第9話 トゥール領と魔王軍
「あぁ、お嬢さん。やっと戻ってこられましたか。あの褐色の方に連れていかれた時はどうなる事かと…」
朝日が昇る頃、商人の元へ戻ってきた私を本当に心配そうな様子で話しかけてきた。
「もう大丈夫です。心配かけてすみません」
随分と心配をかけてしまった、と、あの場でオリヴィアと話したことは他言出来ないが、心配をかけてしまったことは思うところがあったため、少し申し訳なさそうに謝る。
「それにしてもあの娘はなんだったんでしょう?」
商人が大層不思議そうに訊いてくる。本当の事を伝えるわけにもいかないため、誤魔化して言った。
「さぁ?私にもさっぱり。色々と質問されはしたけど、向こうのことは何も分かりませんでした」
「そうですか。………」
そうですか、と相槌を打った商人は少し間を空け、何かを言った様に聞こえたが、私には何を言ったか聞こえないほどの小さい声だった。
「何か言いました?」
首を傾げながら問うたが、商人は何事も無かったかのように馬車に向かって歩きながら言った。
「いえ、なんでもありません。さあ、本日中にはトゥール領です。行きましょう」
「分かりました」
馬車の運転席の場所へ乗り込んだ商人に対して、馬車に乗り込みつつ返事をする。
「トゥール領ってどんな所なんですか?」
前にも聞いたような聞かなかったような気がするが、確か詳しくは聞いていないと思い、訊いてみることにした。
「前にも少しだけ話したと思いますが、トゥール領は国境に面した領地で、領主は国王をよく思っていません。故に、この状況下でも簡単に隣国へ行くことが可能でしょう」
商人は前に聞いた事を再び話した。そういう事じゃないんだけど…と思いつつも指摘できずに話を聞き続けてしまうのは日本人のいい所でありながら悪いところでもあるだろう。
「さて、確かこの前話したのがここまででしたね?」
商人は私を試していたのだろう。だから"この前はここまで"と言ったのだろう。おそらく、私がどういう人間かを見極めるため、だろう。
「…はい」
「そう畏まらずに。お嬢さんは我慢強いのですね。お嬢さんくらいの若者には私の様な老人の話など退屈でしょう。それも同じ話をされて」
自分が試されている、と感じた瞬間、顔が強ばってしまったのを商人に見抜かれたのだろう。商人は私に畏まった態度を取らなくていい、と言う旨を私に言うと、私の体を見ると中学生でも相手にするような態度で自らを老人と言った。
「あの、失礼ですが商人さんおいくつで?」
その態度に思わずムッとし、何故か年齢を尋ねる。
自分の年齢を言えばいいものを…
そのような考えが脳裏に浮かぶが、既に出てしまった言葉を取り消す術は無い。
「私ですか?私は2ヶ月後には60歳になります。貴女のように若々しくないのでね、少し羨ましいのですよ」
商人はそう言うと、遠い昔に想いを馳せる様な達観した目で遠方を見据えた。
「私、20歳になったばかりですよ?確かに歳は離れてますけど、商人さんが思ってるよりは少し歳取ってますよ」
遠方を見据える商人に何があったのだろうと気になりつつも、折角聞いたのだし訂正しておかねばと思い、すぐさま訂正する。
「これはこれは、失礼しました。私としたことが大事な
ほっほっほ、とおかしなものでも見たかのように商人は愉快そうに笑うと、すぐさま謝罪の言葉を述べた。
「分かってくれたならいいです。自分で言うのもなんですが大分実年齢よりも幼く見られてしまうので」
少し死んだような目をしながら自嘲するように自分の体を見ながら言葉を紡ぐ。
低い目線に体に少し見合わない胸。金髪に近い茶髪の長い髪。そして細い腕。どう見ても幼く見えな……いや、幼く見えてしまうか。はぁ…昔からだし慣れっこだが、ここ数日が色々と大変過ぎて久しぶりの平和な時間な気がしてしまった。
「いえ、この目も衰えてきたのかもしれませんな」
商人は若干俯きなながら言った。
「衰えてきたとは?老眼的なものですか?」
商人の事などよく分からない為何を指しているのかが分からず、なんとも空気の読めない発言をする。
「いえ、簡単に言えば観察眼ですよ。商人として利益を欲するならば絶対に大切なものです」
少し寂しげに語る商人を見て感覚的に此方も寂しく感じたのか、顔が少し寂しげになった。
「そんな顔をなさらないでください。…ほら、あれがトゥール領ですよ」
いつの間にか私の顔を確認していたようで、私まで寂しげな雰囲気にならなくても良いんですよ、という思いのこもった言葉を投げかけられる。
そして、商人の言葉通り、長く続いていた砂利道の先には街と草原とを隔てる高い壁が見えていた。
あれがトゥール領なんだろう。国境沿いということもあって殺伐とした雰囲気だと思っていたが、案外そうでもないらしい。まだ街に入ってすらないというのに、この国の
「止まれ。通行許可判を出してもらおう」
街の入口である門に到着すると、門兵に一旦停められた。どうやら許可証のようなものを確認しているようだ。商人は懐から何かが刻まれた長方形の木の板を取り出し、門兵に手渡した。
「よし、通っていいぞ。それにしても、今の時期にこのトゥール領に来るという事は、あんた達も国外に避難するのか?」
形式的なものなのか門兵は軽く手渡された木の板を見るとすぐに商人に返した。そして、街に入る事を許可されると、門兵は気さくに話しかけてくる。ここで商人1人ではなく馬車の中にいる私にも話しかけてきたことに少し驚いた。
「ええ、そうなんですよ。貴方達も大変ですね。国に従属しているせいで逃げられないなど」
なんて返せばいいのか分からず私が黙っていると、すかさず商人が言葉を返した。やはりこの門兵達はこの国から出ることなど叶わないのだろう。国王があれじゃなければ安定した暮らしができて戦場に駆り出されることもない平和な日々を満喫できていただろうに。ここのまともな頭をした領主様がなんとかしてくれる事を願うばかりだ。
「ははは、全くその通りだ。せめて家族だけでも他国に避難させようと思ってるところだ。ま、この国の中じゃ、一番安全と言われてる王都よりこのトゥール領が安全だろうけどな。そうだとしても絶対に襲われないわけじゃない」
門兵は軽く笑いつつもそう話した。やはりこのトゥール領はその内情故に他国から襲われる危険性は低い様だけど、それでも絶対ではないらしい。この国に反抗的で他国とは友好的だとしても、領地の所属がこの国である以上、形式的だろうと本気だろうと襲われる可能性はあるんだろう。
「そうだ、他国に行くってことは領主様に会いに行くんだよな?」
「ええ、そうなりますね。とは言っても形式的なものですがね」
「それなら冒険者ギルドか商人ギルドか魔術士協会にでも行ってその嬢ちゃんの身分証を発行しとくといい。いくら領主様とはいえ、身分の定かでは無い者とはお会いになられないだろう。」
冒険者ギルドに商人ギルド…異世界系の物語でよく聞く単語だ。そう思いながら聞いていたが、魔術士協会なんてものがあるのか。確かに、魔法が使えるからと言って絶対に冒険者になるという訳でもないだろう。詳細がよく分からないから後で商人に聞いておこう。
「ええ、そうします。それでは」
「ああ、気ぃつけてな」
2人がそう言葉を交わすと、馬車は再び動き出し、少しすると宿と思われる建物の横の屋根がある広いスペースに停められた。
「お嬢さん、宿はもう取ってあるので冒険者ギルドか商人ギルドか魔術士協会に行きましょう」
商人にそう話しかけられ、私は馬車を降りて商人に話を聞こうと質問した。
「その3つにはどんな違いがあるんですか?」
少し悩む素振りをしつつ、商人は丁寧に説明を始めた。
「そうですねぇ…まずは3つの組織の共通している所の説明から致しましょうか。これらの3つの組織は全ての国と地域に設置されている世界的な組織です。そしてこの3つのどれかに所属する事で発行されるギルドカードが身分証となり、全世界どの国と地域に行こうと出入りができます。基本的にギルドカードが無ければ国王や領主の特別出国許可証などが必要となる為、色々な国に行きたいならば所属しておくのが通例です」
なるほど、その3つのどれかに所属していれば身分も保証してくれて自由にどの国にも行けるパスポートにもなると。取っておいて損は無いよね。
「問題はどこのギルドカードを発行するかだけど…」
「そうですねぇ、お嬢さんの適正次第ではありますが、冒険者と魔術師協会をおすすめしておきますよ」
「なんで商人の道はおすすめしないかを聞いても?」
「まあ、私が商人という事もあるのでね。商人は才能も必要ですが、忍耐力も必要なのです。お嬢さんの性格だと商人はあまり向かないと思いましてね」
なるほど、確かにイラストレーターをしていた時も落書き程度で色んなイラストを投稿したりしてたら依頼が来たから本格的な商人は絶対に向いていないだろう。
「なるほど。じゃあ早速冒険者ギルドか魔術師協会に…」
行きましょう、そう言おうとした瞬間だった。地震の様な振動と地鳴りと共に、けたたましい警報音が鳴り響いた。
「魔王軍襲来の警報…?何故このタイミングで?」
「魔王軍…?襲来…?なんでこんな地震みたいなのと一緒に来るのよ…!」
揺れで倒れないよう、壁に寄りかかりながら言う。
「襲来の目的はまだ分かりません…ただ、魔王軍は無理矢理空間を歪めて長距離の空間同士を繋げるのでこの様な現象が起こるのです」
「転移してくる前の場所には影響ないの?」
「いえ、大小様々ですが何かしら影響はあるはずです」
「なのにこんな方法で来るの…」
良くある価値観の違いと言うやつだろうか?だとしても毎回そうなるのは不便で仕方がないと思うけど。毎回こんなレベルの影響が出ているなら無闇やたらに来られないでしょうに。
商人の様子を見ても、今回の襲来は目的が一切読めないのだろう。宿の開閉式の木の窓を少し開け、活気があったはずの街を見下ろすと、そこには初めから誰もいなかったかのように人っ子一人居なくなっていた。この一瞬でそこまで静かになれるものだろうか?と疑問を感じたが、今は自分の身を守ることに徹することにしよう、と思考を放棄する。
「商人さん、外の様子がおかしいけど、こんな一瞬で人っ子一人居なくなるものなの?」
そう言いながら窓を閉め、商人の方を向くと、そこには酷く怯えた様子の商人が居た。
「お、おかしいも何も、その人たちはほぼ確実に魔族達に消されています」
「……は?」
あまりにもぶっ飛んだ回答に素っ頓狂な声を上げる。
「まさかこれほどの力を持った大魔族が率いる魔王軍が来るとは…」
「魔王軍…?」
私の想像が正しいなら、魔王軍には幾つかの集団があって、今回はその中でも上位に位置するような魔族が率いる軍隊が来ちゃったってことかな?
何が狙いで?
この街に何か狙うものがあるならもうとっくの昔に奪われているはず。
「一体何の目的でこんな所に?」
「…分かりません。私もこの様な事は初めてなので」
商人とそんな会話をしていると、宿の外から大きな声が聞こえてきた。
「おい!!この宿に先程入っていった商人2人組!!今すぐ出てこい!!」
宿の中に隠れるようにシーンとしていた人達は一斉に私たちを睨みつけるように見てきた。
「なんで私たちが…?」
「「面倒事になる前に早く行ってくれ!!」」
私の呟きは空に消え、睨みつけるように見てきている宿の人達の目からの言葉が頭に直接ぶつけられているような気がした。
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