第8話 夏の赤、恥じらいの赤
夏夢は彼方と別れた後、神社へと続く気が遠くなるほどの石階段を休まずに駆け上り、境内の最奥にある陰陽師寺へと駆け込んだ。
ここはいつでも出入りが許されている場所のため、遠慮なく引き戸に手を添える。
平屋の建物なので廊下がとても長い。
想くんを探す前に、入口からすぐの和室でせかせかと持ってきていた浴衣に着替えた。
かくれんぼをした時に会った想くんは浴衣を着ていて、自分もお揃いでいたかったのだ。
この建物は昔、〝陰陽師の憩い〟という名前であったそうだが、立ち入った子どもの悪戯か、大人の単なる思い違いであったのか、いつの間にか陰陽師寺と名前を変えていた。
神社に寺があるという不思議について、特に誰も言及しなかったためそのまま放置されている。
昔は華道や茶道教室として和室を借りたいと申し出る者もいたが、今では子どもが遊びに来たり肝試しに来たり時々使われている程度だ。
陰陽師と呼ばれる人間が時々出入りしているという話は、最早七不思議と言われてしまうほど巷では現実味のない話となっているようで、わたしも会ったことがなかったから半信半疑だった。
若草色にさざめく竹林を一望できる長い廊下。そこに想がいる気がして、夏夢は小さな歩幅でいそいそと奥へ進む。
「わあっ」
「驚いた?」
音もなく現れた夏夢に腰を抜かした想は、口元に手をやりくすくすと笑う彼女にそのまま見惚れた。
心なしか頬が赤く染まっている。
「綺麗だね」
「想くんとお揃いがよかったの」
柄は違えど同じ浴衣を着た二人が、緊張からか廊下に向かい合って正座する。
「なんだか照れくさいね」
そう言って破顔した想につられるようにして、夏夢もまた頬を綻ばせてしまうのだった。
しばし見つめあっていると、想がはっとしたように立ち上がる。「こっちへ来て」と言うが早いか夏夢の手を引いてある和室へと案内した。
そこにはだらしなく寝そべった男の人がいた。長い睫毛に整った顔、白を基調とした浴衣に金の帯。
(きれいな人…一体誰だろう)
「紹介するね。この人は陰陽師のかをる君」
想がかをると呼ぶ人物は、彼に揺すられて今にも目を覚ましてしまいそうだった。
彼を揺すり起こそうとする想くんの手を慌てて止める。
「わたしといるところを見られて平気なの?」
夏夢の言いたいことを察した想は、一旦その手を止めて彼女に説明する。
「大丈夫。かをる君は僕らの見方だよ」
「そうだったんだ」
「好きな子と一緒にいたい気持ちはわかるからって」
その言葉を自分が口にしたことが恥ずかしくなってしまったのか、想はまるで林檎飴のようになってしまった。
艶やかな白髪と降ったばかりの誰にも踏まれていない雪のように白い肌に、うっすらと灯った赤が美しさを際立たせていた。
「わたしも好きな子と一緒にいたいって思うよ」
恥じらう想に対して思ったことを包み隠さず打ち明ける夏夢は、照れくさそうにしながらも幸せそうに笑いかける。
「…あ、暑いね」
湯気が見えてしまいそうなくらい一層顔を赤くした想くんが可笑しくて、つい笑みがこぼれる。
「ん、想君おはよう。随分赤いね」
のそのそと身を起こしたかをるは、想の隣にいる夏夢に畳の模様がついてしまった顔を向けた。
「こちらの可愛らしいお嬢さんは?」
「彼女は夏夢ちゃん。その…僕の好きな人」
仲睦まじく恥じらい合う幼い二人。
純粋で無垢で、飲んだ後ラムネの瓶の中から取り出せないエー玉のような、そんな寂しさのある関係。
かをるは複雑そうな表情を見られぬよう微笑み、目をこすって誤魔化すと「よいしょ」と立ち上がる。
「あー、ちょっと寝すぎたかな。いててて、聞こえた?。今腰が」
若々しい見た目に反して言動が老人のようだ。
そのギャップに少しだけ笑ってしまう。
「夕食後の甘味として買ってきた西瓜があるけど、お客さんも来ていることだし今食べまてしまおうか」
想と夏夢は目を輝かせてその提案に元気よく頷いた。
縁側に並んで腰かけ、かをる君の切ってくれた三日月形の西瓜にかぶりつく。
地面につかない足を下駄が落ちないよう加減しながらゆらゆらと揺らしながら、夢中で赤い宝石のようなそれを堪能する。
口の周りが赤くなったお互いの顔を見て、大笑いもした。
「二人ともどこまで飛ばせるかな」
隣に座っていたかをるは、そう言って四つの小さな目玉がこちらに注目するのを確認すると、食べながら舌で器用に果肉から取り出し口に含んでいた黒い種をぷっと飛ばした。
「神社の中でこんなことしてもいいの?」
「大丈夫。だって僕小さい頃からここでこれやってるから。
「じゃあ」と言った夏夢もかをるに倣って種を飛ばす。
彼の飛ばした種が落下した場所よりだいぶ手前で落下する。
「惜しいね」
「僕もやる!」
前のめりになった想が反則と言われながら飛ばした種は、あっけなく縁側のすぐ近くに落ちた。
その結果に愕然とする想が面白くって、かをると夏夢は励ましながらも笑いを堪えるのに必死だった。
すると尻尾をこちらに向けて、拗ねてしまった。
困ったなぁと思い、かをる君に助言を求める。
想がいじけていることを意に介した様子のないかをるは、浴衣の裾を控えめに引っ張られ、こちらを見上げる夏夢と目が合う。
「どうしよう、想くんいじけちゃった」
正直者の彼女が想のありのままの状態を口にしてしまったために、想は更に期限を損ねてしまう。
見かねたかをるは意地悪な笑みを浮かべて、あえて想に聞こえるような大声で夏夢に話す。
「そんな子にはきっと花火は出来ないね。僕と君だけでやろっか」
「「花火っ?」」
夏夢と想の声が重なる。
夏夢が何をしても石のように動かず拗ねていた想は、花火という言葉を耳にするとそれまでが嘘のように俊敏に振り返った。
「西瓜を買った時に一緒に買ったんだよ。でも想はそこでそうやって拗ねていたいんだよね?」
「嫌だよ、僕もやる。もう拗ねてないもん」
意地悪な物言いに、ムキになった想は必死に弁明した。
そんな意地らしい姿を見て「冗談だよ」と可笑しそうに笑うかをる君は、日が沈んだら準備をしようと提案した。
「もう日が暮れるね。夏夢ちゃん、親御さんにちゃんと連絡はしようね」
かをるに促された夏夢は返事をしつつも、しかし晴れない表情で携帯を取り出した。
帰りが遅くなると伝えたところで、両親の帰りの方がもっと遅いのだ。
この連絡だって見てくれていないのが画面を見ればわかる。
帰ってもおかえりを言ってくれる人はいないし、帰りが遅くなることを伝えなければ家で心配しながら待っていてくれる人もいない。
共働きの家庭に育った夏夢は、少しだけ寂しそうな横顔をしていた。
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