第31話 もう笑うしかなくて

夏休みはどうして始まるまではとても長いのに、始まってからはあっという間に過ぎて行くのだろう。

今日は待ちに待った夏祭り、同時に夏休み最終日でもある。



「どうせ友はあの子と夏祭り行くんだろうし、これでいっか」



華やかな浴衣は丁寧にしまい、短パンに白いTシャツを洗濯バサミから外して、簡単な格好で外に出る。

夕暮れの花火が上がるまで友のドラマ撮影を見て行こうかと思い立ち、少し早めに家を出た。

撮影現場にはうちの高校の女子生徒が大勢いて、一箇所に群がっていた。それとは別に東京から来たと思しき友のファンも、色紙とペンを手に集まっていた。

今日はエキストラとして多くの人間に参加してもらうために、抽選で当たった人は浴衣を着ることを前提としてそこへ集められていた。

エキストラが必要な場面の撮影を終えたらクランクアップまで見学していてもいいことになっているらしいから、こんなにも人がごった返しているのだろう。

(こんなんで撮影できんのかよ)

こんなにも羨望の眼差しを一身に浴びるような男だったかと、撮影中の友に目をやった蒼はそのまま見惚れてしまう。

友の載った雑誌なんかは買っていたけど、実際に仕事をしている生身のあいつを見ると思いのほかキラキラと輝いて見えた。

それにしても…



「安っぽい浴衣ばっかだな」



浴衣ばかりの取り巻きの傍にいるのがなんだか嫌になって、そんな台詞を残して撮影現場をよく見下ろすことができる木によじのぼる。

まるで猿だなと思いながらも、これで目下の撮影の様子をひとりで眺めることが出来る。

(あんなとこにいたらあたし浮いちゃうし、猿でもなんでもこっちのがいいや)

よりにもよって恋愛ドラマだなんて最悪だと文句を垂れながらも、友の演技を食い入るように眺めた。

友とあの子の演技はまるで本物の好き同士のようで、もしかしたら演技ではない何かが滲み出ているのかもしれないと疑ってしまう。疑えば疑うほどつらくなって、不安になるばかり。

彼女に比べたら自分はがさつで、女らしさの欠片もなくて、可愛げがなくて。



「あたしなんか…ね」



幹に肘をついて頬杖をしながら、妙に納得してしまう。自分と友は到底釣り合わないのかもしれないと。

世の中にはあの子みたいな可愛らしい子が沢山いて、もし友が誰かを好きになるならきっと可愛くて素直でまっすぐな子なんだろうと、悔しいけど思ってしまう。

誰がこんな女を選ぶのだろうか。あたしが男ならあたしのことは絶対選ばない。

下手に告白なんかして気まづくなるより、友達でいた方がいいのかもな。

蒼はそんな風に思いながら、撮影現場から目を逸らした。




〇─〇─〇




神社の鳥居の下、多くの恋人同士がそこで待ち合わせをしていた。

相手がやって来ると微笑み合って人混みの中へ消えていく彼らをそわそわした気持ちで眺めながら、夏夢は想の訪れを待っていた。



「いい天気」



空は澄み渡っていて雲ひとつない。

屋台が始まるのはもう少し後だけど、神社でお参りする人や夕暮れの花火の場所取りで早めに訪れている人で既に境内は賑わっていた。

想くんを思うほどに何かを忘れている確信が強くなっていった。断片的に何かを思い出せたような気がしたかと思えば、激しい頭痛に襲われて痛みが納まった頃にはまた忘れている。そんなことの繰り返しだった。

浴衣を着て真剣な面持ちをした夏夢を見つけると、想は抜き足差し足で彼女に近づき「わっ」と驚かせた。



「ッ!、びっくりした…」


「僕も驚いた。早く来たはずなのに、それよりも早く夏夢ちゃんが来てるんだもの」


「待ちきれなくって」



どこか見覚えのある花火柄の浴衣を来た想が「行こう」と手を差し伸べてくれる。

夏祭りの前に竹林を散歩する約束をしていたのだ。夕日の差す竹林の眺めは綺麗なのだと、想くんが教えてくれたから。

お互い楽しみで約束の時間よりも早く来たことに、可笑しくなって笑い合う。

竹林に向かいながら、想は彼女の顔を覗き込むようにして屈んだ。



「今もまた頭痛そうにしてたけど、大丈夫?」


「ううん、さっきは考え事してただけ。心配かけちゃってごめんね」



さっきは。

想は夏夢が頻繁に頭痛に襲われていることを知る。が、あまり言及せずに黙り込む。





若草色と橙色の混ざった不思議な世界を、想くんと歩く。なんだか神秘的な景色に、わたしは置いてけぼりにされているような感覚になる。だけど想くんはその景色と共にあることが正しいかの如く、美しい双眸はなんの違和感もなくその風景に溶け込んでいた。

(綺麗だな…)



「夏夢ちゃん…?」


「ッ!。あ、なんか飛んでるよ」


「え、どこ?」



不意にこちらを見た彼に自分でもわかるほど顔が熱くなって、真っ赤になっている自分の顔を見られたくなくてつい嘘をついて彼の視線を別のところへ逸らしてしまうのだった。




〇─〇─〇




夕暮れの花火を映像に収めたところでクランクアップとなった。

衣装さんが用意してくれた浴衣はかっこよかったけど、やっぱり蒼の家で買う浴衣の方がいいなと思いながら、クランクアップの様子を見ていた子たちに手を振る。大半はココアちゃんのファンだろうけど、俺のファンがいるかもしれないから念の為。

今年の夏祭りは蒼を驚かせてやろうと思って、蒼が留守にしている間に呉服屋で新しい浴衣を新調した。

蒼のばあちゃんに「若いねぇ」と笑われてしまったけれど、蒼には黙っててくれると約束してくれた。

団扇を帯にさしたところで、ココアちゃんに声をかけられた。



「お疲れ様です」


「お疲れ様。あれ、浴衣着替えないの?」


「夏祭りに行くと話したら、着て行っていいと言われて。まあ買い取りですけど」


「そうなんだ。似合ってるしいいんじゃない?。よかったね」



彼女はフリルがあしらわれた派手な林檎飴色の浴衣に、黄色い帯を締めていた。

彼女に良く似合っていたけれど、友の中で一番可愛いと思うのは、白菫色と竜胆色の浴衣だった。普段よりもうんと大人びて見えて、とても好きだ。

そういえば蒼は撮影を見に来てくれなかったのかな。



「夏祭り、一緒に行ってくれるんですよね?」



曖昧な返事をし続けていたから、いつのまにか一緒に行く方向で話が進んでしまっていた。今更楽しみにしているものを断ったら可哀想だし、案内くらいはしてあげよう。

わかったよ、といいかけたところで──



「ひゃっ…」



変な声とガザガサという激しい葉擦れの音が頭上から聞こえ、思わず見上げる。そこには木から落っこちそうになるのをぎりぎりで回避している蒼がいた。

思わずため息を吐きながら、木の根元に近づく。



「何やってんだよ」


「こ、ここから夕暮れの花火綺麗に見えそうだなーって思いつきで登ったんだけどさ。今見終わって降りようとしたら事故が…」



器用に木から下りてきた蒼はココアの鋭い眼光にいたたまれなくなり、またしても逃げるようにその場を去ろうとする。



「二人とも浴衣似合ってるね、お似合いって感じ。じゃああたしはこれで…」



走って行ってしまう蒼を追いかけようとすると、ココアちゃんに腕を絡められた。



「蒼さんはお友達と行くんですよきっと。だから私たちも…」


「ごめん」



彼女の手を解くと、下駄では埒が明かないと思い脱いで蒼の背中を追った。

去っていく友の背中を、ココアは歯を食いしばりながら見ていた。






「蒼っ」


「…」


「蒼、待てってば」



やっとの思いで手を掴んで振り返らせる。けれど直ぐに振り払われて、睨みつけられてしまう。

その目からは何故か涙が溢れている。



「どうして逃げるんだよ。お前らしくもない」


「あたしらしくいられないのは全部あんたのせいじゃんッ。あんたがあの子と一緒にいるからあたしは…」



そこまで言って黙り込んでしまった。肩を震わせる彼女は泣き声をもらすまいと唇を噛んでいた。

ふとある予想が立つ。もしそれが思い違いでなく事実なら大喜びしたいけれど、もの凄く自惚れた勘違いの可能性も捨てきれない。

からかうふりをして、彼女の真意を確かめてみることにした。



「まさか…さ、妬いてんの?」


「そうだよ、妬いてるよ。だってあたしあんたのこと好きなんだもん」



あまりに直球な告白に、動揺を隠せない。

脳の理解が追いつかない友に代わって、蒼はこれまで抱えていた思いを全てぶつけた。



「東京からやっと戻って来たと思ったら、非の打ち所のないあんな女の子も一緒で、あたしが傍にいられなかった期間の友をあの子が見てたんだと思うとたまらなく悔しくてたまらなかった」



しきりに涙を拭いながらしゃくりあげる蒼を一旦落ち着かせようとするも、伸ばした手を払われてしまう。



「あんたに選んでもらえる自信なかったから、言うつもりなかったのに!」



一通り言いたいことを言い切ると、その場にへたりこんでわんわん泣き出してしまう。

そんな蒼の前に友はしゃがみ込む。小石で擦りむけた足を蒼から見えないよう隠すように、膝立ちになった。



「馬鹿だなぁ」



一番にその言葉がこぼれていた。






小さい頃兄にいじめられていつも泣いていた俺を最初に助けてくれたのは彼方と夏夢だった。そこに蒼が加わってからはそれはもう大変だった記憶がある。

蒼は泣いてる俺を面白がる兄ちゃんたちを怒鳴って「謝れ謝れ」って泣いて怒ってくれたよな。

女の子に助けられる自分がカッコ悪く思えて、カッコイイ男になるために自分磨きして。ヘアアレンジが得意になったのもその延長線って感じだったし。

いつか蒼が頼ってくれるような男になれたらって思って色々頑張ってたら、モデルになりたい夢も見つかって。全部が全部蒼のおかげなのに。

こんな俺のこと、蒼は泣き虫な幼馴染としか見ていないんだとばっかり思ってた。変に告白して振られたら立ち直れそうにないし、もう少し自分を磨いてたらっていうのを繰り返してるうちにこんなに時間が経っちゃって。

地元に戻って蒼に彼氏が出来てたらどうしようって内心穏やかではなかったけど、蒼も同じ気持ちでいてくれたのかな。

(やっぱり俺ってかっこ悪いな)


俺は知ってる。

いつも虚勢を張ってるけど、本当は一番寂しがり屋なとこ。

俺はずっと前から知ってる。

蒼が誰かのために強くなれる優しい子だってこと。

俺だけが知ってる。

蒼の可愛いところ。

ずっと前から好きでした、なんてドラマの台詞を借りる訳にはいかないけど。



「俺も蒼が好き」



泣きじゃくる蒼は「…は?」と驚いたように顔を上げた。ひどい顔、と涙を拭ってやると蒼はごしごしと腕で涙を拭って鼻声で笑った。



「女子に言う言葉じゃないから」



蒼が泣き止むと、お互いが気になっていたという話題になる。



「はぁ?、幼稚園?。もっと早く言えよ」


「てかお互い幼稚園から今までずっと好きで、お互いに気づかなかったって普通にやばくね?。鈍感すぎでしょ」



何年も伝わらなかった思いが通じ合い、それがそんなに昔からだったことを知って、愕然とするよりも先に笑いが込み上げてきた。

二人はなんだか可笑しくなってしまって、蝉さえ驚くほどしばらくの間笑い転げていたのだった。

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