第32話 術の暴走

律儀に戻ってくる男は男で質が悪いな、と思いながら涙を拭って声のした方を振り返る。



「ごめん、ココアちゃん。夏祭り一緒に行けない。もっと早く断らなきゃいけなかったんだけど…言い出せなくて」



蒼さんと思いが通じでもしたのか、謝罪をするには晴れすぎた表情だ。そんな彼の顔を見たら、なんだかもう自分の気持ちに折り合いをつけることが出来てしまった。

呆れの混じった声で、最後にプライドだけが勝手に私の口を動かした。



「気にしないでください。私友さんのこと好きですけど、…ライクですから」



演技ならもっといい表情が出来たと思うのに、ありのままの私は不覚にも涙を流してしまった。慌てて拭うと「ごめんね」と謝られてしまった。

なんだかそれが悔しくて、最高は笑顔でこの恋に幕を下ろすことにした。



「お幸せに」








せっかく浴衣を買い取ったのだからと、ひとりで夏祭りに行くことにした。ココアであるとバレたら夏祭りを騒ぎにしてしまうかもしれない。東京から来ている観光客も多いようですし、念には念を入れなければいけませんね。

せっかくの楽しいお祭りに迷惑をかけないためにお面を買って、顔につけて屋台を見て回ることにした。

というのは表向きの理由。本当は涙を隠したかった。

けれど夏祭りの礼儀や作法は何も知らないですし、どうしたらいいのかさっぱりです。

うろうろしていると知っている声に名前を呼ばれ、そうかこの人もひとりなのかと思いながらお面を少しだけずらす。



「取らなくていいって。ココアだろ、わかってるよ」


「彼方さんもおひとりなんですね」



ココアの言い回しに彼方は色々と察しがついて、お面を元に戻してやった。



「俺が案内しようか、それとも失恋した後はひとりにしてほしい系?」


「いえ…お言葉に甘えさせてください。お祭りの周り方がわからなくて困っていたところでして」



彼方が案内してくれるままに屋台を回れば、いつの間にか彼女の声音に元気が戻ってきていた。



「俺もココアみたいに積極的になれてたら夏夢と付き合えてたのかな」



そう言ってたこ焼きを頬張る彼方。その手に持った六つ入りのたこ焼き皿から、ココアも串でひとつたこ焼きを刺し掬い取る。



「私みたいになったら当たって砕けて、プライドの塊だけ残りますよ」


「まじかーそれは嫌だな。めんどくさそう」


「そんなはっきり言わなくても」



お互いを何とも思っていないからこそ、何でも話せる気がした。

不意に林檎飴の屋台の前でココアは足を止めた。艶やかな赤を提灯の灯りに輝かせるそれを食い入るように見つめる。



「食べたいの?」


「…こんなに大きいと流石に食べきれないので」



彼方は一本買うと、ココアに手渡した。



「食べられるところまで食べたら、残り俺が食べるよ」


「え、悪いですよそんな」



ココアに負けじと彼方も頑固で、結局折れたのはココアの方だった。



「じゃあ…遠慮なく」



パリパリしゃくしゃくと林檎飴を食べ進める私を見て、「美味しいか」とか「喉乾いただろ、ラムネいる?」とか、この人凄くいい人だな。

恋愛対象にはならないけど、こんな人が傍にいてよく夏夢さんは好きにならなかったな…。

そんなことを考えていると、屋台のない本堂の方から夏夢さんともう一人。二人がこちらへ向かって歩いて来た。

彼方さんのためになんとか回避してあげなければと一人であわあわしていると、石畳で慣れない下駄をはいた足は簡単につんのめった。



「ッ、大丈夫?」


「は、はい。ありがとうございます」


「彼方?」



最悪のタイミングです。

よりにもよって体を支えられている場面で出くわすとは…。せめて私が物陰に隠れればよかったものを。

振った相手がまさかもう別の女の子と夏祭りに来ているなんて、印象が悪すぎる。

仮になんとも思っていなかった場合、「彼女出来たんだよかったね」なんて勘違いを言われた日には私なら立ち直れない。



「な、夏夢さん、こんばんは」



せめて私がただ案内を頼んだだけと伝えなければ。



「あれ?、その声ココアちゃん?。こんばんは。彼方と夏祭り来てたんだね」


「私が案内をしてほしいとお願いしたんです」


「仲良かったんだ、知らなかったよ!」


「うん、友達」



ココアは彼方の言葉にフリーズする。

(友達?)

今まで友達なんていたことがない。…けど、なんでもない話をして笑い合える関係が友達と言うのなら、彼方さんが私をそう思ってくれているのなら、そうなのかもしれない。



「はい、友達です。友達なんです彼方さんと!」


「なんでそんな嬉しそうなんだよ」



苦笑されてもよかった。

友とはまた違う、仕事も何も介在しない、純粋な友達が出来たことに昂る気持ちが抑えられなかった。




〇─〇─〇




夕闇の花火が終わって、夏祭りが終わる。

楽しい時間が終わるのを寂しく思いながら出口にある鳥居の方へ向かおうとすると、その気持ちを察してくれたのか想くんがいつの間にか持っていた花火の袋を顔の前に掲げる。



「この後は人気もなくなるし、境内で花火をしよう?」



まだ帰らなくてもいいんだと、帰路につこうとしていた足を想へと向けた。

二人でいられる時間を少しでも長引かせようと、時間を稼ぐようにゆっくりゆっくりと歩く。

辺りは想くんとわたしの下駄のこつこつという木の音以外に聞こえなくなるほど、しんと静まり返っている。

屋台はもう撤去されていて、提灯の灯りももうなかった。

夏祭りの終わった神社には、秋風のような肌寒い風が吹き抜けている。



「こんなところで花火をしていて、怒られないかな?」


「かをる君は小さい頃から西瓜の種を神社の敷地に飛ばしてても怒られなかったみたいだし、花火を一日したくらいではきっと怒られないよ」


「え…?」



どうして想くんがそのことをしっているのだろう。わたしとかをる君二人の思い出のはずなのに。

けど、もう一人誰かがいたような…

再び強い痛みが頭を打ち鳴らすようにぐわんぐわんと響く。バケツに水を汲んでいる想くんから見えていなさそうでよかった。また心配をかけてしまうから。



〇─〇─〇



花火をしている間、夏夢ちゃんはずっと楽しそうにしていた。けどさっきまた痛そうに頭を押さえていたな。



「想くん見て」



花火から噴き出す光の線の残像で、丸や三角を描いてみせる彼女。僕は花火よりも、そんな彼女に魅せられる。

本当に彼女のことが好きで好きでたまらない。

だけど、もう気がついてる。

彼女の頭の痛みが何であるのかを。

彼女が僕のことを思い出しそうになる度に頭痛がするのは、僕の術のせい。

元々人に害をなすための力だ。使い方は違えど人体に害が及ぶことは避けられなかったようだ。

夏夢ちゃんをその痛みから救う方法はある。けど僕はそれをしたくなくって、ずっと黙って見ていた。だけど、流石にもうだめだよね。



「想…くん?」



僕はまた、こんなにも愛おしい彼女を諦めなきゃならないのか。

最後に残った線香花火を惜しむように楽しむ。

前もこうして寄り添ってしゃがんで、どちらの火の玉が先に落ちるか競争したこと、夏夢ちゃんは覚えていないんだろうなぁ。



「どっちが先に落ちると思う?」



火の玉が落ちるのも、恋に落ちたのも、僕の方が先だよ。



「夏夢ちゃん」


「なあに?」



上手く言葉が出てこなくて、バケツに視線を落とす。水面にはあの時のように月が映っていたけれど、そこに突き刺さるように黒く焦げた花火が沈んでいて心が苦しくなった。



「もう…」



その時



「わあ」



二人を囲むように蛍のようなものが飛び交う。

竹林の奥には、雨が降ると大きな池のようになる水たまりがある。そこから飛んできた蛍だろうか、と思ったけれどその正体は緑色に妖しく光る鬼火だった。

夏夢ちゃんにも見えてしまっているということは、昔僕のかけた忘却の術が色濃く残っている証拠だ。その状態で僕の記憶を取り戻すのは難しいだろう。

諦めの滲んだ声音で想は静かに告げた。



「さようなら」



今度こそ、迷いなく。彼女の僕に対する記憶を根底から消してしまおう。

前に同じことをした時は術のかけ方が甘かった。そうすることで、夏夢ちゃんが自力で思い出してくれる少しの可能性を望んでしまった弱い自分がどこかにいたから。

でもそれはだめだ。

彼女は人間で、今の僕は紛い物の人間だから。いつか綻びが生じてしまうだろう。

彼女に思い出してもらえなければ、僕は───それでもいい。彼女が苦しまずにこれからも生きていけるなら、それで。

あの時と同じように後頭部に手を当てようとしたところで、聞き覚えのある声がする。



「おーい夏夢…って流石に今回は倒れてたりしないか」



彼女を心配して引き返してきたのだろう。彼方君の声が鳥居の方から聞こえてくる。人がいないぶん、声がよく響く。

早く終わらせてしまわなければ。

そう思った時、目の前の彼女の様子がおかしいことに気がついた。



「…夏夢ちゃん?」


「迷子…彼方が迎えに来てくれて…。林檎飴をあげた…白いきつねさん…ああ、思い出した」



ぶつぶつと呟いた後、顔を上げた夏夢は目を見開く。



「想くんが人間に?」



感動のあまり涙がこぼれた。まさかこんな土壇場で思い出してくれるなんて。これは結ばれてもいいと赦しを得られたのではないだろうか。

強く強く彼女を抱きしめるも、彼女の手が背中に回ることはない。急に叫び声をあげた彼女は、泣きながら頭を押さえた。

痛いと訴える夏夢の周りには赤い靄が漂っていて、靄は悪魔のような顔をした想に姿を変えると、夏夢を見下ろしながら嘲笑っている。



「夏夢ッ」



夏夢の叫び声を聞きつけて、彼方も想たちのいる方へと駆けつける。

想を振り払うように夏夢に近づくけれど、夏夢は彼方が傍に来たことに気づいていない。

赤く染った術に囚われてしまっている。



「てめえ夏夢に何しやがったッ」


「……ねぇ、君にも見えるの?」



現在この世に生きる妖程度の力では、人間がその力を可視化することは出来ないはずだ。それなのに陰陽師でもないただの人間である彼にもこの靄が見えているなんて。

自分の持てる力がどれほど強力なものかを今初めて思い知った。そしてその力の鎮め方も同時に理解する。

けれどそれはあまりに想にとって残酷すぎるものだった。



「望んではいけないことを望んだせい…なのかな」



想がゆっくりと手から白い靄を発すると、それに呑み込まれるように赤い霧は少しだけ消えた。

己がどうすべきかを理解した想は、夏夢を横抱きにし本堂前の階段に横たわらせた。彼女の頭に両手を当てると、苦しんでいた彼女は意識を手放した。



「何してるッ」



掴みかかってきた彼方を軽くあしらう。完全なる人になれていたとしても、妖として生まれ持った力は保持したままだったようだ。

それを悲しく思う一方で、この力が残っていたからこそ今暴走してしまっているかつて自分がかけた術から彼女を救うことが出来るのだと思うと、複雑な気持ちだった。



「君は夏夢ちゃんのことが好き?」


「好きだ」



唐突な質問にも迷いなく答えた彼方に、想は眉を八の字にして嘆息する。



「君の知らない夏夢ちゃんを知っても変わらずに好きでいられる自信はある?」



何を言っているのかわからないといった様子で憤慨する彼方を手招く。



「あるならおいで。全て君にも見せてあげる。その代わり彼女には言わないこと、苦しめるだけだから」



両手を開くと、取り出して閉じ込めていた夏夢の記憶が中空に霧のように濃くなって広がった。

その中へ想は足を踏み入れた。

夏夢をひとり残すことを心配し渋っていた彼方も、「今は術が聞いてるから彼女の姿は誰にも見えていないよ」と想に言われ、何が起こっているのかを確かめ問い詰めるためにも、想の背中を追うようにして白い霧の中へと飛び込んだ。

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