第十一項「たこ焼きパーティー(後半)」 side神里悠人&水瀬瑞葉

「ほ、本当に食べさせるの? 俺が? 水瀬さんに?」


 まさか水瀬さんから申し出を受けることになるとは思わず繰り返し聞き返してしまう。


「ほらあ、水瀬にゃんも言ってるんだからさあ、覚悟決めちゃいなよ!」


 したり顔の橘が決断を迫るようにはやし立てる。


「神里君……私は、その、嫌じゃないから……」


 そう言いながら隣に座る水瀬さんが自分の方を向くために座り直す。

 膝に手を置いて姿勢正しく待つその姿は、王様ならぬ気品溢きひんあふれるお姫様のように見えた。


「まあ、悪いことにはならなかっただろ」


「わるっ……!」


 目をつむりながらゆっくりとお茶を飲むくまに『悪いことだろ!』と反論しかけたが、そうしてしまうと後から『どこがどう悪いと思ったのか詳しく!』と橘にツッコまれる気がするので、ぐっと言葉を飲み込むことにした。


「は~や~く~! あまり待たせると水瀬にゃん疲れちゃうよ?」


 橘の『疲れちゃう』という言葉に触発され、覚悟を決めて机にある箸を持つ。

 運んでいる途中で落とさないよう左手をたこ焼きの下に配置しながら、たこ焼きの熱を適度に冷ませるようそっと息を吹きかけた。


「えっと、大丈夫……かな?」


「え、ええ、私は問題ないわよ」


 水瀬さんもくまと橘が見ていることの恥ずかしさがあるのか、『問題ない』という割にはどこか落ち着かない様子をしていた。


「それじゃあ……あ、あーん……」


 お決まりともいえるセリフと共に持っていたたこ焼きをゆっくり水瀬さんの口元に運ぶ。


 こんな時だからこそ余計に意識してしまうのか、必然的に水瀬さんについての情報がより多く頭に入ってくる。

 

 家の中の明かりを受けて綺麗きれいな輝きを見せる水瀬さんの黒髪に長いまつげ、丁寧に手入れされているように思える白い頬。

 

 目を閉じている状態だからか、水瀬さんのその整った顔立ちがより強調されて見えた。


「んっ……」


 しかしそんなご褒美タイムも、水瀬さんがたこ焼きを口に入れるまでのわずかな間で終わってしまう。

 再びテーブルの方へ体を向けると、食べさせている瞬間やけに静かだった橘と目が合った。


『ねえ、……だった?』


 水瀬さんがたこ焼きを食べている間が好機だと思ったのか橘は口パクで何かを伝えてきたが、読唇術を心得ているわけでもないので結局ほんの少ししか分からなかった。


「……ご馳走様でした」


「ふふん、どう? 水瀬にゃん、悠人に食べさせてもらった感想は?」


 にまあと効果音が付きそうな顔で橘が問い詰める。


「特に何もないわよ」


「ほんと? なんにも?」


 時々こういう橘の根性に、将来は記者が向いているんじゃないかと思うことがある。


「ええ、なんにも」


 それでも水瀬さんは一向に表情を変えない。


「ちえ~、つまんないの」


「橘、本音が出てるぞ」


 とうとう本音を隠すこともしなくなった橘にジト目を向ける。


「むう、それじゃ棒を回収するね~」


「こっちはたこ焼きの面倒を見てるから悠人達はもう少し食べてていいぞ」


 いつの間にかたこ焼き奉行に転職していたくまが、これまた慣れた手つきでたこ焼きをひっくり返す。


「ありがとう。お言葉に甘えていただきます……って甘っ!」


「あ、それチョコ入りのやつ。うちが食べようと思ってたんだけどなあ」


「……もしかして他にも何か入れてる?」


 あの橘がチョコだけで終わるはずがない。


「……なんにも?」


「絶対嘘だ」


 口笛を吹けない橘が頑張って吹こうとするも結局吹けないその姿は、『まだ何か入れてあります』とまさに言葉を代弁している。


「辛っ!」


 そしてその『橘特製スペシャルたこ焼き』を引き当てたのは水瀬さんだった。


「橘! 何を入れたんだ!」


 辛さを中和しようと急いで水を飲む水瀬さんの姿を見て思わず大声が出てしまう。


「……デスソース」


「また余計なものを……水瀬さん大丈夫? 今、氷水持ってくるから!」


 まだ辛さが収まらないのか、水を飲み干してしまった水瀬さんに手早く用意した氷水を渡す。


「んっ……」


 氷水を受け取った水瀬さんは額に汗をにじませながらも再び一気に水を飲み干した。


「花蓮、ちょっとこれ食べてみて」


 くまの方は何を思ったのか、おもむろに1つのたこ焼きをつまんで橘の口へ運んだ。


「へ? いいけど……って辛っ!」


 因果応報とはこのことだろう。

 

 流石にくまも橘がやり過ぎていると感じたのか、デスソース入りのたこ焼きを橘に食べさせたらしい。


「ほめんなはいぃ……」


 デスソースの辛さを体験した橘は反省した様子で水を飲み始めた。


「多分、花蓮が用意した変わり種はこれでおしまいだから2人とも安心して食べていいよ」


「すまん、助かる」




 そんなこんなでたこ焼きパーティーは終わりを迎え、片付けを終えたくま達が帰る時間となった。


「ほんとはお泊りまでしたかったんだけどねえ」


 名残惜しそうに橘が呟く。


「まあ、テスト終わった後の夏休みとかまた機会はあるから」


「……今度たこ焼きパーティーを開くときは平和な具材にしてもらえるかしら?」


 デスソースはまだ水瀬さんの中でトラウマになっているようである。


「ごめんって水瀬にゃん! あれは悠人に食べてもらう予定だったの!」


「おい」


 ここまでくるとかえって流石というのか、橘のいたずら根性は未だ健在だった。


「それで水瀬にゃんが悠人を看病するところを……って分かった! 分かったから!」


 見かねたくまが橘を玄関の外へ追いやる。


「悠人、またな。それとごめん。水瀬さんも花蓮が迷惑をかけて申し訳ない」


「気にしてないわ。その……辛いのだけは勘弁してほしいのだけど」


 それでも楽しかった気持ちの方が大きいのか、水瀬さんの表情は晴れやかである。


「もちろん。次からは花蓮の持ち物を検査してから来ることにするよ。それじゃあ、お邪魔しました」


「お邪魔しました~! 水瀬にゃん、今度は女子会しようね!」


 にょきっと器用に顔だけ出した橘が手を振って再びフェードアウトする。


「ええ、また今度」


「2人ともまた遊びにおいで」


 そうして、くま達が自転車に乗って帰っていくのを見届けてから戸締まりをしてリビングに戻る。


「水瀬さん、辛いのはもう大丈夫?」


「大丈夫よ。あの時は本当にびっくりしたけど」


「あはは……まさかデスソースを持ってくるとは思わなかったよ。橘のことだから、何かあるとは少し予感してたけど」


 もっと早く気づいて事前に調査しておけばと今更ながら思う。


「そうね、でも楽しかったわ」


「それならよかった」


 言葉こそ短いものの、その声色と表情から水瀬さんがくま達とのたこ焼きパーティーを心から楽しめていたことが伝わってきた。


「さて、そろそろ私は寝る支度をするわね」


「そうだね。もうこんな時間になってるし」


 リビングの時計は数分後に22時を指すところまで来ていた。


「それじゃ、少し早いけど、おやすみなさい」


「うん、おやすみ」


 そう言って水瀬さんは自室へと足を進めていった。


 体育祭も残すところあと3日というところまで迫っており、二人三脚の練習はもちろん、テスト勉強の方も本腰を入れて取り組まなければならない。


 今後の方針を心の中で再確認し、気持ちを切り替えるためにもシャワーを浴びにと、部屋へ着替えを取りに行こうとしたその時だった。


「神里君」


 声の主へと体を向けると、水瀬さんが自室から上半身をのぞかせて手招きをしていた。


「えっと、まだ何かあったかな?」


 考えを巡らせてみたものの見当もつかなかったので、とりあえず手招きする水瀬さんの方へと近づいた。


「その……王様ゲームの件なのだけど、嫌な思いをさせてしまったらごめんなさい」


「そんな! むしろ俺の方が謝りたいくらいだよ。いくらゲームとはいえ、やり過ぎだと今でも思うし」


 してしまったことなのでとやかく言ってもしょうがないのだが、あの場は食べさせるのが正しい行動だったのかと考えると未だに迷いがある。


「そう、それならいいのだけど。もし……もし、そうなら……いえ、なんでもないわ。引き留めてごめんなさい。また明日ね、おやすみ」


 何かを言いかけた水瀬さんだったが、その続きの言葉は『なんでもないわ』という言葉と扉を閉める行為によって無理矢理切られることとなった。


「最後のは何だったんだろうか……」


 水瀬さんにしては珍しく歯切れの悪い会話の終わり方のように思える。

 しかし追及できないのも事実なので、仕方がないと割り切りシャワーを浴びようと浴室へ向かうことにした。






 鏡を見なくても分かる。

 今の私の頬は真っ赤になっているだろう。


「恥ずかしくて言えないわ……。その、もう一度……もう一度……」


 食べさせて欲しい、なんて。


 自分がこんな感情を持つようになってしまった原因はなんとなく想像がつく。

 きっと今まで、家族でするようなこういう行動をとったことがなかったからであろう。


 でも、多分、それだけじゃない。


「相手が神里君だから、なのかしら……」


 そう扉越しにも届かないように小さく呟いた声は、彷徨さまよった挙句あげく誰にも聞こえることなく部屋に溶けていった。

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