第33話 忘却、其の壱

足が着いたのは、土の上。

先程終わったはずの夏祭りの喧騒が遠くの方で聞こえ、空には夕闇の花火がよく見える。

けれど見える景色の輪郭は白くぼやけていて、現実のような夢のようなとても曖昧な感覚だった。



「ここは?」



想は答えなかった。ただ目の前には見覚えのある浴衣姿の女の子がいる。



『どうしたの?』


『迷子になっちゃったんだ』


『わたしも』


『君も?』



それは初めて夏夢が想に出会った時の記憶だった。

想が術を使うと、一時的に景色が時を止める。過去の自分に近づくと、赤い靄が発された。



「誰?」



柔らかな尻尾を生やす以外は人の姿をしている想は、鋭い目つきになる。急に現れた に警戒しているのだ。



「君は彼女と出会ってはいけない。林檎飴の味を知ってはいけない。名前をもらってはいけない。またねと約束を交わしてはいけない」



想の言葉を理解できない幼い想は、泣きべそをかいて今にも逃げ出したさそうだ。



「君のなすべきことは一つ。その女の子の君に対する記憶を消しなさい。それだけの力は気がついていないだけで、今の君は既に持っているから」



恐る恐る両手の平を見やった幼い想は、まだ想の姿を見ただけの夏夢に向けて白い靄を放つ。すると夏夢に纏わりついていた赤い靄が消えた。



「ありがとう。早く滝にぃの元へ帰りなさい」


「うん。あの…貴方は誰?」



幼い想の無垢な問いには答えず、一部始終を後ろで見ていた彼方に「行こう」とだけ告げる。

すると景色が動き出し、歪んだ景色から再び白の世界へと戻る。








「なあ聞いてもいいか」



想の背中に話しかけるも、返事はない。

だめだとは言われてないので、彼方はそのまま話しを続けることにした。



「さっきのは過去だろ?。あの夏夢、七歳くらいの見た目だったし」


「…過去は過去。けど過去に戻ったわけじゃない。そんな力は僕にはない」



ぶっきらぼうに答える想は、どんどん先を歩いて行ってしまう。

時々見覚えのある景色が遠くの方で見える気がしたけれど、それには目もくれず想は目的の記憶へと向かっている。



「ならここは…」


「夏夢ちゃんの記憶の中だよ」



人の記憶の中を歩いているだなんて俄には信じがたかったけれど、さっき想が会話してた幼い男の子のことを思い出す。

人の姿をしていたけれど、その体には白くてふさふさとした尻尾が生えていた。

彼方はもう一つ、気になっていたことを尋ねた。



「お前、人じゃねえだろ」


「うん、僕は妖狐だよ」


「じゃあこれもお前がやってんのか」


「そうだけど…安心して、悪さをするつもりはないんだ。これは全部、もう夏夢ちゃんを苦しませないためにやっていることだから」



話したくないと言わんばかりに端的にしか答えない想だけど、それだけでも彼方がこの状況を理解するには十分だった。

夏夢の記憶にこの妖狐は干渉している。理由はよくわからないけど、夏夢のためだと言う。

妖狐の言葉など信用出来るはずもないが、下手に何かをして攻撃されたら反撃する余地はないし、夏夢を人質に取られてしまうだろう。

それに、さっきらこいつはずっと悲しげな顔をしている。見られたくないのかどんどん先を行ってしまうけど、追いついた時に表情を盗み見れば辛そうな表情をしていた。

何も言えなくなってしまった彼方は、黙って想の後に続くことに決めた。



次の記憶に辿り着く。そこは神社の入口近く、鳥居の傍だった。



『ねぇ想くん』


『なあに?』


『今年は無理だったけど、いつか夏祭り…一緒に行こうね』


『うん』


『約束だよ』


『約…』



葉桜となった桜の木に夏夢と想が腰掛けていた。

彼方は自分の知らない情景に複雑な気持ちになるのを堪え、隣に並ぶ想が無表情のまま動いていた時を止めるのを見守る。



「約束してはいけない。仄かに色づき始めた想いは罪だ。今すぐ彼女の君に対する記憶を消してほしい」



すると、罪悪感がないわけではなかったのか、約束しようと伸ばした小指を引っ込めて、代わりに彼女の後頭部に手を当てる。



「どうすればいい?」


「君のうちなる力が教えてくれるよ」



木の上で困った様子だった想は、何事かを呟いた。すると夏夢に纏わりついていた赤い靄が夏風に乗るようにして離れていく。



「ありがとう」



木の上にいた想に告げると、想は時を動かし彼方を連れて再び白い世界へと戻って行く。

まだ次があるのかと歩みを進める。

夏夢の記憶の中のせいか不気味ということは全くなく、それどころかどこか懐かしい気持ちになっていた。

それは夏夢の記憶に自分が存在しているからなのだろうか。



「次はどこ行くんだよ?」



「次は君も記憶の断片を知っているはずだよ」



振り返った想は少しだけ意地悪な笑みを見せた。それは妖らしく悪戯で恐怖を掻き立てる表情なのに、彼方には想の表情に人らしい嘘の感情を見た気がした。

想の顔に浮かべられた笑みの下には、悔しげな表情が見え隠れしている。



「ふたりだけの秘密にしていたかったな…」



彼方の耳には届かないように小さな小さな声で想は呟いた。

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