第十二項「自分がやりたいこと」 side神里悠人

「おっ、悠人ゆうとか。おはよう」


「おはよう、くま」


 結局、昨晩の水瀬さんの言葉の続きを聞くこともできず次の日を迎えてしまった。

 

 朝食時に聞いてみようかと考えたが、仮にそれが大事な話で、水瀬さんが打ち明けるタイミングをうかがっているのであれば待つことも大切な事かと思い、普段通りの挨拶を交わして登校することにした。


「昨日は楽しかったが、それはともかく体育祭の練習はしてるのか? 残された時間は……そうか、もう明日か」


「うーん、そう言われると不安になるけどぼちぼちかな」


 水瀬さんとの二人三脚の練習はご無沙汰だが、毎日とはいかないものの走り込みは続けている。


「出る種目が多いっていうのは大変だよな」


「まあそうだけど、ただ待って応援するだけっていうのもね」


 大勢の人に見られながら運動を行うのは少し恥ずかしさを感じるが、競技を見ているだけというのも何処どこかもどかしさがある。


「ん? 本当に今年はただ応援するだけか?」


 ゆらゆらと椅子いすの足を上げ下げしながら座っていたくまがぴたっと止まる。


「何が言いたいんだ」


「水瀬さんがいるじゃないか。今までと違ってたとえ知らない人の出番だとしても、水瀬さんが出ていたらもう他人事じゃないぞ」


「……それは分かってるよ」


 もちろん、水瀬さんのことは応援するつもりである。

 だがその行動にはあるリスクが伴っていた。


「なんだその間……ああ、もしかしてクラスでいきなり水瀬さんと関わったら変なうわさが立つとか考えてるのか?」


「ぐっ……」


「図星だな。まあ、そうだな、ここは1つ花蓮かれんとの話を引き合いに出そうか」


たちばな?」


 まだ始業には時間があるため、空いていたくまの隣の席に座るよううながされる。


「中学の時の話だが、花蓮との距離の近さに周りが驚いて、付き合ってもいないのに『付き合ってるでしょ!』と噂を立てられたことがあってな。始めは迷惑だったよ。あのときは異性として意識しているわけでもなく1人の友人として接していたのにさ」


 そう語るくまは珍しく傷心的な遠い目をしていた。


「なんだかんだあって最終的に付き合い始めた頃には、すでに『付き合っていたもの』として認定されていたから騒がれることも無かったけど。ってまあ、この話を通して何が言いたいかというとな、結局噂は噂でしかないんだよ。一時的には揺さぶるような何かを持っているかもしれないけど、それも時間が経つことで皆が慣れる」


「……」


「噂なんて気にしなくていいから自分のやりたいこと、したいことに今は集中しろってことだ」

 

 そう言われて一瞬だけ水瀬さんの方へ目を向ける。


「具体的に悠人が何をしたいのかは分からないけど、まあ常識の範囲内だろ。頑張れよ、青年」


「今のは誰かを真似たな?」


 確か有名な映画のワンシーンにおけるセリフだった記憶がある。


「さあな。ともかく、うだうだ悩む前に行動するのもアリだぞ?」


「……分かったよ。ありがとう、くま」


 くまの教えを受けて、自分に問いかけてみる。


 自分はこの体育祭で何がしたいのか。


 まずは競技に出場する水瀬さんを応援したい。

 くま達と一緒にお昼ご飯を食べるのも楽しそうだ。

 水瀬さんとの二人三脚で1着をとるのもいいな。

 たこ焼きパーティーのように打ち上げをしてみるのも大いにアリだろう。

 リレーで練習の成果も確認したい。


 挙げ始めたらキリがなかった。

 しかしそれは、これからの生活に様々な楽しさを見いだせている証拠でもある。


 全部を一気に叶えるのは流石に難しいが、1つ1つ進めていくことはできるはずだ。


 (たまにはとりあえず行動してみるのもいいのかな……)


 そう決意するのと始業の合図が鳴るのは同時だった。




「悠人、廊下で他のクラスのやつが呼んでいるらしいぞ」


「それ、本当に俺?」


 昼休みにて、くまに伝えられた内容はにわかに信じがたいものだった。

 

 そもそも中学校時代の友人すらこの高校では数えるほどしかいないのに、知り合いもいない他のクラスの誰かと友達になった覚えはない。

 橘のような性格ならまだしも、俺のような性格で交流も無いクラス外の誰かから呼ばれるなんてことは起こるはずもないのだ。


「らしいぞ。確かに『神里君が~』とかなんとか言ってる」


「……とりあえず行ってみるか」


 人違いだろうとは思うが、くまの話では本当に自分を呼んでいるとのことなので一先ず確認してみることにした。



「お、君が神里君であってる?」


 そこにいたのはどこか見覚えのある生徒だった。


「あってるけど……どちら様で?」


「ん? ああ、俺はB組の石上いしがみ。よろしく!」


 そう言いながら握手を求められる。


「よ、よろしく……」


 思ったより近い距離感に内心驚きながらも握手に応じた。

 石上君がフレンドリーな性格をしているからか、初対面だということを全く気にしていないような雰囲気で会話が続く。


「お昼時に呼びつけてしまってすまない。少し聞きたい事があるから屋上へ行かないか?」


「屋上? それに聞きたい事って? ここじゃダメなのか?」


 石上君の言う通りこの高校は屋上が開放されていて生徒でも利用できる。

 しかし、この辺りの時期は直射日光を浴びることになり人がいないので、聞かれたくない話をするときに行くことが多いらしいと橘から聞いた。


「人前じゃ聞きづらくてね……ああ、悪意のある話ではないと思うから、そこは心配しなくて良いよ!」


 人当たりの良さそうな彼の笑顔から確かに悪意は感じない。


「……まあ、それなら」


 ここまで言われては聞く前に断るのもどうかと思ったので、とりあえず話を聞くことにした。


「よし、じゃあ行こうか!」


 全く想像のつかない展開に困惑しつつも分からないことを考えても仕方がないと割り切り、大手を振りながら前を歩く石上君について行った。




「さて、あまり時間をとらせるのも申し訳ないから単刀直入に聞くね。水瀬さんとはどんな関係なんだ?」


「……はい?」


 何を聞かれるか分からない状況ではあったが、まさか自分への質問ではなく水瀬さんに関する質問だとは思わなかった。


「君のクラスの水瀬さんについてだよ。最近、熊谷君や橘さんと合わせて4人でいることが多いだろう? いやあ、恥ずかしい話なんだけど、以前お昼ご飯に誘ったらすげなく断られちゃってね! 誰に対してもあんな感じなのかなと思ったら、特に君と仲が良さそうだったからさ!」


「いや、どんな関係と言われても……普通だけど」


 どう考えても普通ではないが、それについては言うはずもない。


「普通かあ。ってことは付き合ってる訳じゃないんだね?」


「まあ、そうだね」


「ふーん。なるほどね。いやあ、ありがとう! 気になっていたことはそれなんだよ! じゃあ、また今度!」


 聞きたいことは本当にそれだけだったらしく、石上君は足早に戻っていってしまった。


「なんだあいつ……」


 悪い人ではなさそうだが、初対面の印象を聞かれたら良い風に答えるのも難しいような相手だった。


「水瀬さんに断られたって、ああ、あの時の……既視感はこれか……」


 思い返してみると、以前水瀬さんを取り囲んでいた生徒が確かにいた。

 


『付き合ってる訳じゃないんだね?』


 石上君の言葉がやけに頭に残る。

 この口ぶりからするに、少なくとも石上君は水瀬さんが気になっているのだろう。


「もし仮に……」


 仮に付き合うことになったとしたら?

 

 ……想像してみたものの良い気分にはならなかった。


『噂なんて気にしなくていいから自分のやりたいこと、したいことに今は集中しろってことだ』


 今度はくまの言葉が頭に浮かぶ。


(この気持ちをどう表現すればいいんだ? 一体、俺は何がしたいんだ?)


 誰もいない屋上で心の中に気持ちを吐露とろしても結局答えは出なかった。






「お、戻ってきた。あいつはどうだった? そんで水瀬さん、堕とせそうなん?」


 校舎裏、ある男子生徒が帰ってきたのを見て数人の内の1人が声を掛ける。


「んー、話してみたら『ザ・優柔不断』って感じかな。だから水瀬さんの方は、まあ時間かければ行けるっしょ。あいつは告白する勇気なさそうだし」


「ほんじゃ、うちらはすることないね」


 そう言って別の生徒が立ち上がり、校舎内へ戻っていく。


「油断するなよ~石上」


 それを見て他の生徒も教室に戻ろうと軽い支度を整える。


「もちろん。今度はちゃんと時間をかけて攻略するさ。神里悠人が水瀬さんの何なのかは知らないけど、こっちもSSSランクの美少女を何人も堕としてきたんだ。場数が違う」


 美味しそうな食材をどう調理するか考えるシェフのように、楽しそうな笑みを浮かべながら石上は教室へと歩みを進めた。

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