第3話 小さな心を引き裂く別れ
夏夢と別れた後、想は神社の敷地内にある竹林のある方へと帰った。
朝日の差し込む時間帯、そこは幻想的な空間となる。空気が住んでいて、雨の降った次の日には土の香りが立ち上る。夜になると神秘的なそれは一転、禍々しい雰囲気さえあるものだから、滅多に人が入ってくることがないので妖としては住みやすい環境であった。
想がもう境内も見えない竹林の奥へと足を踏み入れると、代々神社でひっそりと生きている仲間の妖狐たちに、滝と共に包囲された。
仲間たちの表情は険しく、怒りを顕にしていた。
これから話されることの内容が良いものでないことは、火を見るよりも明らかだった。
「滝にぃ、これは…?」
「わからない。大丈夫、俺の後ろにいて」
「こわいよ…」
情けない言葉が漏れたのを最後に、仲間から告げられた内容に言葉を失った。
どうやら、夏祭りに行っていたことが明るみになってしまったらしい。
滝にぃは幼い僕を人のいる場所へ連れ出したことへの罰、そしてしばらくの間人間への接触の禁止が命じられた。
既に仲間から認められている滝には、そこまで重い処分は課されなかった。
一方で、想の罰は重かった。
滝は必死に想を庇ったが、一妖狐として認められる年齢に達していないにも関わらず人のいる場へ出た想は、顔を覆って泣き出してしまうほどの厳しい処分となった。
それは、今後一切同じ妖狐として認めないという残酷なものであった。
仲間に認められないことはすなわち、完璧な妖狐になることが出来ないということだ。
互いに寄り添い合いなんとか命を繋いでいる妖にとって、仲間から見捨てられるというは生きていくことが格段に難しくなるということだ。
そんな過酷な道を、まだ幼い想は強いられることになった。
その夜、鈴虫の鳴く声で本堂はいつもよりも賑やかだった。
一妖狐として認められることが生涯なくなってしまったぼくは、もう少し成長して自力で人に化れても、耳や尻尾を上手く隠すことはできない。そんなようじゃ、夏夢ちゃんと夏祭りに行くことなんて到底できないだろう。
けれど、約束した。
そういう運命だったと諦めるわけにはいかないと奮い立った想は、件の桜の木の下、そこへ長く伸びた爪でこう書き残した。
きっと明日も自分に会いにここを訪れてくれるであろう人の子のために。
夏夢ちゃんへ
ぼくはしばらく君に会えなくなる。
だけど必ずいつかの夏祭りに行く。君に会いに行くから。
待っていて。
想
〇─〇─〇
次の日も、夏夢は想に会いに神社を訪れた。
しかしそこに想の姿はなく、彼を探し神社の敷地内を歩き回っていた夏夢はふと桜の木の下に目を止めた。
想の綴った思いに、夏夢は迷うことなく返事を書いた。
想くんへ
きっとなにかりゆうがあるんだよね。
わたし、ずっと待ってる。
夏夢
夏夢が両手で涙を拭いながら去っていく様子を、想は本堂の影から見ていた。
会いたいのに会えない歯がゆさを全身から滲ませる小さな彼を、滝は複雑な気持ちで見守っていた。
滝には隠し事があった。
妖狐と言っても、今生き残っている妖狐は術といった大それたものはもう扱えない名ばかりの妖となっていた。
滝が術を使えるのは、知り合いの陰陽師から密かにそれを教わっていたからであった。
幼い想に自分の込み入った事情を話すのは憚られ、今まで自分が扱える術に関しては代々伝わるものだと嘘をついていた。
他の妖狐にもいい顔をされないと思い、今まで想以外には誰にも術のことは話さず、見せずにいた。
今回の件でも幸い術のことは知られることにはならなかったけれど、自分が安易に人のいる場へ連れ出してしまったがために、弟のように可愛がってきた彼に過酷な道を強いることになってしまった。
そんな想に申し訳なさもあり、滝は彼に本当のことを明かすことにした。
自分と同じように陰陽師の手を借りれば、仲間に認められずとも術を手にして自分が老いて死んでしまった後も一匹で強く生きていけると思ったから。
「想」
「あっ…滝にぃ」
「って、俺が呼んでもいいのかな。…あの人の子が名付けてくれたのか」
「うん…」
とはいえ、滝からしてみても、想が人の子と仲良くなってしまうとは思わなかった。
本当は許されないことだとわかっていても、彼を止めたくない自分がいた。
まるで自分を見ているようだったから
「良い名をもらったね」
頭を撫でてやると、想はこちらの様子を怯えたように窺っていた。
「怒ってないの?」
俺がこの件に関して憤慨していると思っているらしい。
怒るどころか、悪いのは全部軽率だった俺なのに。
「怒ってないよ。あのな、想…お前に話さないといけないことがあるんだ」
膝を折り、想と視線を合わせた滝は決心したように告げた。
「今までお前に嘘をついていた」
話の続きを急かすことなく、想は静かに次に紡がれる言葉を待っていた。
銀色の真摯な瞳を、滝も見つめ返す。
「今まで見せてきたまじない、あるだろう?。あれは全部、陰陽師に教わったものなんだ」
「おんみょ…?」
「おんみょうじ、だ。彼は俺の秘密の友人でもあるんだよ。この神社の隅に本堂よりも一回り小さい建物があるだろう。あそこによくやってくるんだ」
そこまで話すと、滝はそれを明かした理由を躊躇いがちに語った。
「彼に頼めば、この先俺が寿命を迎えた後もお前はひとりで生きていける力を授けてもらえるはずだ」
「本当?」
「ああ」
興奮気味に前のめりになる想の肩を宥めるように、ぽんぽんと軽く叩く。
けれど次に想が発した無邪気な問いに、滝は一瞬戸惑う素振りを見せた。
「そしたら夏夢ちゃんとまた会える?」
会えたとしても、会ってはダメだ。
そう答えなければいけないと思っているのにどうしてもその言葉を、会えることを望んでいる彼には言えなかった。
「…きっと会えるよ。でも、これだけは忘れたらだめだ」
両膝をつくと、細かい砂利が柔らかな膝の皮膚にめり込んで軽い痛みを覚える。けれどそんなことには構わず、真剣な面持ちで滝は続けた。
「彼の教えるまじないの効果は凄まじい。だからこそ、使い方を誤ると己の存在すら脅かされる」
張りつめていた空気を和らげるように、滝は努めて柔らかな微笑を浮かべた。
「贖罪のためにも、お前を彼に紹介する。けど、力を手に入れても安易に振りかざしてはいけないよ。わかったね」
「うん、ありがとう滝にぃ」
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