第十六項「怪我以上に負った傷(後半)」 side水瀬瑞葉

「その時、ある女子生徒に話しかけられたの」


 ようやく自分で気持ちを制御できるようになった後、私が『私らしくない』と形容する『あの事』について話していた。

 もちろん、その女子生徒から神里君の名前が出ていたことも包み隠さず伝える。


「俺のこと?」


 案のじょう、突然自分の名前を出された神里君は驚いた顔をしていた。


「正直、その女子生徒が何をしたかったのかは今でも分からないわ。ただ話の方向性としては、私と神里君にとって『良くないこと』だったと思う」


 思い出すだけでも腹の底で嫌悪感が渦巻いているのを感じる。

 自分でもその理由についてまでは明確に言語化出来ないが、きっと私は、あの女子生徒が会話の中で神里君を巻き込んだことに対して許せないのであろう。

 それが自分の心の中で上手く表現できなかったから『私らしくない』状態になっているのだと納得することにした。


「……今のところ、水瀬さんが直接何かされるってことは」


「ないわよ」


 話の雰囲気が『良くないこと』であることは感じたが、悪意があったように感じたのかと言われると肯定しずらい。

 どちらかというと、勧告めいたものだったように思える。


「まあ、それでも警戒しておくに越したことはないよね」


「そうね、それはその通りだと思うわ」


 仮に、仮に『昼食を誘ってきた彼と雰囲気が似ている』という私の予想が当たっていたとしたら、接触は今回だけに収まらないだろう。

 そう覚悟した時、これまで黙っていた橘さんが口を開いた。


「……ねえ、水瀬にゃん、その女子生徒ってこの子のこと?」


 何かを思いついたような面持ちをしながら、橘さんがスマホを取り出してとある集合写真の1人を指す。

 その人は確かに話しかけてきた女子生徒と一致していた。


 そんな橘さんに答えるようこくりと頷くと、橘さんは疑いの顔から確信したような顔に変わり、まゆを寄せながらもこう話した。


「水瀬にゃん……この間言ってたお昼を断った男子生徒って覚えてる?」


「ええ、覚えてるわよ」


「この子はね、その男子生徒の彼女の中の1人なんだよね」


 やはり、私の予想は当たっていた。


「いい子なんだけど、いい子なんだけどねえ」


 ひたいに手を当てて、言葉を選んでいる様子の橘さん。


「彼女に何かあるのかしら?」


「なんというか、こういう言い方するのもあれなんだけど、彼氏に選んだ相手が問題だったというか、その子の奉仕ほうし精神とか良い所が全部よろしくない感じになってるというか……んー、説明って難しい!」


 橘さんの顔付近に『てへっ』という効果音が付きそうなくらい清々しい笑顔を浮かべて、橘さんはついに説明を放棄ほうきした。


「でも橘の言い方だと、その彼氏さんと関わりがある今はやっぱり接触しない方がいいってことになるけど」


 橘さんの話を受けて、神里君が数分前に発言していた内容を含めて再確認する。


「うん、それは悠人の言う通りだよ。けどね、あの子が今の彼氏と付き合う前の状態だった時も知ってるからあんまり悪く思わないで欲しくてねえ……まあ、これはうちのエゴなんだけど」


 なんとも悩ましいという顔をしながら橘さんは『あはは……』という乾いた笑いをした。


「……橘さんの気持ちは分かったわ。ともかく、また何かあったら相談させて頂戴ちょうだい。それまでは警戒けいかいしつつも様子見するつもりでいるのだけど」


 結局のところ、直接的な被害がない今は備えることしかできないのだ。


「俺も今は様子見でいいと思うよ。それに相談なら家でゆっくり話聞けるし、水瀬さんの精神的負担も減らすことができるからさ」


「水瀬にゃんは甘えん坊さんだね~! もっちろん、任せてよ!」


「お、それならこっちは花蓮と悠人の補佐をするっていう立ち回りで水瀬さんのヘルプをしようかな。微力だけど正直2人だけじゃ心配だからね」


 昔の私にとは違って相談できる仲間がいる。

 それだけでも私にとっては大きな違いである。


 皆のやりとりはお家で過ごしているような安心感を私に与え、先ほどまでの葛藤かっとうがあったせいか心の疲労で睡魔すいまが襲ってきているのを感じた。


「皆、ありがとう……ふわあ」


「あれれ? 水瀬にゃん、もしかして安心して眠くなっちゃった?」


 珍しく私をいじる様子のない橘さんが尋ねる。


「そうね、少し横にならせてもらおうかしら」


 100m走が始めの競技だったおかげか、お昼になるまではまだ十分な時間がある。


「うん、それならうちらはそろそろ退散かな? 後は悠人に任せましょう!」


「というわけで悠人、あとは頼んだぞ」


「了解。水瀬さんが起き次第テントに向かうよ」


 そうやって橘さんと熊谷君が保健室を出ていったところで私の記憶は途絶えてしまった。


「水瀬さん、お疲れ様。今はゆっくり休んでいいからね」


 薄っすらと聞こえた安眠を促すような神里君の声に、私の意識は安らぎへと沈んでいった。

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