第十四項「体育祭①」 side水瀬瑞葉

「んむぅ……」


 昨晩の考え事が夏休みについてだったゆえか悪い夢を見た気分ではなく、体育祭当日の朝はカーテンの隙間から射し込む朝日によって過度な緊張のない心地良い目覚めとなった。


「……ちょうどいい時間ね」


 再び微睡まどろむような眠気もなく、普段の身支度の手順をなぞるように体を動かす。

 体育祭の昼ご飯であるお弁当は、昨日の夕ご飯の準備のときに併せて用意した具材を使用することにしてある。

 

 そんなこんなで時間は過ぎていき、起きてきた神里君と朝食を済ませ、持ち物を確認しているといつの間にか私の登校目安の時刻となっていた。


「それじゃあ私は先に失礼するわね。行ってきます」


 当時は『契約』と如何いかにも堅苦かたぐるしく決めた約束でも、今となってはただの『習慣』である。


 (あの頃の私に『今』を伝えたらどんな反応をするかしら)


 歩きながらふと考えてみたが、行きつく答えは分かりきったものだった。


「……きっと信じてくれないでしょうね」

 

 そんなつぶやきは、手をかざしてもなおまぶしい、際限さいげんない青色に吸い込まれていった。






「あ、水瀬にゃん見っけ! 写真撮ってもいい?」


 昨日は相談に乗ってもらった頼もしさがあったというのに、少し時間が経てばその評価が覆るというのはある種才能なのではと朝一からハイテンションな橘さんを見て思う。


「おはよう、橘さん……ってちょっと!」


 何のための許可なのか、返答の有無に関わらずツーショットを撮ろうとする橘さんに思わず声を上げる。


「わーい! 水瀬にゃんの珍しい表情が撮れた!」


 ちらりと見えた橘さんのスマホには、写真を阻止そししようと慌てた私の顔が写っていた。

 しかし、こうも純粋にはしゃがれると『消してもらえるかしら』というのもなかなか言い出しづらい。


「……もう。消さなくてもいいけどその写真、誰にも見せないようにお願いするわ」


 体育祭という風にてられたのか橘さんならまあいいかと感じてしまい、『誰にも見せないこと』を条件に写真の保存を許可してしまった。


「はーい! ちゃんとしたやつも1枚撮っていい?」


 聞き分けのいい生徒のように高々と右手を挙げて返事をする橘さん。


「いいわよ。今度は変なの撮らないでちょうだいね」


「もち! いくよ? はい、チーズ!」


 ぱしゃりという音を皮切りに写真を確認すると、今度はスマホのカメラに向けてピースしている2人の姿が写っていた。


「うんうん! あとで2枚とも水瀬にゃんのスマホのに……って連絡先知らない!」


「そういえば確かに教えていないわね」


 たこ焼きパーティーや女子会を開いていたおかげで勝手に連絡先を交換していた気になっていたが、現状では神里君とのみ連絡先を交換していたことに気づく。


「はい、これうちの!」


「ちょっと待ってね……これでいいかしら?」


 差し出された橘さんのスマホに表示されたQRコードを読み取る。


「大丈夫! 挨拶変わりにさっきの写真送っておいたから! またね!」


 そう言いながら橘さんはぴゅーっという効果音が見えるくらいの足取りで去っていった。


「……ああいうのを愛嬌あいきょうって言うのかしら」


 こぼしてしまうくらいには、同性からでも橘さんの可愛さというのが伝わってくる。


 昨晩の相談会でも感じたことだが、『神里君ともっと関わること』と答えが出たのはいいものの、橘さんの性格とは違って私は彼女のように社交的ではない。

 同棲という、これ以上ない関わり方をしているというのに『もっと関われ』というのだ。


 (橘さんのような可愛さがあればもう少し変わってくるのかしら)


 現状どうしようもないという状況がネガティブな思考を加速させる。


 (……ダメね。折角こうやって楽しく過ごせているのだからもっと前向きにならないと)


 気持ちを切り替えるためにも軽く首を振り、再び教室へ歩みを進めた。




 それから数分後、生徒が校庭にあるテントへと移動し終えようとしている頃に神里君の後ろ姿を見つけた。


 (『神里君ともっと関わること』ね……)


 今までならおそらく声をかけずに移動を優先していたであろう。

 しかし、橘さんとの相談会の結論が念頭にあったおかげか、自然と歩みは神里君の方へと進めていた。


「神里君、ちょっといいかしら?」


「あれ、水瀬さん、まだ残ってたの?」


 ここで私は『ええ、ちょうど今からテントに向かうところよ』と普通に返事をすればよかったのだ。

 しかしあろうことか、『神里君ともっと関わること』というのが頭から離れない状態だったため思わぬことを口にしていた。


「ええ、その、神里君に伝えたいことがあって」


 言ってから気づいたが、もちろん『今』において特段伝えたいことがあるわけではない。


「俺に?」


 そんな私の気持ちに気づいているのかはたまたそうでないのか、神里君も困惑した表情を見せていた。

 一先ひとまず冷静をよそおいながら必死に『伝えたい事』を考える。

 

「そう。でも……ここで言うのは恥ずかしいからメッセージアプリにさせてくれないかしら」


 口頭で言うことになると、少なくとも言いたいことがまとまらず口ごもってしまう可能性が考慮されるのでメッセージアプリで伝えるという旨を表明した。

 後に思い返すと、メッセージに残るというデメリットが発生してしまうもののその場しのぎとしては好判断だったと思う。


「いい、けど……一応開いたよ?」


 そう表明したのもつかの間、メッセージアプリというお手軽さにより高速でアプリを立ち上げた神里君が返事をする。

 

 ここまでくるともう思いついた『伝えたい事っぽい私の素直な気持ち』を表現するしかないと思い至り、えいやっというなかば投げやりの心と共に『今神里君に対して思っていること』を精一杯メッセージに打ち込んだ。


『何故か神里君とこういうイベントが過ごせるって思うと心が高揚してたまらないの』

『理由については私もよく分からないのだけど、少なくとも神里君のおかげであることは確か』

『改めてありがとう。そして、目一杯楽しみましょう』


「……私が言いたかったことは以上よ。私は先にテントへ向かうわね」


 とにかく今は神里君から距離をとりたい一心で逃げるように言葉を吐き、まっすぐ廊下を早足で駆けていく。


 (あとで橘さんに話を聞いてもらおうかしら……)


 恥ずかしい気持ちとどこか清々しい気持ちが混在している心を抱えながら、橘さんがいるであろう校庭のテントへ向かって行った。

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