日常を並行になぞらえて
目が覚める。夢から醒める。重たい瞼をこじ開け、ハッとして隣を見る。
「す――――」
不安は現実にならず、山坂は気持ちよさそうに寝ていた。
時計の針は七時ちょうどを指しており、ボチボチ起きて準備をしないと学校に遅刻してしまうような時間だった。
「おい山坂。そろそろ起きなきゃ遅刻するぞ」
山坂にそう呼び掛けても身体はピクリとも動かない。俺は山坂の身体をさすろうとするが、その右手は山坂の身体をすり抜けてしまう。
そうだ。山坂は死んでしまったんだよな……
そんなすり抜けた右手によってマットレスにが押され、それによって山坂はピクリと意識を取り戻す。こちらに寝返った後、うるさいなという表情を見せて再び寝返って、こう呟いた。
「んんん……もう少し寝かせてよ~僕は死んでるんだし学校行く必要は無いんだからさ~」
そう言って布団に潜って、丸くなる山坂。そう言われればその通りだ。一緒に学校に行く前提で話していたが、山坂はもう死んでしまったから、別に学校に行く必要はないんだったな。まぁ学校に行ってる間に俺の部屋の物を物色されそうな気がして怖いので、連れて行くが。
「でもお前一人を置いてく訳にもいかねぇだろ。三十分後に行くからそれまでには起きとけよ」
「ふぇ〜もう少し寝かせてよぉ〜ふぁ〜」
あくび混じりの返事に山坂が朝に弱いという意外な弱点が発覚しながらも、自分にも時間的に余裕がないことを思い出し、下のリビングにさっさと降りて朝の身支度を開始する。
「おはよう」
リビングに降りて行って挨拶をすると、親は一瞬気まずそうに固まって、父は新聞に、母はトースターへと目線を逸らした。まぁ状況を考えると無理もない。
「今日は学校行くのか? 休むのか?」
普段は厳格で学校を休むことなんて風邪でも認めてくれなかった父親から思わぬ質問を投げかけられた。そのくらい心配をしてもらっているということなのだ。正直なことを言って楽にさせてあげたいが、こればかりはできないので許してほしい。
「いや、今日行くわ」
父と母は目を一瞬目を見合わせたあと、また新聞とトースターに目線を戻し「そうか」とだけ返事をした。
俺はそのあと母の焼いてくれた食パンとウインナーを喉に詰まりそうな勢いで口の中にぶち込み、まだ全てを胃に落としきれていない状況のまま、洗面所へと向かった。
鏡を見るといつも通りの眠気が飛んでいない顔。だらしない寝癖。変に元気な顔をしていなかったことにひとまず安心し、顔を洗おうとする。
「ばぁ!」
「んぉっと!」
突如、鏡の中から飛び出してきた山坂に驚き、尻もちをついてしまった。
「んへへへ、こっちは準備終わったよ~そっちはまだ?」
まるで日常会話みたいな口ぶりをしながらも、隠した口もとからは笑みがこぼれ、目尻が下がっている。こいつ、やりやがったな。
「てめぇやりやがったな……バレたらどうすんだよ」
本当に親がビックリしてこっちにでも来たらどうするつもりだったのか。俺にはやり過ごせる自信はない。いややり過ごすことはできるだろうが、精神状態をさらに心配されてしまいそうだ。
「バレて僕がいなくなっちゃうことが悲しいのかい? 一週間は長すぎるとか言ってたのにな~うへへへ」
眼だけでなく頭を完全に覚めたらしく、いつも通りのウザさが戻っていた。これならずっと寝起きのままの方が愛嬌があっていいかもしれない。
「はぁ、いますぐ親に言ってくるとするか。今までありがとな」
「ちょっとストップ! ストップ! ……って全然行くフリだけじゃ〜ん。ほんとは僕に消えてほしくないんでしょ~? ねぇねぇ」
山坂は相変わらずウザさマックスの挑発的な上目遣いによる笑みを浮かべ、こちらをからかってくる。はぁ、今すぐぶん殴りたい。
「ったく、分かってるなら考えて行動しろや……」
あ、思わぬ発言をしてしまった。山坂の方を見ると、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした後、ほんのり顔を赤らめ、やがていつものウザったらしい表情に戻って、さらに距離を詰めてきた。ていうかもうめり込んでいる。
「え、やっぱり田中は僕に消えてほしくないんだ~嬉しいな~うへへへ」
「ったく朝からウゼェんだよ! おめぇはよ!」
「ちょっとし~し~田中ってば声大きいよ~バレちゃうってば~」
そう先程までの表情とは打って変わって、真顔で唇の前で指を立てる山坂に俺は何も言い返せなかった。
◇
「行ってきます」
親の返事など待たずに、弁道をリュックサックにぶち込み、ドアを開けて外へ出る。というか先程までのくだり、自分で言うのも何だが結構な声量が出てしまっていたはずなのに、親には一切不審そうな素振り見せられなかった。幻覚を見てると思われていたら学校に行くのを止められているだろうし、もしかしたら山坂と喋ってきている間は声が漏れない結界でも貼られているのかもしれない。
「んぉっつ!?」
考え事をしていて、前を見ていなかったため、自分の家の前にいる人影に気づけなかった。思わず情けない声を挙げてしまったが、その人影は風に揺られることもなく、直立不動で仁王立ちをしている。俺の知り合いに仁王立ちを日常使いしているやつなんて一人しかいない。
「浜中? 珍しいというか、どうしたんだよ急に」
特に連絡は来ていなかったが、俺の家まで来ている理由なんて分かりきっている。昨日の俺の惨状を知っているからに他ならないであろう。
「お前……今日学校行けるのかよ?」
俯いたままそう俺に問いかける浜中。まぁそうなるよな。昨日の俺の惨状を知っていたら、今日俺がケロッとしてるのなんて狂気以外の何者でもないはずだからな。どう誤魔化そうか。
「昨日、あいつとの思い出を思い返してさ。そしたらあいつは俺が元気ないといつもつまらなさそうにしてたからさ。俺が元気に過ごしてることが、あいつにできる一番の手向けなのかなって」
「無理してんじゃねぇよ!」
間髪開けずに怒号が飛んできた。浜坂の叫び声が静かな朝の住宅街に響き渡り、電線に止まっていたカラスが驚いて飛んで行った。
「昨日からすぐ立ち直れるわけねぇだろ! お前が無理をすることはうちも……山坂君も望んじゃいねぇんだよ! かっこつけてんじゃねぇって!」
そのまま俺は浜中に胸ぐらを掴まれた。普段なら俺を持ち上げることが可能なほどのパワーを誇っている浜中だが、俺の身体を持ち上げるどころか、胸ぐらを掴んでいた右手は少し震えながら力なく滑り落ちていった。そのまま浜中は膝から崩れ落ち、叫びながら泣いていた。俺を思ってくれているのはもちろん、山坂に対する思いも混じってこのような悲痛な叫びとなっているのだろう。ダメだ。両親に隠す以上に心が痛い。山坂が消えてしまうのはもちろん嫌だが、一週間このような状況が続くと心を病んでしまいそうだ。
「俺はとにかく大丈夫だから、気にしないでくれ」
「なんでそんなに強がんだよ……お前にとっていつからうちは頼れない存在になったんだよ! おま……え? あれ? え?」
勢いよく俺に近づき、再び胸ぐらを掴んでいた浜中だったが、驚いたような表情を浮かべ、自身の両目を擦り、両目をパチパチとさせている。
「タハハ……うちもやっぱ疲れてんのかな。なんだか山坂君の幻覚が見えてきちゃった」
完全に憔悴しきった様子で静かに涙を流し、その場に座り込む浜中。こいつがこんなに弱っているところを見るのはこいつと出会ってからの十何年の中で初めてだ。それほどまでに昨日の俺の惨状、山坂が死んだという事実はこいつに重くのしかかっていたのだろう。しかし浜中にとって山坂がそこまで大切な存在だったとは、幻覚を見るほどだなんて……ってちょっと待てよ? 山坂の幻覚?
「浜中お前……山坂が見えてるのか?」
座り込んだ浜中は泣きながらも、笑い始めた。もう感情がよく分からず、壊れかけているような様子で早く助け舟を出したいところだが、本当にそういうことで合っているんだろうか。
「タハハ……強がってんのはどっちだよって話だよね。幻覚見るほど弱ってるっていうのに人の心配ばっかしてさ。うちも少しは甘えりゃいいのに」
「いや、そうじゃなくてよ……」
真偽を確かめるために後ろを振り返る。するといつものウザったらしい笑顔ではなく、若干気まずそうな表情を浮かべ、ポリポリと頭をかきながら山坂が頭上に浮かんでいた。
「うへへへ、びっくり種明かし! って感じでしようと思ってたんだけど……ね? 田中ならともかく浜中さんがこうもなっちゃうと、どうしていいか分からなくなっちゃって……」
ばつが悪そうに謝罪を始める山坂。いたずらの対象が俺でなく浜中だったので、しっかりと申し訳なさを感じているらしい……いや俺でも申し訳なさを感じろよ!
「お前……いくら何でも性格悪いぞ。浜中をこんな状況にまで追い込みやがって」
「いやだって! 田中のことはともかく、僕のことまでこんな思ってくれてるとは自分でも思ってなくて、僕もすごく申し訳ないことをしちゃったっていうのは分かっているけど……」
言い訳をする山坂とそれを責める俺。
「えっ? えっ、どういう……え?」
そしてそれを見て混乱する浜中。山坂のことを怒っていて放っておきっぱなしだった。俺も中々に酷いやつだ。
「ほら山坂。お前の口から説明してやれ」
「や、やっほ~浜中さん。久しぶり~お化けになって帰ってきたんだよ。うへへへへ……」
かなり気まずそうに挨拶をする山坂。こんなバツの悪そうな山坂はもう二度と見れる気がしない。
「えぇ! んえぇぇぇええええ!」
そして再び静かな住宅街に浜中の声が響き渡り、電線に戻ってきていたカラスは再び空高く羽ばたいていった。
◇
「なるほど……だから田中はうちにバレないよう喋っていただけと」
山坂に事情を説明された浜中は俺なんかよりも早く状況を飲み込んでいた。ていうか信じるの早すぎないか? そんじゃそこらの都市伝説なんかより摩訶不思議なことが起こっているというのに。
「あぁ、そういうことだったんだ。でも、済まなかった」
「おう、うちも胸ぐらなんか掴んで悪かったな。激しく動揺していたとはいえ」
とりあえず一つ罪悪感から解放されたところで、先程の疑問を浜中にぶつけてみることにする。
「てかお前、信じるの早すぎはしないか? 俺はかなり細かく説明してもらった今でも半信半疑なところあるのに」
「そりゃあだって、この状況をそれ以外に説明することなんて出来はしないだろ? それにさ」
と言った後、浜中は若干悩みを顔に浮かべながら俯き、こう続けた。
「例え、うちとお前に見えている山坂が幻覚だとしたって、もう一度山坂くんと話せるのは、田中と山坂くんが仲良さそうにしているのを見られるというのなら、それが幻覚でも夢でも覚めてほしくないなって」
そういえば、浜中は俺と山坂が仲良くしている様子を楽しんでみていたな、だからこそこうして俺と山坂の掛け合いが再び見れていることはとても嬉しいというかホッとするものなのだろう。幻覚でもいいからというのは、少し依存のようなものが感じられて怖くもあるが。
「相変わらずだなそういうとこ。ってかお前と山坂って一回でも喋ったことあるのか? はっきり言ってそんなところ見たこと無いぞ?」
「挨拶くらいかもな、確かに」
「お互いが田中の友達~って認識かな?」
どうやらほとんど喋ったことはなさそうだ。ってことはほとんど話したこともない浜中を信用して姿を表したということになるのだろうか? 俺にだってそうだが、山坂は少し人を信用しすぎる傾向があるのかもしれない。自分で言うのもなんだが、俺は百歩譲って、いつも一緒に行動していたし姿を現してもいいだろう。ただ浜中はどうだろう? はっきり言って友達の友達だ。そんな調子で姿を現していって、誰かに噂話でもされたらどうするつもりなのか? 心配になってきてしまう。
「お前、はっきり言って友達の友達に対して姿を現すってちょっと怖いぞ? こいつは違うけど、もし浜中が噂話好きとかだったらどうすんだよ?」
「まぁ、確かに自分で言うのもなんかあれだけどちょっと軽率かもしれないね」
浜中も乗っかってきて、二人で山坂に注意をするような形になる。これからの一週間のためにも、言うべきことはしっかり言っておかなくてはいけない。
「別に浜中さんが田中の友達で、田中と昔からの知り合いってだけで信用したわけじゃないよ~浜中さんが浜中さんだから信用したんだよ~」
「って言ってもこいつとほぼ喋ったこと無いんだろ? じゃあどうやって浜中を信用するんだよ?」
「も~浜中さんには言ってないけど、田中には前に言ったでしょ? 僕は学校の放課前には天国からこっちに戻ってきてたって」
しまった。そういえばその時のことで散々馬鹿にされたな……地雷を自分で踏み抜きにいってしまった。
「タハハハ! てことはお前がこんなになってるのも見られちゃったのか! 山坂くんが好きなことはバレちゃったんだね」
先程まで自分もあれほどまでに崩れ落ちて泣いていたというのに、それを全く意に介していないような様子で俺をからかう浜中。はぁ、元に戻ったのはいいことだが、ウザさマックスの二人を同時に相手するのは中々骨が折れそうだ。
「んへへへ、あの時の田中はもう二度と見れないと思うとちょっと悲しいかもね~それにおかげで浜中さんが部活を休んでまで、田中を支えてあげる献身的でめちゃくちゃいい人だって知ることも出来たしね~」
「や、山坂君!」
顔がみるみる赤くなって、珍しく挙動不審になる浜中。確かに浜中がこんな形でいじられることなんて滅多にないから、いじられ慣れてないのだろう。てか浜中、部活休んでまで俺のこと付き添ってくれてたのか。本当に申し訳ないな。
「ね? こんなもの見せられたら信用するでしょ? 俯瞰の位置から見ても完璧に優しくていい人なんてそういないからね」
「確かにそうだな。そして浜中、本当にありがとな」
「普段ろくに感謝もしてこないお前が真正面からそんな事言いやがって……お前までいじってくれきてんだろ!? いい加減怒るぞ!?」
そう言いながら再び涙を浮かべ、胸ぐらを掴もうとする浜中。今度はかなり混乱しているので力加減が出来ていなさそうで怖い。
「えぇっと、二人ともお楽しみのところ申し訳ないんだけど、時間大丈夫?」
山坂の声にハッとして時計を見る。山坂が冷静に教えるという珍しい事態に危機感は感じていたが、予想より時計の針は進んでいた。
「8時10分、やばい……」
「じ、じゃあうちは全力で走っていくから! 遅刻するなよ! 田中!」
そう言って浜中は助かったとも取れる表情でダッシュして行った。こんなにも可愛らしい浜中はもう二度と見れないかもしれない。
そして浜中はバリバリのスポーツマンだ。浜中と俺じゃ登校難易度が違う。浜中がもう走り始めているというのに、俺が走り始めていないのはまずい!
事のまずさに気が付き、感慨に浸っていたのを一瞬でやめて、体力なんて考慮しない激走で学校に駆け出して行った。
◇
「……はぁはぁ」
何とか間に合った。教室には全員が着いていたが、チャイムは鳴っていない。これは完璧なセーフだ。
「遅かったな田中」
不敵な笑みを浮かべ、汗ひとつかかず、息ひとつ乱れぬ様子で浜中が席についていた。さっきまでの動転ぶりはどこへやらだ。ちょっといじりたくなってくる。
「昨日部活休んだっていうのに、体力はすぐに衰えないもんだな」
こちらと言えば呼吸も絶え絶えで、汗もダラダラにかき、はっきり言って不衛生な状態である。
「お前、それ以上のこと言ったらうちがお前を抹消してやるぞ……」
しかしそんな状態でも渾身の一撃を叩き込めたようで、浜中も少し汗を流し始めている。なるほど。山坂がいたずらをしたくなる気持ちが少し分かった気がする。
「へぇへぇ、すみません」
山坂なら追撃していそうなところだが、さすがに俺にはそんな勇気などないので、話を切り上げ、自分の席に着くことにする。
ザワザワザワザワ……
やっとの思いで教室についたのも束の間、教室中の視線はこちらに集中しており、そこからもはやコソコソとはいえない規模のコソコソ話が始まっていた。
「あいつ大丈夫なのかよ? 昨日のあれから立ち直れてないだろうに」
「無理して学校来なくてもいいのにね」
「浜中さんも心配するよね、そりゃあ」
まぁ、そうなるよな。昨日の様子を見ていたのは別に浜中だけじゃねぇし、というかほとんど山坂と浜中以外のクラスメイトとは喋ったこともないのにこんなに心配してもらえるとは。クラスメイトの優しさと昨日の自分の惨状を再認識させられる。
「言っとくけど、さすがに出ないよ〜」
「んぉ!」
朝と同じような声を出してしまう。さすがに尻もちはつかなかったが。
しかし周りを見渡すと浜中以外からの冷ややかな視線が降り注ぎ、浜中はざまぁみやがれという顔をしている。あぁ、視線が非常に痛い。下手に突っ込まれていないだけマシなのかもしれないが。
「いや、これは僕悪くなくない?」
若干申し訳なさを感じさせるニュアンス。行き場の無い怒りを山坂にぶつけてしまいそうにもなるが、これは山坂の言っていることが凄まじく正しい。
「そうだな。まぁ、大人しくしてくれよ」
こうしてまた俺の平凡な学校生活が始まる。右側のやつは座らず浮かんでいるが。
「よし、全員いるな。それじゃあ始めるぞー」
空白の席がある静かな教室に先生の声が響き渡っていた。
◇
昼休み、普段は教室で弁当を食べているが、今日は人気の少ない別棟の廊下で弁当を食べていた。わざわざこんな人気の少ないところまで来た理由は言うまでもない。
「まさか本当にお前が何もしないまま、昼休みまでたどり着けるなんて思ってもいなかったぞ。結構身構えてたから」
「んへへへ、なんかした方が良かった~? そんな拍子抜けみたいな反応しないでよ~」
「いやこれほど嬉しい拍子抜けはないからそのままでいてくれ」
「んへへ、まぁ僕も消えたくないしね~」
ここまで死後の山坂と一緒に会ったのが両親と浜中くらいだったのでそうは感じていなかったが、それなりの危機感はこいつも持ち合わせているらしい。若干ホッとした。
「ほれ、食べるか? ハンバーグ」
「え!? いいの? ブロッコリー持ってないけど……」
逆にブロッコリーを持っていれば、何故良いと思っているのか? ひょっとして山坂としては本気でブロッコリーをハンバーグと等価交換できる物だと思っていたのかもしれない。
「今更、そんなんどうでもいいよ」
「うへへへ、ありがと~田中あーんしてよ」
ダメだ。こいつ定期的にツッコミを入れてないとすぐ調子に乗るようだ。
「甘えんな。自分で食えよ」
「も~ケチなんだから田中は」
無償でハンバーグを提供してやったというのにケチと言われるのは些か不快だが、いちいちこんなところにつっかかっていたらこいつと一緒にいることなんて不可能だ。
「ん~わっぱひわなかのあーさんがふくったハンバーグおいひ~ん! ふぁまなかさん~!」
「お前、食べきってから喋れや……って浜中もなんでこんなところにいるんだ?」
後ろを振り返ると相変わらずの仁王立ちを決める浜中の姿があった。本来ここは昼休みに誰かが来るような場所じゃない分、思いっきり山坂と話していたので来たのが浜中でとりあえず一安心だ。何故浜中がここにいるのかは謎だが。
「なんでって、心配してきっと探しに来てくれたんだよ~僕にはともかく、浜中さんにまで鈍感じゃダメだよ~」
山坂が戻ってきているのを知っているのに心配されているのはよく分からないが、まぁ普段教室にいるのに今日に限っていないのが少し不審だったのかもしれない。
「あぁ、そういうことか。ありがとな、浜中」
「お前、いつまでも同じ手で動揺させられると思ってんじゃねぇよこのバカタレ!」
バシンと思いっきり叩かれた。頭がジンジンしてめちゃくちゃ痛い。
「も~そんなことしちゃダメだよ~」
普段お前にはそんなことばかりされていた気がするのだが? こいつに実体があったら今すぐグリグリを食らわせてやりたい。
「山坂くんの言う通りだよ。人の厚意を無下にしやがって、急にいなくなったら別に探したっておかしくないだろ」
別に探すほどか? と純粋な疑問を浮かべながらもここに突っ込んでしまうと、再び重い一撃が飛んできそうなのでスルーすることにした。
「まぁ、とりあえずあと二分で授業開始なんだぞ? 電話したって出ねぇし、ひょっとして携帯持ってってねぇんじゃないかってなったんだよ」
「あぁ、授業のまんま通知切りっぱなしだった……って後二分!?」
まずい! 授業に急がなきゃいけないというのに、何より山坂にハンバーグを食わせただけで俺は何も食べれていない。
「ぐ――――」
静かな廊下に俺の腹の音が鳴り響く。しかしそんな腹の音に構っている暇もなく、ただただ教室に向かって走るほか選択肢など無かった。
◇
授業は魔境、数学。俺がこの世で最も嫌いな授業だ。
「……じゃあここを○○。そしてここは田中」
薄れいく意識の中、自分の名前が呼ばれるのが聞こえた。しかしノートは真っ白、答えられそうにない。
「も~田中は国語以外ダメダメなんだから。僕が教えてあげようか?」
またびっくりしてしまったが、今度は声を出さなかった。なんだか馬鹿にはされているが、言い返す事はできない。何と言っても山坂は自分より学業の成績は良いのだ。納得は行かないが。
ノートに教えてくれと書き込む。すると山坂が俺の耳元に寄ってきてこう呟いた。
「XXXXXXXXX」
とんでもない下ネタに、思わず右腕を思いっきり振り下ろす。当たるはずもないのに。
「どうした田中? 分からないのか?」
「い、いえ」
「も〜冗談だってば~ここは6x-2だよ」
教えてもらう者の立場としてはあれだが、最初から素直に教えて欲しい。表にゃ出せないような下ネタぶち込みやがって。めっちゃ不審な動きしてるようにも見られているきがするし。
まぁ、これ以外にそこまでの危機は無かったものの、無事極度の空腹を乗り越え、他の授業も淡々とこなしていった。
◇
「週末に変なことをしないように、それじゃあまた月曜日に。さようなら」
「さようなら」
こうして金曜日を終え、無事……いやめちゃくちゃ有事ではあったが休日へと向かう。今日はさすがに玄関に浜中もいなかった。そりゃあ部活行くよな、悩みのタネも無くなっただろうし。
「ぐ――――」
そしてなにより俺の腹が黙っちゃいない。空腹でぶっ倒れる前に小走りで寄り道などせず、家まで駆けていった。山坂もその後ろを「置いていかないでよ~」と言いながら俺と一緒に俺の家まで飛んでいった。
家に着く。扉を開け、勢いよく靴を脱いで、リビングへ転がり込み台所に向かう。残っている弁当もあるが、ハンバーグ抜きのそれだけで足りるはずがない。運良くカップ麺を見つけた。とりあえずお湯を沸かすことにする。
「も~まず手洗いうがいしなよ~」
おかんのようなツッコミを山坂にされ、それを正直に受け入れ手洗いうがいをする。それが終わったころにはお湯が沸いており、それを容器に注ぐ。世界一長い三分間をタイマーにセットし、箸で蓋を押さえつける。このまま三分間ジッとしていると気が狂ってしまいそうなので、空腹を紛らわせるために何となくテレビをつける。
「続いてのニュースです。先日高校生一人が亡くなる交通事故がありました。この高校生は飛び出した子供を庇ったとみられ……」
流れている地方テレビ局のニュースでは、山坂の事故が報道されていた。まぁかなりグロテスクで衝撃的な内容だったし、全国ならまだしも地方局なら絶対ニュースになる内容だよな。
「おぉ! ニュースに乗ってる! これ僕も有名人だね~」
当の本人こと、事故の被害者山坂は死んでしまったというのに、自分がニュース載ったことを喜んでいる。
「何をお前はのんきに喜んでんだよ」
山坂を軽くリモコンではたこうとするが、実体がないので無意味だということを思い出し、リモコンを止める。
「……容疑者は拘置所内の独房でタオルで首を吊っていたところが発見され、その後死亡が確認されました。警察は自殺とみて調査を進めています」
そのアナウンサーの声が耳に入った瞬間、全ての力が抜けて頭が真っ白になる。右手からするりとリモコンが落ち、音を立ててそれがカーペットの上を小さくバウンドする。
「容疑者からは逮捕時にアルコール等も検出されず、動機等も考えにくいため、警察は依然として事故の原因について調査を続けています」
なぜ自殺を? 事故だぞ? 事故だし子供が飛び出していたんだし、罪だって自殺するほど重くはないはずだ。なのにどうして自殺を?
考えられることはひとつしかなかった。それが仮に故意だとしても偶然だとしても山坂が死んだという事実は変わりないのに。俺はただ、ただ……
右手を握りしめ、そこに爪が食い込み、血が流れていた。
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