第15話 夕暮れの花火

夏祭り当日の午後五時ちょうど。

朝方は雨が降っていて夏祭りの開催も一時は危ぶまれたけれど、祭りを待ち望む人々の祈りが届いたのか午後にはすっかり晴れてしまった。

水たまりがところどころ出来た道を進みながら、蒼ちゃんの家へ彼方と向かう。

その道中、雨を含んだ生温い湿った風が鼻腔を掠めていった。



「わたし雨の香り好き」


「雨の香り?」


「うん」



上手く言葉には出来ないけれど、少しだけ寂しくなって心が締めつけられるようなそんな香りだ。雨が降る前後には、必ずこの香りがする。



「俺にはわからないな」



呉服屋へ到着すると、既に浴衣に着替えている蒼ちゃんがのれんをくぐって顔を出した。



「遅かったじゃん」


「あれ、けどまだ五時前だよ?」


「待ちきれなくて友は四時に来た」


「そういうところあるよなあいつ」


「ほら早く入って入って」



促されるまま入店し、新しい浴衣を求めてやってきたお客さんの対応に追われる蒼ちゃんのお母さんとおばあちゃんに「お邪魔します」と挨拶をする。

さらに奥の住居部分にある和室へ上がらせてもらい、蒼ちゃんのお父さんの仏壇に手を合わせる。どんどん先へ進んでいってしまうご機嫌な彼女の背中を小走りで追った。

彼方とわたしは隣同士別の和室へと通され、中で用意されていた浴衣に着替えるように指示された。



「請求は後回し。あたしは夏夢と一緒に入るから、彼方は上手く着られなかったら友に頼れ。早く来たあいつにはついでに浴衣の着方をマスターさせたから」



そう言って蒼ちゃんは襖を閉めた。

彼女がわたしに用意してくれていた浴衣は、薄紅色の浴衣と茜色の帯。控えめな柄がすごくわたし好みだった。

ごく自然に浴衣を着せてくれる蒼ちゃんはというと、白菫色の浴衣を着て竜胆色の帯と、寒色系がよく似合う彼女らしい浴衣だった。



「おーい男ども、着替え終わったかー?」



着替えを済ませたわたしが襖を開けて廊下に出ると、彼方の入っていった襖に向かって彼女は腰に手を当て仁王立ちになる。

背中に「まだか」と書いてあるようだ。

するとのそのそと彼方が出てきて、その後に続いて後ろ手に襖を静かに閉めた友君。

彼方は深い青を基調とした浴衣に黒の帯、友君は明るい黄色を基調とした浴衣に橙色の帯を締めていた。



「ふたりとも凄く似合ってるよ」



その後友君の得意なヘアセットをしてもらう。髪の毛をいじるのが得意だと言う彼に、蒼ちゃんとわたしは髪を上げ、可愛い髪型にしてもらった。彼方は編み込みをしてもらい、友君も自分でそうしていた。





夏祭りの屋台に赴く前に、ここ地元でしか上がらない夏祭り名物、夕暮れの花火を眺めるため、わたしたちは二階にある客室にいた。

夕日を背にしながらもその輝きが劣ることのない珍しい花火が上がるのを見てから、屋台を回ることにしたのだ。というのも、屋台の並ぶ道よりも、ここの方が木々なんかに遮られずに花火がきれいに見えるからだ。



「夕暮れの花火は地元でしか見られないので有名だから、特別な感じするよね」


「時々テレビでも取り上げられてるのを見るよ」


「東京では見れないのか…」



蒼と彼方が盛り上がる中、友は小さな小さな声で呟いたのを、夏夢は偶然聞いてしまった。

いつ蒼ちゃんに話すつもりなんだろうと心配していると、彼方に肩を揺さぶられる。



「上がったぞ」



見渡す限り橙色に染まった空に、寒色系の花火が次々と咲き始めた。

あまり沢山用意されていない夕暮れの花火は毎年見落としてしまう人も多く、今年こそはと足を運ぶ人でこの時間帯は混み合う。

もう少し時間を置こうと提案する彼方に対して、待ちきれないと言わんばかりに外へと飛び出していった友君と蒼ちゃんを慌てて追いかける。


境内へ繋がる長い階段を登っている最中、視線を階上へと向けたままの彼方が口を開いた。



「小さい頃さ、お前はいつも俺と俺の家族と一緒に夏祭り行ってたよな」


「そうだね」



共働き家庭だったわたしを気遣って、彼方のお母さんがわたしに浴衣を着せて夏祭りに連れて行ってくれていた。当然のように彼方のお父さんも一緒で、四人で夏祭りを回っていたことを何となくだけれど覚えている。



「お前ずっと無理して笑っててさ、どうやったら普通に笑ってくれるかずっと考えてた」



気がついてたんだ。夏祭りに来てても、両親が一緒に来れないのを寂しく思ってたこと。上手に隠してたつもりだったんだけどな…。



「でも結局笑わせることなんて出来なくて。けどさ…」



彼方は自嘲気味に笑って、階段を上る足を止めずに続けた。



「小二の時…だったと思う。お前は迷子になったのに、俺たちがみつけた時すっげえいい顔して笑ってたんだ」



横を歩く顔をこっそり盗み見る。彼方はわたしが何も言わなくても、想くんとのことに気がついていたのかもしれない。それもそんなに幼い頃にはもう。



「その時から俺は負けてたのかもな…」



消え入りそうな独り言は夏祭りの煌びやかな喧騒に溶けて、夏夢の耳には届かなかった。




〇─〇─〇




「遅いよ〜」



長い階段を上りきった場所にある大きな石造りの鳥居の下で蒼ちゃんたちは待っていた。その手にはラムネやチョコバナナ、頭には見知ったキャラクターのお面がつけられていた。



「射的やろ射的」


「ぼろ負けして泣くなよ」



友君と彼方が射的で競うのはもはや恒例行事なのだと、六年三人と夏祭りに来ていなかったわたしに蒼ちゃんは説明してくれる。

近所のおじさんやおばさん、小さな子どもたちも「始まった始まった」とどこからともなく声援を送っていた。








「くっそぉ」


「また来年も受けて立ってあげてもいいけど」



意地悪な笑みで煽る彼方に、悔しげな友君。その二人どちらにも、足を止めて戦況を見守っていた色とりどりの浴衣姿のギャラリーから拍手が送られた。



「わたしもやってみたい」


「ならあたしもやろっかな」



可愛いくまのぬいぐるみに狙いを定めて撃ってみるものの、的からは大きく外れてしまい四発とも芳しくない結果に終わった。

一方蒼ちゃんは、一発目で目玉商品の的に当ててしまった。

からんからんと射的の店主がベルを鳴らす。



「くはあ〜、一番値の張る景品持ってかれたなあ。彼方と蒼は店主泣かせだよほんとに」



と言いながら楽し気に嘆いてみせた店主は、一度も当てられなかった夏夢に飴玉の入った巾着を手渡した。



「残念だったね、また来年も挑戦してよ。はいこれ、参加賞」



お礼を言って、混雑し始めた射的の屋台から離れる。

鉄板で豪快に焼かれる焼きそばの屋台から香ばしいいい匂いがして、引き寄せられるようにそちらへ向かう。友君のお兄さん二人が頭にタオルを巻いて作っていたので、人数分買って早めの夜ご飯にすることにした。

他にも輪投げをしたり、盆踊りの輪に入ったりと楽しく過ごした。



ヨーヨー釣りをやっている一際大きな屋台で、どんな柄のものがあるかちょっとだけ覗いて見た。水玉模様に縞模様、市松模様に金魚の柄のものまで色々な柄が取り揃えられていた。

すると腕まくりをした蒼ちゃんが店主の一人に百円を払い、紙製の紐に金属のフックがついた小さな手作りの釣竿を受け取ると、ヨーヨーが浮かべられた大きなプールの前にしゃがみこんだ。



「あたしあの大きい黒いの釣りたい」



ヨーヨーの大きさにも種類があり、小ぶりな西瓜と同じくらいの大きさのものは片手で数えるほどしかなくて、その色はどれも異なっている。

手に乗る丁度いい大きさのものは、赤や黄色、水色に緑、紫に黒と色んな色がある。時々プールの底や水面にしぼんでしまったヨーヨーもあったけれど、それはお店の人がひょいっと手でつまんでゴミ袋へ捨てていた。



「俺もあれ狙ってたんだけど」


「早い者勝ちだよそんなん」



慌てて店主に百円を渡した友君も、蒼ちゃんの横にしゃがみこむ。

黒くて大きな水玉模様のヨーヨーを奪い合うように、釣具を水の中へ沈めては引き上げてを繰り返す二人の手元を、わたしと彼方は二人の頭上から覗く。

色とりどりのヨーヨーが浮かぶ水面には、わたしたちの後ろの道を行き交う人々の浴衣が映り込んでいた。ヨーヨーがまるで色鮮やかな水面の上で揺れているようで、思わず「きれい…」と感嘆と共に声をもらす。

その時、見知った浴衣が水面に映る。

輪郭が白くぼんやりしているのは、髪と肌が雪のように白いからではないだろうか。



「彼方…わたし」



お互いを邪魔して不毛な争いをした結果どちらの釣竿もフックと紐部分が分裂してしまった二人のことを苦笑しながら見ていた彼方は、夏夢の表情を見てみなまで言われずとも、彼女の気持ちの察しがついた。



「言って来い」



どんな気持ちで自分を送り出してくれたのか。

それを思うと心が痛んだけれど、水面に映った浴衣が消えた方へ向かう足は一度も止まることがなかった。















本堂の裏へ向かって走る。途中人混みに押されて上手く進めないでいると、不意に白くて冷んやりとした手がわたしの手をそっと握り、導くように引いた。

人の流れが落ち着いたところで、その手の持ち主が誰なのかがはっきりする。



「想くん…」



目の前にいる彼は、完全に人の姿だった。それなのにも関わらず、橙の提灯の灯りに照らされた彼は、どこか艶やかで妖しげな雰囲気を纏っていた。



「一緒に回るのは初めてだね」


「うん」



二人で並んで手を繋いで歩く。さっきもらった飴玉を袖口から取り出し、巾着の口を結っていた紐を緩めた。



「好きなの取っていいよ」


「じゃあ僕は水色の」


「わたしはこの赤いのにしようかな」



想くんが口にするのを見て、小さな飴玉を口に含む。口内に甘いいちご味が広がった。



「何味だった?」


「いちご」


「僕はラムネ味」



口の中で転がすと、歯にあたる小気味いい音がころころからからと鳴った。



「夏夢ちゃん」



呼びかけられた声はどことなく元気がないように思えた。



「なあに?」


「僕たちが出会った時のこと、覚えてる?」



忘れるわけがないよ。

あの夜迷って心細かったところに、想くんがいるのをみつけて安心したんだ。わたしの代わりに泣いてくれているようだった想くんを元気づけなければと、気づけば傍に歩み寄っていたのをはっきりと覚えている。



「お互い迷子になっちゃったんだよね」


「うん。けど今日は迷わずに夏夢ちゃんのところへ来れた。どうしても夏夢ちゃんに会わなきゃならなかったから」



その言葉に引っかかりを覚えたけれど、問いかけられることを拒むように想くんは伏し目がちに微笑した。

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