第29話 揺さぶられる不安感

夏休みはもうすぐそこだった。

学校の掲示板にも当たり前のように夏祭りのポスターが貼り出されていて、生徒たちの話題は今年着る浴衣や出店する屋台の話でもちきりだった。

わたしも廊下でそのポスターを見上げていると、蒼ちゃんに声をかけられた。



「なーつめっ」


「なあに、蒼ちゃん」


「今年も一緒に行くでしょ?、夏祭り」


「あっ、えっと…」



せっかく誘ってもらったのに申し訳ないけれど、今年は想くんを誘って二人だけで行きたいと考えていた。二人だけの方が、何かを思い出せるような気がしたから。

だから蒼ちゃんの誘いは断ることにした。



「ごめん、今年は想くんと二人で行こうかなって考えてて」


「そっか、それじゃあ仕方ないね。彼方と友に言っとくよ」


「ごめんね、ありがとう」


「あいつ一緒に行ってくれるといいな」


「うんっ!」



そのまま自分の教室に戻って、想くんの座る席へ向かった。彼は頬杖をつきながら窓の外を見ていて、どこか浮世離れした雰囲気を放っていた。

実は同じクラスの子たちが話しているのを聞いて、想くんのことを夏祭りに誘おうとしている子が多いことは知っていた。

(もしかしたらもう誰かと約束しちゃってるかな…)

不安を打ち消すように頭を横に振って近づくと、わたしに気がついた想くんがふわりと微笑んでくれる。



「どうしたの、夏夢ちゃん」


「今度の夏祭り、想くんと一緒に行きたいなって思って。…どうかな」


「いいよ。それに…」



胸ポケットから取り出した小さなチラシを広げて見せてくれる。



「今僕ずっと、どうやって夏夢ちゃんを夏祭りに誘おうか考えていたところなんだ」



クシャクシャになったチラシから視線を上げて目のあった二人は、照れくさくなってお互いにくすくすと笑いあった。




〇─〇─〇




廊下をとてつもない騒音が通ったと思ったら、蒼が俺の席まで騒がしく走って来る。

(相変わらず騒々しいやつ)



「彼方ッ」



ここ最近、俺と蒼が付き合ってるんじゃないかなんて馬鹿げた噂が流れるくらい、しょっちゅうこいつは話しかけてくる。

女の子の中で人間関係を構築するのが苦手な蒼は夏夢がいないと俺としか基本しゃべらないし、俺は俺で友達という友達が少ないせいで話し相手になれてしまう。それが噂の原因か。

それに今はお互いにお互いの想い人のことで気が気じゃないから常に情報交換をしている。

蒼は友から直接聞けないし、俺も夏夢に直接色々聞いたら鬱になりそうだったから。

決して恋人だと勘違いされる要素なんて全くないはずなのに、色恋沙汰に興味津々な生徒たちの目のフィルター越しにはそう見えるのだろう。困ったものだ、本当に。



「言いずらいんだけど…」



友が夏祭りに来れないどうしよう、とかそういった相談だと思っていただけに意表をつかれた。



「夏夢、例の想ってやつと夏祭り行くって。しかも二人で」


「え」



一度冷静になろうと瞼を閉じれば、そこには昔の記憶が蘇る。

前にもこんなことがあった。夏夢だけ途中で好きなやつと合流した夏祭り、あの時は俺が背中を押してしまったから仕方ないし最終的に夏夢が本堂の裏で倒れていてそれどころではなかった記憶がある。

けど今回は、今回こそ…

(夏夢を誰かに取られるのか?)

いつもどこか余裕があった。幼馴染である自分と一緒にいるのが楽で夏夢は俺から離れることはないと、何の根拠もない自信がずっと。

このままじゃ想ってやつに夏夢を取られる。

不意に吐き気がして胃から何かがせり上ってくる嫌な感覚を覚える。



「彼方ッ!?」










「あたし、授業だから。精神的なとこからきてるやつみたいから、あんたはゆっくり寝てなよ」


「悪いな。このことは…」


「夏夢に?、言うわけないでしょ。そんな理解のない女じゃないよあたし」


「そうだな、ありがとう」


「どういたしまして。じゃね」



そう言って保健室を出て行く蒼。

好きなやつを取られるかもしれないなんて焦っても、一度振られている身としてはもうどうしようもないことくらいはわかってる。

それなのに踏ん切りがつかなくて、夏夢と想が恋人になった想像をして吐くとか…

(ダサすぎだろ、俺)




〇─〇─〇




保健室を出て廊下を小走りで進んでいくと、友とばったり遭遇した。

今日は学校の一部の教室が撮影に使われると聞いていたし、もしかしたら会えるかもなんて想像してたけど、本当に会えるとは。

だけど彼方が夏夢のことであんなにまいってて、しかもそれが自分の伝えたことのせいだと思うと、今の状況を手放しに喜べなかった。



「今年の夏祭り、あんたはあの子と行くの?」


「あの子って、ココアちゃんのこと?」



頷くと、帰ってくる答えを恐れて心臓が早鐘を打って苦しかった。



「誘われてはいるんだよね。夏祭りの前日まで撮影詰め詰めだから、その日くらい夏らしい思い出作りたいーって」


「行くの?」



自分でも驚くような頼りない声に、友に訝しく思われるのではないかと焦る。が、友は友で俯いていて、感ずかれていなさそうで安心する。



「俺は…」


「友、ここにいたんですか」



顔上げて何か言おうとしたのを、あの子の声が遮った。

ココアちゃんの声が聞こえて、絶対情けない表情をしている自分の顔を彼女に見られまいと、咄嗟に壁側へ顔を背ける。

それでもいたたまれなくなって、トイレと言ってその場から逃げ出してしまった。

トイレの個室に鍵をかけても、廊下にいる二人の会話の続きが聞こえてしまう。

耳を塞ぎたい自分と、友があの子の誘いを断ってくれるかもしれないという期待から耳を塞ぐ手が緩んでしまう。



「夏祭りの件、考えてくれましたか」


「あーそのことなんだけど」


「楽しみにしてます、私。生まれてから一度も夏祭り行ったことないので」


「マジで!?、一度も!?。参ったなぁ…」



震える唇からもれそうになった泣き声を、両手で必死に押さえる。

あたしはいつも逃げてばっかり。それに男勝りで素直にもなれないあたしと違って、あの子は可愛いし逃げないで友に自分の気持ちをはっきり伝えられてる。

あの子が友に出会うまで嫌っていうほど長い時間があたしにはあったのに、気持ちを伝えられないままずるずるとここまできちゃった。

こんなあたしよりあの子の方が友にぴったりだって思うけど…思うのに、好きな気持ちはそう簡単にはやめられない。

(あたしなんか…)





結局、授業をサボってしまった。

トイレの鏡で自分の顔を見れば、そりゃあ教室になんて戻れるはずもなくて。



「目、腫れてんなぁ…。早退しちゃおうかな」



授業中で人なんていないだろうけど、恐る恐る半身を出して廊下に人がいないか様子を伺うと、廊下の壁に背中を預けて腕を組んで立っている人物がいた。



「嗤ってよ」



彼方は二人分の鞄を片手に、あたしの頭を引き寄せた。



「たまにはいいと思うぞ」



やっと落ち着いたのに、また目頭が熱くなる。

今くらいはキャラとかそんなこと気にせずに、人前で「つらい」って堂々と泣いてもいいかな。

友の前でもこんなふうに素直になれたら、どんなに楽か。

彼方は静かに「お前も早退するって伝えた」と言って、それ以降は何も言わずに一緒に帰路を辿ってくれた。

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