第18話 待ちわびた新学期

若草色のカーテンを開いて窓を開ける。新鮮な青い空気を沢山吸い込むと、まだ眠たがっていた体も目を覚ます。

空を見上げれば、真っ白な雲がわたしの待ちきれない気持ちのリズムに乗せて、どんどん先へと流れていく。

鏡の前に立つと、真新しいクリーム色を基調とした制服を着た自分が映る。



「ちゃんと高校生に見えるよね?」



金魚鉢の中を仲良く泳いでいる金魚たちに問いかけると、小さなあぶくをぷくぷくとさせて肯定してくれているような気がした。

待ちわびた新学期。

ドキドキして昨日はよく眠れなかった。

早く春休みが過ぎればいいのにと思ったのは生まれて初めてだった。というのも、今日から通う高校は地元の子以外の子も多く入学する。みんな行きたい大学に強い高校を選ぶため、そういう子たちが入学してくるから新たな出会いに胸が弾む。



「夏夢ー起きてるか。そろそろ行くぞ」



窓の外から声がして、窓に少しだけ乗り出して家の前の道を見下ろす。

そこには同じ制服に袖を通した彼方が待っていた。



「今行く!」



晴れて高校生になったわたしたち。

友君が東京へ行ってから三年が経つ。いつものように彼方と呉服屋まで道を下っても、自転車を引いた友君がそこに居ないのは未だに慣れない。

蒼ちゃんはのれんをくぐって出てくるなりため息をついた。



「どうしたの蒼ちゃん、元気ないね」


「友がいないのがさ…」



三人の間に重たい沈黙が続いたけれど、最初に切り出したのは彼方だった。



「今頃東京の高校に入学してんだろうな」


「お仕事と両立しながら勉強も頑張るんだって電話で話してたもんね」


「けど長い休みもこっちに戻って来れないなんてことある?。東京が思いのほか楽しくて、あっちで作った友達と遊んでんのかも」



冗談めかして言う蒼ちゃんだけど、明らかに落ち込んでいるのが見て取れた。



「思ってた以上にお仕事が立て込んじゃって、それは凄く嬉しい悲鳴だって言ってたよね」


「その分なかなか帰省するのが難しいって、あんだけ嘆いてたの聞いてなかったのかよ」


「聞いてたよッ!。忙しいのはその分夢が叶ってるってことだから、それは喜ばしいことなんだけど…」



彼方がフォローを入れたけど、蒼ちゃんの表情は晴れることのないままで。彼女は語尾を濁していた。

道を挟むようにして聳える桜並木が、慰めるようにさわさわと春風に揺れている。

気持ちを切り替えたらしい蒼は無理やり作った笑顔を夏夢と彼方に向けた。



「同じクラスだといいな!」


「うん!」


「マジで、中学より近いな高校」


「え、もう着いたの?、マジ?」



見上げると、見慣れない大きな校門が夏夢たちを迎えた。




〇─〇─〇




夏夢たちが校門をくぐるのを、桜の木の影からそっと覗いている人物がいた。

彼は自分の姿を今一度確認する。クリーム色の制服に、焦げ茶の靴とスクールバッグ。珍しい白髪は続々と学校の校舎へと向かう他の生徒の目を引いた。

(よし、大丈夫)

彼は人間としての一歩を踏み出した。



遡ること三年前。

想はかをるに懇願した。

人になりたいと。

一度は諦めた夏夢と共にありたいという夢。それを叶えたいと強く願った。



『…いつかその言葉を聞く時がくると思っていたよ』



かをるはその願いを聞き入れ、書庫から持ち出した術の記された書を徐に開いた。



『いいかい想、人になるということは同時に妖狐でなくなるということなんだ。人に化ける術と違って、もう二度と妖狐には戻れない』


『覚悟は…出来てるよ』



妖狐でなくなるだけで夏夢といられるなら、想は喜んで生まれ持った姿を捨てる覚悟ができた。



『それに大きな代償も伴う。ある条件を満たせない場合、君は人でも妖狐でもない存在になってしまう。提示される条件は、術をかけ終わってみなければわからない』



それはすなわち、提示される条件が想い人を殺めよというものである可能性も拭えないのだ。

その場合、その条件を当然飲むことが出来ない想は、自然と人でも妖狐でもない存在になることが決まってしまう。

かをるは最悪の条件が出た場合の可能性も、想に包み隠さず話した。



『…それでも人になりたいと思う?』



頷いた想に、かをるも覚悟を決めてまじないをかけた。

その様子を竹林の方から滝が諦観の滲んだ目で、けれど少しだけ嬉しそうに見つめていた。

かつて滝が選びたくても選べなかった選択を、弟のように可愛がってきた想が今、自らの意思で選んだのだから。






かをるの全面的な協力の元、想は妖狐だったとは思えないほど正真正銘の人間へとなることができた。

ただ人となっても変わらないものもあったが、それは想の個性と捉えることにした。

かをるの元に身を寄せていた想は、かをるの采配でなんとか学校に通うことが出来ることになっていた。





校門をくぐる前に目を閉じ、三年前に受けたかをるの忠告を思い出す。





『もう一度確認しておくよ』



念を押すように真剣な面持ちで告げるかをるは、閉じた術書から顔を上げた。



『想、君が人であり続けるために課せられた条件はひとつ。来年の春までに、想が消した君に関する記憶を夏夢が自力で思い出すこと。それが達成されなかった場合君は…』


『わかってる』


『なら大丈夫だね。…頑張っておいで』



目を開ける。

自分のかけた術の威力は自分が一番わかっている。それでも、きっと夏夢ちゃんなら思い出してくれるはずだ。

これ以上ない羨望の眼差しを浴びていることにも気がつかないほどに、想は夏夢のことばかり考えていた。

そんな想もやっと校門をくぐったのであった。



〇─〇─〇



広い体育館に在校生と新入生が、並べられた年季の入っているパイプ椅子に座っている。

正面右のピアノの横には、司会進行役の生徒と教師が落ち着きなく腕時計を見ては、最終確認を行っていた。

生徒のさらに後ろへ座る新入生の家族や教師陣に見守られながら、ピアノの軽やかな演奏と共に入学式が始まった。



「夏夢だけ別のクラスになっちゃったな」


「ああ」



座席はクラスごとに分けられていて、案内されて座った位置で大体同じクラスになる面々が予想できる。

隣同士に座った彼方と蒼の左斜め前方、四列ほど離れた席に夏夢が座っていた。

ふと夏夢の後ろの席の生徒に目が行く。染めているのかそれとも地毛なのか、見惚れるほどに美しい白髪の青年が夏夢になにやら話しかけている。



「なあ蒼」


「ああー」


「ああーってなんだよ」



引っかかる物言いをする蒼に早く続きを話せと催促する。



「すっげぇ美青年だな、あいつ。夏夢取られないように気をつけなよ〜?」


「そうだな」



やけに素直に頷く彼方に、調子を狂わせる蒼であった。

早々に入学式に飽きたのか隣で大きなあくびをする蒼を見て、「お前は呑気でいいな」と彼方は零した。

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