第34話 忘却、其の弐
見たことのある室内、ここは…
「陰陽師寺?」
そう何度も入ったことがあるわけではなかったので、思い至るまでに時間を要した。
開けっ放しの引き戸、奥まで続く長い廊下、並ぶ少し古びた和室たち。
二階へと続く階段の所で、浴衣を着た夏夢と想が隣同士で座っていた。
『なにしてるの?』
『とっ友達とかくれんぼしてるの』
彼方はこの記憶がいつのものなのかを少しづつ理解しながら、記憶の続きを辿る。
『みつけた』
『みつかっちゃったかあ』
幼い自分の背中を見つめながら、これは自分も持っている記憶だと彼方は懐かしんだ。
夏夢の手を引く自分。
そして、自分の知らぬ間に見つめ合って手を振り合うふたり。
嫉妬する気持ちを想に悟られまいとするが、彼は全てお見通しといった顔で彼方のことをくすりと笑った。
「大丈夫、君が今見た光景は夏夢ちゃんの中から消えるから」
そう言ってまたこれまでと同じように、少しだけ大人へと成長した想に話しかけようとする想を彼方は止めた。
「さっきから何してるんだよ。そろそろ教えてくれても」
「夏夢ちゃんの僕に対する記憶を消して回ってるんだ」
「なんで───」
彼方の言葉を遮るように想は続けた。
「記憶を辿りながら説明するよ。君はきっとこれから先、夏夢ちゃんと生きて行く人だから全部話しておいたほうが…いいと思うし」
自分の抱いていた嫉妬よりも強い、戦慄するほどの嫉妬を肌で感じながら彼方は頷くことしか出来なかった。
想は、夏夢に向かって静かに手を振る想に声をかける。
彼女の自分に対する記憶を消すようにお願いするも、彼はなかなか首を縦に振らなかった。
「嫌だよ。久しぶりにまた会うことが叶ったんだ。どうして引き離そうとするの?」
禍々しい赤い靄を周囲に漂わせる自分自身を鎮めようと、想は彼方を背後に隠しながら説得する。
「この記憶があることで、夏夢ちゃんが苦しむことになる」
「貴方は記憶じゃない…
「うん。夏夢ちゃんが大変なことになって、記憶に干渉してるんだ。僕だって本当はこんなことしたくない。けどそうしないと彼女が…好きな人が死ぬ」
それを聞いた想と背後にいた彼方は驚いたように瞠目する。
夏夢はそんなにも危険な状態に置かれているのかと、今更ながらに知った自分が悔しかった。
「夏夢ちゃんを死に追いやっているのは他でもない、僕が過去君が未来でかけた術なんだ」
「そんな…」
「術は僕のことを彼女に思い出させないようにして働いている。思い出してしまった彼女を痛めつけるように働いてしまっているんだ」
「なんで僕に頼むの?。貴方が同じ僕なら、自分で消せばいいだろう?」
「僕の力は記憶を操ること。だけど記憶の中で力を使うことは出来ない。今の僕はこの記憶にまだ存在していないから。この記憶の中にいる君にしか出来ないんだよ、想」
泣いていた。
高校ではいつも夏夢の隣で笑っていたこいつが。
「…わかったよ」
必死の懇願に、根負けしたらしい。
夏夢の記憶を操り赤い靄を追い払いながら、人間となっている自分自身を見上げた。
「…絶対後悔するよ」
「ありがとう。けど、夏夢ちゃんを死なせたらもっと強い後悔に苛まれるって、君もわかってるんでしょ?」
再び次の記憶を目指す想は、流した涙を人差し指で拭いながら、それでも歩みを止めなかった。
「…妖狐って記憶を操れるのか」
「そうだけど」
「なら俺の記憶もいじるのかよ」
妖にとって、術を使っているこの時間はきっと見られては都合が悪いものだろう。
夏夢と同じように記憶の一部を消されるのが自然に思えた。
「夏夢ちゃんの何を知っても好きでいる自信があるからついて来たんでしょ?」
「ああ」
「なら消さない。一度妖に術をかけられた人間の予後を僕も知らないんだ」
「それと俺の記憶を消さないのには、どういう因果関係があるんだよ?」
「夏夢ちゃんに何かあった時、術にかけられたことがなく、全てを知っている人が必要だと思うから。…今後僕の力のせいで夏夢ちゃんに異変が起きてしまったら、陰陽師寺に時々姿を現すかをる君を訪ねて」
「陰陽師?」
「次に辿る記憶でわかるよ」
そう言って想は次の記憶へと足を踏み入れた。
これまでと同じように景色の輪郭は曖昧だったけれど、ここも陰陽師寺であることがわかった。
そこへ現れた浴衣姿の夏夢と想。
廊下でまるで小さな恋人同士のように恥じらうふたりの様子は、少しだけ堪えた。
(夏夢、こいつの前ではこんな顔してたのか…)
こちらのことは記憶の中のあいつしか見えていないようなので、つい見たことのない夏夢に近づこうと一歩前へ踏み出してしまう。
すると何かにつんのめって転びそうになる。
「なんだ!?」
足元には男性が寝転がっていた。浴衣を着た二人は並んでその人物の前に立つ。
二人の会話によれば、この人物こそがかをるという人らしい。
とても陰陽師には見えないけれど、二人が言うからにはそうなんだろう。
『夕食後の甘味として買ってきた西瓜があるけど、お客さんも来ていることだし今食べてしまおうか』
三日月形の西瓜を縁側で頬張る二人の背中を、隣にいた想は懐かしそうに目を細めて眺めていた。出来ることならきっとこの記憶を夏夢から消したくはないのだろう。
夏夢の膝を枕に昼寝をする様子も、三人が花火をする様子も静かに見届ける。
別れ際、夏夢を抱きしめようとする記憶の中の想を、やっと動いた想が止めた。
「離れがたくなってしまうよ」
「貴方は…僕?」
物分りのいい記憶上の想は、彼方のことも見て苦笑する。
「僕がいるのは記憶なんだね。今で何かあったの?」
この時には既に自分の力に気がついていた記憶上の想は、彼方と人間の姿をした自分に向き合うようにして立ち上がる。
彼の周りの時は、想によって止められている。
「夏夢ちゃんがこのままだと危ない。君の力で彼女の君に対する記憶を全て消してほしいんだ」
「…そっか。わかったよ」
頷いた彼の目から涙のように赤い靄が流れ出る。
左手を持ち上げた彼は、先程まで抱きしめようとしていた夏夢に纏わりつく赤い靄を取り払った。
「…これでいいかな?」
「うん。ありがとう」
次の記憶へ向かおうと踵を返した二人は、記憶上の想に「君は彼方…?」と声をかけられた。
彼方は思わず振り返る。
「夏夢ちゃんをよろしくね」
諦観の滲んだ瞳で告げる想から、赤い靄が彼方へと伸びて来ていた。
それはおぞましく、悪意に満ちた何か。
増していく赤い靄から彼方を守るように、想は彼方の腕を強く引いて白い世界へと飛び込んだ。
「さっきのって…」
記憶を早足で進み始めた想に強く腕を引かれたまま彼方は問いかける。
苦しみ出した夏夢の周りに纏わりついていた赤い靄。記憶を辿る度にそれは夏夢から離れるけれど、記憶上のこいつが纏う赤い靄は強くなっていっている気がした。
それはまるで炎のように燃えているかの如く揺らめいているのに、見ていると寒気が止まらなかった。
「あれは僕の悪意だ」
「悪意?」
「妖の根底には人に害をなしたいという性がある。僕にそのつもりはなくても、その悪意がどこかで燻っているのかもしれないね」
「なんでそれが今?」
「…次の記憶を辿れば今から話すこともわかると思うから言うよ」
想はやっと歩調を緩め、彼方と並ぶと語り出した。
「夏夢ちゃんの僕に対する記憶を、前にも一度だけ術を使って消したことがあるんだ。諦めきれなくて人になってまで会いにきたんだけれどね」
想は彼方に悲しげに微笑んで見せた。
「僕が人でいられる条件は、夏夢ちゃんに僕のことを自力で思い出してもらうこと。だけど彼女には昔僕がかけた術がかかったまま。一度かけた術は解くことが出来ないけれど、僕のかけた術は完全じゃなかったからまだ思い出してもらえる希望があったんだ」
話しながら想は次の記憶へと向かう足を止めない。
「だけど僕のことを思い出そうとする度に夏夢ちゃんは激しい頭の痛みに襲われていた。見かねて、今度こそ彼女の僕に対する記憶を完全に消してしまおうと思った」
「…夏夢を、諦めるってことか?」
「その通り」
消え入りそうな声で想は答えた。
「でもまだ諦めきれてない、彼女に執着する自分がいる。彼女と僕を引き離そうとする者に対する悪意が無意識に滲んでしまっているみたい」
彼方が「だから俺に…」と俯くと、怖い思いをさせたことを詫びるように想は申し訳なさそうに眉を八の字にした。
「これからまだいくつかの記憶を辿らなきゃならない。見届けてくれるかな、なくなってしまう夏夢ちゃんの僕の記憶を」
切実なその願いに「わかった」と彼方は優しく微笑む。
もし自分が想の立場なら、死ぬよりも辛いことをしていることはなんとなくだけど察することが出来た。
恋敵ではあるが、少しでも想の気持ちが楽になるならと、そんな願いをこめて彼方は想から次の記憶へと視線をやった。
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