第26話 誰かと囲む食卓

友のドラマの撮影のワンシーンで使うからと顧問から急遽連絡があり、今日の部活はなくなった。

あの日以降も上手く集中できない日々が続いている。

晴れない気分のまま寄り道をして帰っていればすっかり日が暮れてしまっていた。

湿気を帯びた生ぬるい風が肌にまとわりついて気持ちが悪かったけれど、どこからともなく聞こえてくる風鈴の音から僅かに涼しさを感じることができた。

矢筒やづつを肩にかけ直して足早に帰路を辿る。

これ以上遅くなれば、夕食の時間なのにうちの息子はまだ帰らないのかと母さんを怒らせてしまう。後で長い説教を食らうのはごめんだ。

ふと道の前を行く人影に目が止まった。見覚えのあるツインテールが歩く度に揺れている。



「また会ったな。今日も撮影だったみたいだな、お疲れ。暗いのに一人でいたら危ないだろ、マネージャーは?」


「野暮な質問ですね」



どうやらまた過保護で心配性なマネージャーがうっとうしくて、撒いてきたらしい。



「俳優以前に女の子として危ないだろ、こんな暗い道。なんでいんの?」


「この土地では花火の次に蛍がよく見えるので有名だとか。東京で蛍なんてあんまり見ることがないので見に来たのですが、ただの噂だったんですかね」


「水辺じゃないと見るのはなかなか難しいと思うぞ」


「そうでしたか、残念です」



元来た道を引き返そうとするココア。

彼女の宿泊している宿は友から聞いて知っているけれど、自転車ですら三十分はかかる場所にあったはずだ。

こんな道をこれから歩いて帰ろうというのか。

危機感のない彼女を心配するマネージャーの気持ちが少しわかった気がした。



「俺の家近いから上がってけよ。で、マネージャーに居場所を教えてやれ」


「こんな夕食時に、ご迷惑でしょう。気を遣って頂かなくともひとりで帰れます」


「女子をこんな暗い道にひとり残して帰れって?。無理なお願いだな」



夏夢と蒼以外で女子を家に上げたことはなかった。早とちりな母さんのことだ、後々面倒なことになりそうだけど仕方がない。

若干の不安を胸に「ただいま」と玄関先で帰ったことを知らせる。

夕食のいい匂いが台所から廊下を伝って玄関に広がっている。



「おかえり彼方、ってその子…」


「ココアと申します。すみません、突然こんなお忙しい時間にお邪魔してしまって」


「まあぁ、どうぞ上がって上がって!。そうだ、丁度夕食にするところだったから是非食べて行って?」


「!…そんなお構いなく」


ココアが慌てるのはお構い無しに、彼方の母親はるんるんな足取りで台所へと戻る。



「お父さん大変!、彼方が彼女を連れてきたわよ」


「違うからッ」



一気に騒がしくなった上に、盛大な誤解まで生じて最早収集がつかない。



「母さんがごめんね」


「気にしてませんよ。私を私だと知らない方にお会いするのはむしろ新鮮です。けど夕食は流石に申し訳なさすぎますよ」


「遠慮するな。マネージャーも仕事でしばらく迎えに来られないんだろ?」


「…すみません、じゃあお言葉に甘えて」



〇─〇─〇



「美味しいです」


「お口にあってよかったわぁ。さっきはごめんなさいね。まさか友君の出演するドラマのヒロイン役の俳優さんだったなんて」



彼方さんのご家族と一緒に囲む食卓は暖かった。

仕事が入るようになって忙しくなってからは、家族とはゆっくり話すことも出来ていない。

両親や弟妹は元気にしているだろうか。メールの文面には、気を遣わせないように元気だとしか書かれていないものだから、本当はどうしてるのかがココアにはわからなかった。



「それにしてもマネージャーさん、遅いな。もうこっち向かってるんだよな?」


「はい、さっきのメールにはそのように…」


「ここら辺は同じような見た目の家が並んでるから、迷っていらっしゃるのかもしれないな。私がちょっと見てこようか」


「すみません」



早々に食事を終えていた彼方の父親が、食後のコーヒーをテーブルに置いて玄関へと向かう。



「そうだ、このままうちに泊まっていただいたら?。彼方の部屋、ちゃんとお片付けすればお客さん用の布団敷けるスペースあるわよね?」


「は?」


母親の突飛な提案に、思わず飲んでいた味噌汁を吹き出しそうになる。



「相手はファンも多い有名俳優…ってそれ以前に女子っ!。色々問題あるだろ」


「何言ってるの、夏夢ちゃんとは最近まで一緒に寝てたじゃない」


「ちょっ、ココアの前でその話すんなよ。しかもそれ小学校低学年の時の話だし、母さんの最近って感覚バグってんの?」



こんな他愛のない会話を家族としていたのは、いつまでだっただろう。

顔を真っ赤にして怒る彼方と、幼い頃の息子に思いを馳せながら頬に手を当てる彼方の母親がギャーギャーと騒ぐ中、ココアは静かに箸をテーブルに置いて俯いた。

こうなることはわかっていたはずだった。それでも孤独になってみると、こんなにも寂しいとは思わなかった。

大人たちのしがらみに囚われて、事務所の所有物として扱われるお人形になる。私じゃなくて〝ココア〟を生きる人生、〝ココア〟を求める人へ向けた需要のある発言、笑顔、言動。

普段は見ないふりをしていた本音の蓋が、この人たちの暖かな雰囲気で意図せず開いてしまったようだ。

微笑ましいやりとりをしていた二人は、私の顔を見て慌てふためいた。



「あらあらどうしたの、ハンカチハンカチっと…」


「…どうした?」



〝ココア〟を知る人に、本当の私が垣間見えてしまってはいけない。事務所の方針で、仕事中以外はお人形らしく無表情を貫いていた。挨拶やちゃんとした会話はできるから、商品価値や評判は下がらないとマネージャーにも言われていた。

だから今も言いつけを守って普段と変わらない態度を取っていたつもりなのに、頬に触れれば指先が濡れる感触があった。



「すみません、泣くつもりはなかったんですが。…俳優の涙なんて、胡散臭いですよね。不愉快にさせていたらすみません」


「そんなことないわよ」



彼方さんのお母様の手が伸びてきて、そっと抱きしめてくれる。全然似ても似つかないのに、この人がお母さんに見えて涙が止まらなくなってしまった。



「私、ずっと…ひとりぼっちで…さみし、くて」



しゃくりあげながら、本音が次々とこぼれていく。



「…大丈夫よ、大丈夫」



背中を優しくぽんぽんと叩いてくれるから、気持ちが緩んで涙で視界がぼやけた。

彼方さんにまでこんな情けない姿を見られてしまっているのに、構わず声を上げて泣いてしまう。

今まで堪えていたものが決壊するように。






ひとしきり泣いた後、丁度マネージャーが迎えに来たと彼方さんのお父様が伝えに来てくれた。

目を真っ赤に腫らしていては、過保護なマネージャーに何を言われるかわからないと心配していたけれど、彼方さんの持って来てくれたハンカチに包んだ保冷剤を目に当てていれば、赤みが引いた。

私が泣いているのを見たことを申し訳なく思わせてしまったらしい。自分が泣いた時も、こうやって泣いていたことを隠すのだとこっそり教えてくれた。

玄関先の門を開け振り返ると、彼方さんのご両親と彼方さんが玄関先で私を見送ってくれた。



「今日はその…色々とご迷惑をおかけしました。それと、ありがとうございました」



お礼を言いながら頭を下げれば、彼方さんのお母様が優しく微笑んでくれる。



「ココアちゃん、うちでよければいつでも遊びに来てね」



車に乗り込めば途切れることのないマネージャーの叱咤が始まった。適当に頷いて聞き流しながら、今日のことを振り返る。


お説教も終わり静かに宿へ戻っている最中、久しぶりに家族へ電話をかけてみることにした。



『もしもしお母さん』



なんだか今日は、心が暖かい。

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