第十六項「怪我以上に負った傷(前半)」 side水瀬瑞葉

「水瀬さんは!?」


 保健室に移動して間もない時、熊谷くまがい君に先導されて慌てた様子の神里君がドアを開けて入ってきた。


「落ち着いてって。さいわかすり傷だけで捻挫ねんざとかはないみたいだよ」


 そんな神里君をなだめるように橘さんが対応する。


「本当? 水瀬さん、午後の競技厳しそうだったら遠慮なく言っていいからね?」


「それは悠人の言う通りだよ? 水瀬にゃん、頼り下手だからねえ」


 神里君のように慌てた様子こそないものの心配してくれているのは橘さんも同じようで、椅子いすに座っている私の顔をのぞき込むように橘さんがしゃがんだ姿勢をとる。


「……私、そんな風に見えるの?」


 なんとか平然を装い言葉をつむぐが、1着をとれなかったことや大勢の前で転んでしまったこと、神里君や橘さんに迷惑をかけたことなど様々な要因がいまだ私の心をかき乱している。


「水瀬にゃん、自分の事はうとそうだもんね……じゃなくて! もう! そんな強がらないの! 水瀬にゃんが何か思うことがあるっていうのは皆分かってるんだよ?」


「……」


 神里君が来る直前に保健室の先生が見回りへ出ていったせいか、この静けさが刺さるほど痛い。


 ここで黙ってしまうことが何を意味するかは自分でも理解しているものの、いつもの4人での密室という神里君のお家と状況的に変わらないおかげか、取りつくろうことも言い訳することも無く打ち明けるかどうかの判断に迷ってしまった。


「ほら、くまもなんか言ってあげてよ!」


「花蓮さんや、こっちは誰か保健室に入ってこないか見張ってるんだ。3人が安心して話せる環境は大事だろう? 来室を拒むわけにもいかないし。適材適所ってやつさ」


 納得はしたものの心では不満なのか、それを聞いた橘さんは何とも言えないような絶妙な顔をしていた。


「水瀬さん、どうかな? 気持ちを上手くまとめる必要はないからさ、ぽつぽつとでいいから何を思っているのか聞いてもいい?」


 橘さんと同様に腰を落として私の顔をのぞき込む姿勢になった神里君の普段よりも優しく染み渡る声に、気がついたらどう話そうか口が動こうとしていた。

 荒れ狂った川ではないが、どんよりとにごる雨の中の川のような『私らしくない』気持ちがあらわになろうとしている。


 そもそもこのような気分となった主な原因について、始めの方から何となく気づいていたのだ。


 (まだ私は過去から抜け出せていないのね……)


 何事も1番というプレッシャー、そしてそうでなかったときの仕打ちと絶望感。

 近頃は競争もなく目をらすことができていたが、体に染み付いていた習慣というのは忘れていても些細ささいなきっかけで思い出してしまうものである。


 そして今回はそれだけではないのだ。

 私が『私らしくない』と感じるのはあの影響である。


 並んでいたときに話しかけてきた女子生徒。

 まとっている雰囲気が前に昼食を誘ってきた『彼』と似ている気がして胸騒ぎが治まらないのである。


「私、また失敗しちゃった……」


 そっと投げかけた言葉がいつもの私の口調と違い、少し崩れているのは私が思っているよりもかなり精神的にきていたからだろう。


「大事な所で転んだの……1着なんてもう無理だって思ってしまったの……」


 こんなときにも関わらず、ここまで呟いて私は新しい発見をする。

 

 私は精神的に強くないのだ。


 今まで私が感じとってきた周りからの評価は軒並のきなみ孤高のお嬢様といったものだった。

 加えて『あの人たち』からのプレッシャー、私のプライドも合わさってその評価が疑いようのない状況を作っていた。

 そのせいなのか、私自身も精神的に強いと勘違いする事態までに至ったのである。


 しかし、たった今、私は決してそうでないことに気づいてしまった。

 神里君や橘さんといった『はけ口』を見つけてしまった瞬間、私の精神はふっと息を吹いてあげるだけで吹き飛んでしまいそうな弱々しいものであったのだと思い知らされることになった。


 プライドは高いのにメンタルは強くない人。


 客観的に見ても、私からしても、面倒な人だなという感想が浮かんでくる。

 きっと今までの、神里君に対する照れ隠しや言い訳などのようなちぐはぐな態度もここから来ているのであろう。


「……」


 話し始めた私を見て、神里君と橘さんは静かに耳を傾けている。


「それにね……それに……」


 もう頭が真っ白になり、続きの言葉が出てこなくなっねしまった。

 私が何を考えていたのかも忘れてきている。


 何が言いたかったのか。


 何を伝えたかったのか。


 何を知って欲しかったのか。


 椅子に座っているというのに平衡へいこう感覚が失われ、体が揺れている感覚が強まっている。

 視界もゆがみ始め、軽く吐き気を覚える。


 (私、どうなるのかな)


 気分の悪さに耐えきれず、椅子から倒れ込む。

 体の防衛反応が衝撃に備えて目を瞑った――その時だった。


 ふわりという風とともに私と同じ香りを身に付けている、温かい感触のものが私のもとに飛び込んできた。

 よく知っているその香りと温かい感触のおかげで急速に気持ちが落ち着き、気分が良くなっていく。


 意識がはっきりしたと同時に、温かい感触の正体も理解することとなった。


「水瀬さん、もう大丈夫だから」


 ハグをするように私の体を支えたあと、神里君は私の背中をさすりながらそう私の耳元でささやいた。

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