第11話 人になれたら
西瓜と花火のお礼を言って、かをる君と別れた後。僕らは別れがたくて、本堂の前の階段に腰を下ろした。
人の住む町からは、なんとも言えない美味しそうな匂いが漂ってきている。どの家も夕食時なのだろうか。
俯く夏夢ちゃんにどうしたのかと問えば、まだ家に家族は帰っていないと話す。
一人で夕食を食べている夏夢ちゃんを想像して、まだ帰さなくてもいいかなと思ってしまう。
一人で寂しい思いをしている夏夢ちゃんの傍に僕がいても、罰は当たらないだろう。
不意に目に止まった黒髪を人束すくい上げる。
「髪、長くてきれいだね」
「ありがとう」
何気なく放った一言だったけれど、思いのほか夏夢ちゃんは嬉しそうにしていた。
夜でもわかるほどに頬を赤く染めているのに、僕から目を離さないその瞳には月も映り込んでいた。
木々のざわめく音。日中はまとわりつくような生温い風も、夜になれば冷んやりとして頬を撫でる。
夏夢ちゃんが自分の腕を抱くようにさすっているのに気がついて、尻尾を彼女に巻き付けるようにして寄り添った。
「温かい」と言う呟きを聞いて、ほっとする。
「次はいつ会える?」
不意の質問に返答に迷ってしまったが、それはほんの一瞬だった。
「わからない。けど、今度こそ僕の方から君に会いに行くよ」
少しだけ寂しげに俯いた夏夢の頭をそっと撫でると、気持ちよさそうに目を閉じた。
「またね」
「またね」
狐である僕は仲間たちによって張られている結界の外へは行けない。
階段を一段一段振り返りながら下りて行く夏夢ちゃんに最後まで手を振って、その姿が見えなくなると力なくその手を下ろした。
後ろ髪を引かれながらも、竹林の方へと踵を返した。
先程まで夏夢と過ごしていた、胸を締め付けるけれどそれが心地いいような空間は、今はただの本堂前の階段に過ぎなかった。
夏夢ちゃんがいなければ、こうも世界は彩りを失うのかと気がつけば嘆息していた。
人の姿でいる必要もなくなり、想は術を解いて完全な妖狐の姿に戻る。
近頃は妖狐の姿に戻らなければならないことが苦痛に思えて仕方がなかった。
もし、人としてこの世に生を受けていたなら、夏夢ちゃんとどれだけ自然に、そして自由に過ごせただろうかと考えずにはいられない。
夏夢ちゃんとその友達と一緒に人間たちの住む世界で暮らす。人目を憚る必要もなく、自由に境内の外へ行ける。
駆けまわって泥だらけになったり、ぺんぺん草を摘んで遊んだり、ただ会うことですら当たり前に許される日常。
そんな世界を望まずにはいられなかった。
夏夢ちゃんの瞳に映っていた月も、今は雲が邪魔をして朧気な光だけを覗かせているだけ。
「人になれたらな…」
石畳に座り込みそんなことをこぼした想を、やはり幼い女の子を夜に一人で家に帰すのはと思い直したかをるは静かにみつめていた。
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