命が限りなく無限に等しいことを知った。

 男もまた、特別な能力者であった。


「――やっぱりってどういうこと?」


「あ?気づいてんだろ?俺もお前と同じで日本人だったんだよ」


 男は平然とそう言い、私に多少の憤りを感じつつも流してくれたようだ。


「じゃあ……貴方の名前は?」


「俺はなぎ文月 凪ふづき なぎだ」


 如何にも純日本人という名前であった。この世界では初めて会う同郷の人。その事実に私は再び泣き出しそうなのを堪えながらも耳を傾けた。


「――俺はお前のように召喚された訳では無い」


 凪の話を聞く中で、この言葉は特に驚きだった。良く考えれば分かるのだが、この世界に来てしまったあちらの世界の人間は私だけのわけが無い。

 あちらの世界の人間を"勇者"として召喚する魔法陣があるのだ。確実に過去にこの世界に転生でもしたあちらの世界の人間によってその魔法陣は作成されただろう。

 だって、あるかも分からない別世界からいるかも分からない特定の種族のみを召喚するなどどんな狂人でも研究者でも思いつきもしないだろうから。


「あぁ、そうだ。紗羅、お前は何故こんな所に来た?」


 その質問が凪の口から出され、私は深呼吸をしながらで凪に経緯を話した。


「――なるほどな。紗羅に分かった」


 どういうことだろうか??「」とは……?私は凪に所々記憶が思い出せないものがある、など言った覚えは無い。


「ここはどこ……?」


「ここは妖魔の森っつーとこだ」


 私の問いに対し、凪はなんでもないように答えた。


「紗羅、この世界に来てからって言葉に聞き覚えはあるか?」


 凪は真剣そのものという表情で質問してきた。まるでそれ以上に大事なことでもあるかのように。


「能力……??いきなりどうしたの?頭でも打った?」


 私は至って真面目に答えた。そう、能力など漫画やアニメのファンタジー世界にのみ存在する架空の概念だ。こちらの世界でそんな単語を


「いや、俺は至って真面目だ。やはり、お前は能力に関する記憶を。」


 凪は何を言っているのだろうか?魔法というものは聞いた事があるし、何なら実演されて私自身も少しなら扱える。


「そんな訳ないでしょ?だってこの世界はでしょう?」


 その私の言葉を聞いた凪は「はぁ……」とため息を吐きながら片手を頭に当てながらやれやれ、と言うように首を軽く振った。


「いいや、違う。この世界は魔法の世界だ」


「でもっ……」


「あーー!しつけぇ!口で言うよりも実際にこの世界の情報を送り込んだ方が早ぇな」


 そう言いながら凪は私の頭に手を置こうとする。私はそれを咄嗟に振り払っていた。

 なぜだろう?過去のと重なったのだろうか?

 


「……そうか、過去に何かあったんだろ?悪いな。お前の情報処理能力と記憶領域を改良するから後ろ向いてもらえるか?」


 凪は手を振り払った私が怯える様な表情をしていた事から瞬時にある程度の事情を察し、短く謝ると丁寧に説明しながら私に頼み込んできた。


「……わかった」


 少し警戒しつつも私は後ろを向いた。すると凪は優しく私の頭に手を乗せると、何かが頭に入り込んでくるのを感じた。






―――――――――――――――――――――――








「ぐっ……あぁっ…………なんつー深い闇トラウマ抱えてやがる……こいつ……」


 俺は久しく侵入改造ハッキングに苦戦していた。


(頭の重要な部分に入り込んでるからか?……だとしてもこれは異常だろ……)


 俺の視界を埋め尽くす程のブラックホールのように深い闇が一面に広がっていた。


「こんな光すらも意味を為さなさそうな闇の中から紗羅アイツを探し出せってか!?」


 俺はこの闇の中で、紗羅の中に深く根付いて離れないトラウマの数々を見せられていた。



「――おかあさん!みてみて!わたしがんばったよ!」


 幼稚園生くらいの年頃の紗羅が、母親と思しき金髪で美形の女性に満面の笑みを浮かべながらある紙を見せつけていた。


「あら、算数で100点取れたの?すごいじゃない!」


 そう言った紗羅の母親は紗羅と同じような笑みを浮かべながら紗羅の頭を優しく撫でた。

 紗羅は嬉しそうにして気づいていないが、母親の表情はどこか薄暗く曇っていた。


「えへへ……あのね!あのね!わたしね!」


 ぴょんぴょんと跳ねながら、まるで母親にように話しかける紗羅。

 そして、ますます表情が曇る母親。


「ごめんねぇ、紗羅ちゃん。もうそろそろだからね、お部屋に戻って一生懸命お勉強できるかなぁ?」


 「お時間」?なんの事だ?一見すると英才教育を施すただの仲のいい親子だ。母親の表情が曇り気味なのが少し気になるが……


「えー、もうなのぉー?」


 紗羅はそう言うと不満そうにぷくっ、と頬を膨らませて「いーやーだー」と母親に抗議した。


「嫌だじゃないでしょー?お約束、守れる?守れるなら今度映画に連れて行ってあげるわよ?」


 困ったような表情をした母親は、紗羅に勉強を頑張れるなら映画に連れて行く、と物で釣る作戦に出た。


「ほんと!?えいがー!やったぁー!」


 ぷくっ、と膨らませていた頬はどこへ行ったのか、一瞬にして満面の笑みになると、「えいがーっえいがーっ」と鼻歌の様に口ずさみながら部屋へと弾むように歩き、戻っていく。

 

 バタン、と紗羅の部屋の扉が閉まった時、同時に玄関の扉が重々しい音と共に開け放たれ、「お帰りなさいませ、旦那様」という使用人達の声が響いた。

 その瞬間、どこか不安そうな表情をしていた母親の表情は、明確に暗いものとなった。


(なるほど……紗羅の家庭は金持ち故の厳しい家庭だったわけか。見たところ、紗羅の父親が厳しい躾と教育を施そうとしているのを、紗羅の母親はできるだけ普通の子として育てたいと反対しているのだろうな。)


 そう、凪の予想は大方当たっていた。母親は朗らかで心優しい人物だった。対して父親は厳格な性格で、紗羅を自らの後継者として相応しい人物にする為に厳しい教育を施していた。所謂英才教育というやつだ。



「今帰った、双葉ふたば


 そう言いながら紗羅の母親――双葉の居るリビングへと入ってきた一人の焦げ茶色の髪をしたガタイのいい男。

 誰あろう、紗羅の父親であった。


「おかえりなさい、和樹かずきさん」


 双葉は驚いたように一瞬肩がビクッと震えたと思うと、先程までの暗い表情から一気に決してそれを悟らせない笑顔へと豹変し、紗羅の父親――和樹を迎えた。


「紗羅は?」


 和樹のその声色は見た目にそぐわないドスの効いた声をしていた。

 双葉は決して怯えた様子は見せず、平然と言った。


「紗羅は部屋に居ますよ」


「ふむ。紗羅に勉強はさせていたんだろうな?」


「勿論です。今日の紗羅は――」


「もういい。それ以上紗羅の話をするな」


 和樹は興味が無さそうにそう言い捨てると、さっさとリビングを出ていった。


(なんだ……?本当に父親か?俺ですらもうちょっとマシな家庭環境で育ってるぞ……?)


 と、凪は決して干渉することの出来ない紗羅の過去の記憶の中で淡々と心の中で呟いた。


「……ほんとに、なんであんなに可愛い娘を自分の病院を継がせる為の道具としてだけ見れるのかしら」


 双葉は誰もいないリビングの中で1人、そう呟いた。


「おかあさん、おとうさんかえってきたの?」


 ガチャ、と扉の開く音がしたと思えば、そこから現れたのは酷く怯えた様子の紗羅だった。


「そうだよぉ。紗羅ちゃん、お母さんね?折角可愛く生まれてきてくれた紗羅ちゃんをできるだけ守るからね。後で紗羅ちゃんのお部屋行くから、紗羅ちゃんもお部屋で何かして待っててもらえるかな?」


 怯えた様子の紗羅を見た瞬間、双葉は紗羅を抱きしめ、頭を優しく撫でながらあやすようにそう言った。

 その様子を扉にある窓から見ていた人物が居るとも知らずに。

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異世界召喚された引きこもり少女 星月 @erutya

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