第十五項「体育祭午前種目」 side水瀬瑞葉

「水瀬にゃんはもう行かなきゃいけないんだよね?」


「そうね。アナウンスは聞こえたわ」


 橘さんに話を聞いてもらおうとした矢先、橘さんの友達だと思われる先客が橘さんとお話をしていたために例の相談は後回しとなったまま100m走の時間を迎えた。


「はーい! 100m走女子の待機列はこちらですよ~!」


 集合場所を分かりやすくするためか、溌溂はつらつとした女子生徒がプラカードを持ちながら軽く振っている。


 仲のいい友達がいるおかげなのか、競技直前だというものの整列中でもピリピリとした空気感はただよっておらず、むしろこれから遊びに行くかのような雰囲気をかもし出していた。


 (……肌に合わない空気ね)


 当たり前だが、橘さんは二人三脚の方で出場するため私の話し相手はここにいない。

 周りの皆と違い、敵地におもむく気分を味わっていたその時だった。


「ねえ、水瀬ってあなたよね?」


 そんな言葉とあわせて、金色の髪にピアスと不良っぽさを前に押し出している女子生徒が隣に現れた。


「私?」


「あなた以外に誰がいるのよ」


 まさか誰かと話すことになるなんて思いもしなかったため、明らかに私に話しかけているのにもかかわらず反射的に聞き返してしまう。


「……私が水瀬よ」


「ふーん」

 

 質問してきた割には淡白な反応だが、どこか値踏みをするような様子から見る限り向こうは私の事を知っているようである。

 しかし、私からすると話しかけてきた生徒に見覚えはない。


「じゃああなたが……誰だっけ、あの男子といつも一緒に居るんだ」


 まったくと言っていいほど目の前の相手の考えが読めないが、その女子生徒は唐突に神里君のことについてであろう話題を切り出した。


「? 神里君のこと?」


「そーそー! そいつだ! んで、何、付き合ってんの?」


「いいえ。あなたはそう思ったの?」


 私からすれば初対面だというのに、軽々しく人のプライベートに関わる話をしておきながら微塵みじんも気遣っていなさそうな表情に嫌悪感を覚えるが、あくまで冷静をよそおい対応する。


「ん~? まあ、そんなところかなぁ」


「はっきりしないのね」


 嫌という気持ちが声色に出ていた気がして、ここの発言に関しては後から考えれば失敗だったように思える。


「好んで聞いてる訳じゃないからね」


「ならあなたは何がしたいのよ」


「そりゃあいつに気に入ってもらうためによ」


 さも当たり前のように何回かまたたきしてからその女子生徒は答える。


「あいつって」


「あ、ほら、前見ないと。進んでるよ?」


 女子生徒の言う『あいつ』の意味が分からず問いただそうとしたが、いつの間にか入場の時間となっていたことを注意され、列を乱さないよう進むために会話を中断するしかなかった。


「いつか水瀬も分かるから」


 立ち上がって前進しようとした直前、言い逃げするようにその女子生徒は私の耳元でささやいていった。


 (何が分かるって言うのよ)


 知らない人からプライベートについて触れられただけでなく、何様だと思うほど変なアドバイスを受けることになり競技を前にして精神が少し乱れたが、100m走が始まる時間は刻一刻こくいっこくと迫ってくる。


 (はあ……まあいいわ。それも併せて橘さんに話してみようかしら)


 自然と出てきた考えだが、やはりこういうときに相談できる相手がいるというのは心強い。

 そんなことを思いながら自分のレースの時間になるまで静かに待っていた。



 (……なるほど。神里君は私のレースを見ることができないのね)


 声援や𠮟咤激励しったげきれいの声をかき分けて自分が走るレーンに着く前さっと周りを見渡すと、100m走に出場する男子生徒の方はトラックの外で待機していることに気づく。


 (……それは少し残念かも)


 私が1着でゴールしたとして、レースを直に見た場合と話を聞いただけの場合だと、神里君が喜ぶ姿を見る際に至ってどうしても差があるだろうと考えてしまう。


 

 と、ここまではまだ心に余裕があったのだ。


『On your mark……Set』


 今までにも様々な舞台を経験したせいか、全校生徒に走りを見られる程度では過度な緊張で心が乱れることはない。

 それはスターターによる合図を聞いて走り出しても変わることはなかった。


 私が走るレーンはトラックの最も外を回る位置にあるので、コーナーは1番手で突入することができる。

 問題はその後の直線なのだが、直前のコーナーで速度を落とさなかったため私の視界に誰かが映っているということは今のところない。


 (このまま逃げ切れそうね)


 

 そう思った時だった。


 ゴールテープの見える最後の直線に差し掛かろうとした場所で事件は起こった。

 

 コーナーを曲がり終えかたむけていた体を直そうとしていた時、ずるっという音と共に左足がすべる感触を覚えた。

 その感覚の直後、まるで走馬灯を見るように私の視点は崩れ落ちていく。

 そして転倒による痛みの到来とうらい


 (ああ、1着は無理かな……)


 りむいたひざの傷跡を確認し、体は動くことを把握してからゆっくりとゴールへ向かう。

 途中、様々な声が聞こえたような気はするが、真っ白になった頭では何も考えることができなかった。


 それから何をしたのかは覚えていないが、気が付けばいつもはおちゃらけている橘さんが打って変わって心配そうに私の前で看病してくれていた。

 転倒からここまでの記憶が曖昧あいまいなのは、果たして痛みによるものだろうか、それとも他の要因によるものだろうかとふと思う。


 (……私、何やってるんだろう)


 うっすらと聞こえた『とりあえず保健室行こう? ね?』という橘さんの声にぼんやりとした意識のまま体を動かした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る