第22話 夕立に振られて

入学式の日から数日が経ち、新しい生活にも少しずつだけれど慣れてきた頃。

一日の最後の授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響くと、生徒はまばらに教室から減っていく。



「行こう?」


「うんっ!」



この日は約束通り放課後に想くんと遊ぶことになっていた。

想くんと教室を出ると、廊下にはいつものように蒼ちゃんと彼方が待っていた。

そういえば想くんと出かけることを話し忘れていた。

いや、本当に忘れていたのだろうか、話してはいけないのではなかったか。

よくわからない想像に囚われる。



「来た来た…って、そいつは…」


「紹介してなかったよね。同じクラスの想くん。今日は二人で遊びに行く約束をしてて、前もって言うの忘れちゃってた。待っててくれたのに、ごめんね」



しきりに彼方をちらちら見上げる様子のおかしい蒼ちゃんは、はっとしたように「なら仕方ないね、あたしたちだけで帰るわ」と彼方の腕を掴んで引っ張っていく。



「どうしたんだろう。二人ともちょっと様子が変だった」



そう言って隣の想くんを見上げれば、廊下を去って行く彼方の姿を目で追っていた。



「どうかした?」


「ううん、なんでもないんだ」



彼方のことを見て知っている想は、疑問符を浮かべる夏夢の手を取り誤魔化すように「行こうか」と歩みを進めた。




想と夏夢は近所の公園に来ていた。

妖狐だった時分に、あの桜の木から見える景色の中にこの公園が見えていた。

もしも人間であったら結界を越えて遊びに行ける場所なのだと思っていた想は、夏夢とここに来てみたいと密かに望んでいた。



「想くん」


「ん?」



座ったブランコを少しだけ足で揺らしながら、想と目が合うと恥ずかしそうに俯いた。



「…って、前にも呼んだ気がするんだ。そんなはず、ないのにね」



はは、と力なく笑う彼女のブランコの鎖を握る。その手には自然と力がこもった。



「呼んでくれたよ」


「え?」


「その優しい声で、僕のこと」



戸惑う夏夢の表情を見て、まだ思い出せないかと少しだけ肩を落とす。

落胆していることを悟られないように、彼女が腰掛けているブランコを後ろから軽く押して揺らす。こうしていれば夏夢ちゃんに表情を見られないから。

この話題はお終いだという想の気持ちに答えるように、空からしとしとと小さな雨粒が降り注いできた。



「雨かな?」


「これは…夕立だね。直ぐに止むよ」




〇─〇─〇




珍しい組み合わせでの帰宅途中、急に降り出した雨に傘を持ってきていなかった蒼は準備のいい彼方の持っていた折りたたみ傘に入れてもらう。

肩を濡らしている彼方の顔をそっと盗み見れば、心ここに在らずといった表情をしていた。

夏夢の周りに男(友を除いて)が近づくと昔からこういう顔をする。

彼方のことを瞳をハート型にして好意的に見ている周りの女子からはポーカーフェイスでミステリアスなんて言われているけど、本当のところは夏夢が取られないか心配になりながらも行動に移せないヘタレだということをあたしは知ってる。

今もきっと、白髪のあいつが夏夢との距離を彼方が思っていたよりも早く縮めていることに焦りを感じて、内心気が気じゃないはずだ。

早く告白して振られるか円満になるかすれば楽だろうにと思う反面、じゃあ自分はどうなんだよというブーメランを食らう。

簡潔に言えば、あたしと貴方は似ているのだ。素直じゃなくて、恋愛に臆病。



「小さい頃」



不意に話し出したことに驚くあたしにはお構いなしに、進行方向を見つめたまま彼方は続けた。



「夏夢が好きだったのはあいつなのかもしれない」


「は?」



小学校、中学校に想という名前の生徒はいなかった。となると、必然的に同じ地元の人間ではないことになる。

でもずっと地元で暮らしてる夏夢とあいつが出会う機会なんて…



「あ」


「うん、ここの夏祭り割と有名だろ?。地元の人間じゃなくても遊びに来るし、その時に知り合ったんだと思う」



夏祭りの際出会ったのであれば、相手は夏休みを利用してここへ訪れたはずだ。であれば、今までどれだけ誘っても一緒に夏祭りに来なかったのにも頷ける。きっとあいつと回ってたんだ。



「夏夢が、いるからうちの高校を選んだ可能性すら否めない」



なんと言っていいかわからず、強くなってきた雨を降らす曇天を見上げた。

すると唐突に衝撃的な言葉が彼方から放たれた。



「言ってなかったけど、気持ちは伝えてあるんだ」



初耳だ。

なんでそんな大事なことを話してくれないのだと問いかける必要はなかった。恐らく振られてしまったのだろう。

付き合うことになっていたら、あたしに執拗く自慢してきそうだし。

告白して振られてもあたしが気づかないくらい、何事もなかったかのようにいつも通り夏夢と過ごしてたのか。



「諦めてないって顔してるけどね」


「そりゃあな。夏夢と一番長く一緒にいたのは俺っていうのを免罪符に、勝手に大丈夫だと思ってた。いつか振り向いてくれるだろうって…甘えてたよ」



彼方の瞳が揺らぐ。こんな顔したこいつを見るのは初めてだった。



「毎年夏にしか会えない特別さの方が勝るのかって、今更ちょっと焦ってきてさ」



正直どうしたらいいのかわからなくなった、と話す彼方はらしくなかった。だからといって励ます言葉もみつからず、口を噤むことしか出来なかった。




〇─〇─〇




ひさしも何もない公園から雨に濡れない場所を探すもなかなかみつからず、結局夕立が通り過ぎるまで雨に濡れることになってしまった。

短いとはいえ降水量がそれなりにある夕立に振られた僕らは、お互いを見て思わず笑ってしまうくらいびしょ濡れになっていた。

それでも楽しそうに笑う夏夢ちゃんのシャツから透けた肌に、目のやり場に困った。



「もう通り過ぎたみたいだね」


「降ってる時間はそれほど長くないのに、とんでもなく降るから困っちゃうよね」



灰色の雲の隙間から晴天が覗く。

新鮮な空気と、清涼感のある太陽の光が木漏れ日の間から二人を照らした。



「夏は空が近くて届きそう」



淡い光を浴びながら空に向かって手を伸ばす夏夢に、想は静かに見惚れていた。





夏夢ちゃんの提案で、急遽彼女の家にお邪魔することになった。

というのも、あまりに濡れてしまったため、夏とはいえ体を冷やして風邪でも引いたら大変だと言われてしまった。

初めは遠慮した想だったけれど、夏風邪は長引くからと心配してくれた彼女に説得されてしまったのだ。

夏夢の家に上がった想は、目に映る見慣れない内装を思わずぐるりと見回してしまう。

人間の住む家というと、かをるのいる陰陽師寺の和室しか知らない想は、フローリングの床を恐る恐る歩いた。

まるで凍った石畳の上のようなのに、見た目は温かみのある樹木だな、と心の中で感想をこぼす。



「今タオルを持って来るね。二階にわたしの部屋があるから、そこで待ってて」


「ありがとう」



そう言って廊下を進んでいく夏夢ちゃんは濡れてしまった靴下を脱ぎながら、タオルを閉まっている場所──洗面所という場所へ向かって行った。

滑りそうな足元に注意しながら階段を上る。いくつかの部屋がある中で、夏夢ちゃんの部屋と思しき部屋の扉には可愛らしい飾りつけがなされていた。

中へ入ると、そこに広がる空間は可愛いらしくも落ちついていて、なんとも彼女らしい慎ましやかな印象を受けた。

ベッドには大きなクマのぬいぐるみ、壁には友達と写った写真を画鋲で沢山貼りつけてあった。



「あ…」



勉強机の横、そこには小ぶりな金魚鉢が置かれていた。三年前に二人で回った夏祭り、その際夏夢が掬った金魚が中で元気よく泳いでいる。



「お待たせ」


「夏夢ちゃん、この金魚って…」



タオルを持って部屋へやって来た夏夢ちゃんに思わず尋ねる。

記憶がなくなっている彼女にとって、この金魚たちへの認識はどう変化してしまっているのだろう。

その答えを聞くのが少し怖くて、彼女の目を見て問うことが出来なかった。



「この金魚は大切な金魚なの。だってこれはわたしと想くんが…」



思い出したのか、と思ったその時。急に頭を押えてその場にうずくまる夏夢ちゃん。

苦しそうに頭を押えては、「金魚」「わたし」「想…くん」「わからない」とでたらめな呻き声を出している。

咄嗟に彼女に駆け寄り顔を覗き込み、名前を呼ぶ。

すると痛みが引いたのか、強く瞑られていた目が開かれてぱちりと目が合う。



「大丈夫?」


「なんだか急に頭が痛くなっちゃって」



思い出したようにタオルを渡してくれる。

想は髪を拭きながら浮かぶ疑念の答えを見つけられずにいると、不意に夏夢の晴れやかな声が耳に入る。



「想くん、窓の外見てっ!」



それまでの調子を取り戻した彼女の指さす方に視線をやれば、空に大きな虹がかかっていた。



「きれいだね」


「そうだね」



彼女によって窓が開け放たれた途端、柔らかな風に乗ってきた雨の香りに包まれる。



「…雨の香りだ。好きなんだ、僕」



夏夢は驚いたように、虹に向けていた視線を想に向けた。



「想くんにもわかるの?、雨の香り」


「少し寂しい気持ちになるけど、なんだか落ち着く香りのことであってるなら」


「っ…そっか。わたしも好き、雨の香り」



夏夢はどこか嬉しそうにはにかんだ。

夏夢ちゃんの傍にいられる。今は叶っている夢だけれど、彼女が僕との記憶を取り戻せなければ僕は────

そうならないためにも、彼女には思い出してほしい。僕のことを。

想が夏夢を見つめる遥か向こうの空では、忘れられていくように虹が薄れて空の色へ溶けていった。

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