第27話 久しぶりの電話

『もしもし、ここな?』


「うん、久しぶり」



ココアの本名はここな。〝ここな〟よりも〝ココア〟である方が印象的になるだろうということで、事務所の決定に従っていた。

随分と長い間業界でココアと呼ばれてきたせいか、ここなと呼ばれるのが新鮮だった。

私の本名は事務所の限られた人間や家族、本名で出会った人たちしか知らない。

本名を知る少ない人の中で、ここなと呼んでくれるのは普段会話することのない家族だけだった。



『何かあった?』


「どうして?」


『電話、随分久しぶりだったから』


「何もないよ、仕事が忙しかっただけ。あのね、今次のドラマ撮影場所にいるんだけど、現地の人にすごく良くしてもらったんだ。それでお母さんのことを思い出して、電話したくなったの」


『そう…ちゃんと食べてる?』


「食べてるよ。体重管理はしてるけどね」



事務所の寮に住んでいるココアは、母親と一緒に住んでいたのは九歳までだった。

最近は仕事が忙しくてなかなか実家にも帰れていないから、思い浮かべる母親の顔がぼやけてしまっていた。



旭人あさと蜜柑みかんは元気?」


『旭人は今さっき寝ちゃったところなの。蜜柑なら起きてると思うわよ、ちょっと待ってね』


「うん」



マネージャーの運転する車は限りなく安全運転だけれど、舗装されていないでこぼことした道では流石に少し揺れる。

でもこの振動がどこか心地よかった。



『お姉ちゃん?』



久しぶりに聞く、一つ歳下の妹の声だった。



「蜜柑?、ちょっと声大人っぽくなった?」


『そう?、変わらないと思うけど。あ、電話越しだからそう聞こえるのかな?』


「そうかもね」



くすくすと笑う。

妹の蜜柑はずっと私と比べられてきたから、少し前までは口を聞いてくれなかった。

学校でいつもお姉ちゃんと比べられる、最悪って泣いて怒られたこともあったな。

だけどココアが俳優として努力しているのを見て、自分も別の分野で才能を見出してからは、そういうことも言わなくなったらしい。

どれもこれも全て母親から聞いた話だから、直接話すのは本当に久しぶり。

最後に会ったのは私が寮に移る時だし、話したのはもっと前だった気がする。



『お姉ちゃんが次に出るドラマの原作、めっちゃ学校で流行ってるよ。もうね、女子みんな読んでるって感じ。私は忙しくて読んでないけど、ドラマ録画して見るから』


「無理しなくていいよ、だけどありがとう。元気そうでよかった」



気まずい沈黙が流れ、お母さんに代わってと言おうかと思い始めた時、蜜柑の方から口を開いた。



『…ねえ、お姉ちゃん』


「なに?」


『その、今までごめんね。酷いこと言ったりして』


「ううん。お姉ちゃん何とも思ってないよ。だから気にしないで」


『うん』



すると電話口の向こうで、不意に眠たそうな声で『蜜柑お姉ちゃん、誰と話してるの?』と旭人の声が聞こえた。

今月やっと七歳になる、年の離れた弟だ。



『旭人起きちゃったみたい。お姉ちゃんと話したいってうるさいから今代わるね』



ガタガタと音を立てて携帯が移動する音が聞こえる。



『ここな姉ちゃん?、久しぶり!』


「旭人久しぶりだね、元気?」


『元気だよ。昨日ここな姉ちゃんが送ってくれた誕生日プレゼントうちに届いたよ!。ありがとう』


「ごめんね、本当は直接渡したかったんだけど」



事前に欲しいものを聞けなかったから、気に入ってもらえるか心配していたけれど、喜んでもらえてよかった。



『ママに代わるね』



もう少し話していたかったけれど、止める声を待たずに母親が出た。



『いつも言ってることだけど、つらくなったら戻ってきていいのよここな』


「大丈夫だよ。そろそろ宿につくから切るね。体には気をつけて」


『ここなもね』



電話を切ると、マネージャーも丁度車を駐車場に停め終えたところだった。



「ココアさん、長い期間は無理だと思いますが、今度休みをいただけるように私から所長に相談してみますね」


「え?」


「お電話している時のココアさん、ご実家に帰りたいって顔されていましたよ。日頃からあなたは少々働きすぎだと思っていたので」


「いいんですか?」


「ええ。久しぶりにご家族にお顔を見せてあげてください」



車を降りると、澄んだ夏の夜空に白く煌めく星が散りばめられていた。

こんな絶景は東京ではなかなか見られない。

ココアはそれを写真に収め、家族に送るのであった。

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