第24話 おしろい花の苦悩
放課後の弓道場。屋内とは言っても的の並ぶ外と中が隣接しているせいで、冷房はつけても意味がない。
いつ買われたのかわからない旧型の埃をつけ黄ばんだ扇風機がカタカタと危なっかしい音をたてながらなんとか動いているのみだ。
そんな僅かな涼を得ながら、彼方は部活に励んでいた。
「チッ」
今日はどうしても矢が的を外れてしまう。
夏夢の心にお前の存在は恋愛対象として刺さらないと嘲笑われているような気がして、増々苛立たしさが込み上がってくる。
「珍しく荒れてんなあ、彼方」
「…先輩でしたか」
「うわ、何そのこっわい顔。どうした、甘いもんでも食うか?」
不機嫌であることを悟られないように何とか平静を装ったつもりだったが、どうやらその試みは無駄に終わったらしい。
先輩はあまりの暑さに部活の最中ではあるが、あいすを買いに行ったらしい。
いくつか買った物のうちの一つを袋から取り出し、「いるか?」と差し出してきた。
「大丈夫です。俺あいす苦手なんで」
「残念。なら今日はもう帰れ。上手くいかない時に何度も何度も繰り返しやってもな、フラストレーションがたまる一方だ。わかるよ俺も、そういう時あるし」
「すみません。じゃあ今日はこれで、お先に失礼します。お疲れ様でした」
「うん、お疲れ。ゆっくり休めよ。なんか悩んでんなら遠慮なく相談しろよな!」
人はいいのだが、なかなかに暑苦しい先輩に頭を下げて更衣室へと向かった。
今日も夏夢はあいつとでかけているのか、と勝手に嫌な想像だけがふくらんでしまう。それを振り払おうと頭を振っていると、前を見て歩いていなかったせいで誰かにぶつかってしまったようだ。
「ごめん…あ」
「いえ、こちらこそすみません」
友と一緒に東京から来たという女の子だ。
友と再会した時にソファに座っていて話しかけようとしたのだか、そのタイミングで先生にみつかり予鈴も鳴ったものだから名前を聞けずにいた。
だけど教室で蒼がめちゃくちゃ怒りながらこの子の話をしていて、自然と名前を知ることが出来た。
「彼方さん、ですよね?。友から伺いました。この時間だと部活帰り…にしてはお早いようにも思いますが」
「ちょっとな。あんたこそ、マネージャーとかと行動しなくていいの?」
「撒いて来ちゃいました。マネージャーといると窮屈なので」
そう話す彼女が握る携帯は、先程から着信を知らせる音が鳴り続けていた。
察した彼方だったけれど一応「出ないの?」という意を込めて顎で携帯を指すが、ココアはそれに対して首を振る。
「危ないからって自由にさせてくれないんです。ロケ地であるこの土地や、ここに住んでる人たちの様子などの雰囲気を見て回って知っておきたかったんですが…流石に電話、出ないとまずいですかね」
「ふーん」
仕事に対して真面目な子なんだな、と思いながら彼方はココアの携帯を取り上げる。
「ちょっと、何するんですか」
「任せな」
ふっと余裕な笑みをこぼした彼方に、ココアは携帯へと伸ばしていた手を下ろす。
「あ、もしもしマネージャーさんでしょうか。僕主演の友の友人の彼方と申します。ご心配でしょうから友の方に確認を取っていただいても構いませんよ」
長い沈黙の後、彼方が話し出すのをココアは黙ってみつめていた。
「ええ、そうなんです。マネージャーさんがご一緒の方が安全なのは承知しておりますが、あまり目立ちすぎると彼女の目的を達成できないかと…はい、仰る通りです」
心配性を拗らせたマネージャーとここまで会話出来るなんて、とココアは内心驚きながら通話が切れるのを待った。
「どうなりました?」
不安そうに尋ねる彼女に、彼方は「これ今日着てないからきれい」と言って、持っていた自分のジャージを手渡した。
「んーこれじゃまだココアだってわかるか」
「あ、あの…」
服の上から素直にジャージを着たココアは変装しているというより、撮影感が出ている。
これではココアだと周囲に気づかれてしまうだろう。
通りかかったおばさんを呼び止めた彼方は、道の反対側にある帽子屋からキャップのついた帽子をひとつ選んでココアに被せた。
「ココアに変装するもん貸してって言ったら、好きなのくれるって」
「でもこれ商品…」
「役に立つならプレゼントするってさ。うちの地元大分寂れてるから、ドラマの撮影地になってくれて助かってるとこあるんだよ。だから気にすんな」
その帽子を目深に被ると、ココアは帽子屋のおばさんにお礼を言って彼方の後に続いた。
上下ジャージで帽子を被っていればココアだとはバレないだろう。
「完璧な変装して、人気のある安全な道を通り、俺が目を離さないのであればいいってさ」
「そうですか。交渉してくださってありがとうございます」
「でもまあ、あの感じだと時間の問題だろうな」
「共感していただけて何よりです」
おしろい花の咲く細い小道に彼女を連れて行く。車通りがなく地元の人間が近道としてよく使う道だった。
この地の雰囲気を知りたがっている彼女を案内するのにぴったりの場所だ。
「素敵なお花ですね」
「おしろい花っていうんだよ」
「おしろいってあの白粉からきてるんですかね」
「はは、そこまではわからない」
ココアは気に入ったそれをいくつか摘むと、高い位置で結ばれた左右のツインテールの根元に挿した。
「似合ってます?」
「…あ、ごめん何?」
「私に似合っているか尋ねました」
「ああ、似合ってる似合ってる。美少女と花って感じ」
おしろい花を眺めながら昔夏夢とこの花の種を集めて数を競ったことを思い出していた。
上の空な彼方を見ていれば、鋭いココアにはなんとなく考えていることに検討がついた。
けれどその内容には触れずに、ココアは安堵したように苦笑する。
「彼方さんみたいなタイプは珍しい。一緒にいて楽です」
「珍しい?」
「だって彼方さん、私に興味ないですよね。そういう人は案外貴重なんですよ」
ココアに向けられる興味と言えば
好意
媚び
悪意
憎しみ
嫉妬
羨望
なんとも思っていないからこそ軽口で褒めてくれるような彼方や、心から褒めてくれるような友はココアにとっては珍しく思えた。
「俺普通に褒めたつもりだけど?」
「その普通が私には特別に思えるってことですよ。あ、好きとかじゃないですよ?、私が好きなのは友なので」
見た目から得ていた印象とは違ってなかなかにはっきりとものを言うココアは、彼方にとっても接しやすかった。
けどこの子が友に思いを寄せていることを少しだけ気の毒に思う。
(子どもの頃から一緒にいる蒼の気持ちでさえ気づけない鈍感だからな、あいつは)
「そんなもん?」
その後も時々なんでもない会話を交わしながら、学校周辺、人の集まる場所、住宅地の並ぶ道、神社と彼女を案内して回る。
何気ない景色から何を感じ、何を思っているのか。それは彼方にはわからなかったけれど、真剣な表情のココアは役作りのために見たもの全てを吸収しているように見えた。
蒼と夏夢には恥ずかしくて絶対に言えないが、友が出演するドラマの原作を読んだりもしていた。
小説の中に登場するヒロインは、話したココアの印象や見た目とは少し異なるような気がしていた。
けれど一緒に町を歩いていて驚かされた。
隣を歩く自分のジャージを着た女の子は、時々ココアではなくそのヒロインに見えることがあった。
小説の中で文章として語られるヒロインは、読んだ彼方の中で像を描き、その人物像と役に入り切っているココアが度々重なっていたのだ。
(これがプロの俳優ってことなんだろうな)
夕日が眩しくなってきたところで、痺れを切らしたらしい彼女のマネージャーがどこからともなく車で現れた。
クラクションが鳴らされ、背後を振り返る。
「迎えが来ちゃったみたい」
「あからさまに嫌そうな顔してやるなよ。マネージャーだってお前が心配なだけで、意地悪してるわけじゃねえんだから」
呆れて笑ってしまう彼方と、ふくれっ面になるココア。
「案内ありがとうございました。とても助かりました」
「どういたしまして」
マネージャーの運転する車の後部座席に乗車すると、しめたドアの窓を下げて遠ざかりながらも律儀に手を振ってくれる。
「有名人になるってのも大変なんだな…」
見えなくなるまで手を振り返しながら、彼方はそうこぼしたのだった。
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