第九項「作戦会議」 side神里悠人

「ごめんなさい。情けない姿を見せてしまったわ」


 自分が水瀬さんに抱いている感情についての悩みは、落ち着きを取り戻した水瀬さんのりんとした声で霧散むさんすることになった。


「気にしないで。少しは落ち着いた?」


「ええ、もう大丈夫だわ。それで、話の続きになるのだけどたちばなさん達にどう伝えるのかやタイミングなどが問題になるわよね」


 ふとした悩みによって翻弄ほんろうされていた間にハンカチで目元をぬぐったのか、水瀬さんの目元に涙のあとは無く、ひとみは普段の輝きを取り戻していた。


「そうだね。でも伝えるタイミングに関しては出来るだけ早い方がいいと思う」


「それはどうしてかしら?」


「体育祭で、仮に同棲どうせいしていることをほのめかすような言葉を言ってしまってもくまたちがそれを助けてくれるからさ」


 元々誰にも伝えない方針でいたためにくま達を頼る考えを排除してきたが、それが変わったとなれば万が一ミスした時のリスクも軽減できるというものである。


「……確かに、一理あるわね」


「もちろん、その言葉を言わないに越したことはないけど疲れていたりすると気が抜けてしまう可能性もあるし、それに体育祭の後だとテストやくまの部活の夏季大会もあるから早い方がいいと俺は思う」


「そうね、その通りだわ。でも、あと少しで体育祭本番なのに実際にどこで伝えるつもりなの?」


 水瀬さんが言うように、体育祭まではもう片手で数えられるまで日数が迫っている。

 加えて天真高校の校庭で居残り練習も可能となった今、学校のどこかでこの話をカミングアウトするのは流石にリスクが大きい。


 様々な条件を考慮し、消去法で考えると残る場所はこれしかなかった。


「……できるなら明日の放課後、くま達にこの家まで来てもらうしかないんじゃないかな」


「……言いながら少し考えたけど、私も同じ結論に至ったわ」


 偶然にも、どうやら水瀬さんもそう思ったらしい。


「ここなら誰かに聞かれる心配はないし、たとえくま達が家に入るのを見てもただ遊びに来ただけだと思われるし、今のところデメリットが考えられない」


「2人に伝えると決定したのなら、家に見られて困るものも置いていないし私はその意見に賛成するわ」


 たまたま水瀬さんと合った目が、お互いの意見が一致したことを改めて認識させる。


「よし、一応確認させてもらうね。伝えるタイミングは明日の放課後で、伝え方はこの家にて真実を打ち明ける方針である。これで大丈夫?」


「ええ、問題ないわ」


「それならこの話はここまで。あとはどうする? 時間的には二人三脚の練習とか出来そうだけど」


 晩御飯は食べてしまったがお風呂には入っていないため、今から二人三脚の練習をしようと思えば出来る状態である。


「……申し訳ないけどお断りさせてもらってもいいかしら? 今日はこのまま休みたいの」

 

「了解。じゃあ、俺も自分の部屋へ戻ることにするよ。おやすみなさい」


「ええ、おやすみなさい」


 かくして、水瀬さんとの作戦会議は終わりを迎えることとなった。


 

 その後、特に問題が起きるわけでもなく翌日を迎え、帰りのホームルームもそろそろお開きとなる時間が近づいてきた。


「それでは皆さん、体育祭の練習をするなら怪我をしないように。あと、帰り道には気をつけてくださいね」


 担任の先生のめの言葉で一斉にクラスメイトが動き出す。

 それはくま達も例外ではなかった。


「悠人! 今日は残っていくのかい? 折角だからどっちのペアが早いか競争しようじゃないか」


「そうしたいところなんだが……悪い、今日このあと時間とれないか?」


 昨晩の相談の通りくまを誘う。

 

「練習の後か? それなら問題ないぞ」


「……できるなら今すぐがいいかな。まあ、少し込み入った話なんだよね」


 くま達の練習の邪魔をしていると直で感じ、改めて申し訳ないと思いながらも話を続ける。


「……ふむ。花蓮かれんはどうする? 場所は学校でいいのか?」


 俺の『込み入った話』という一言でくまのまとう雰囲気が変わる。

 橘にも言える話だが、このカップルは本当に察しが良い。


「できれば橘も連れてきて欲しい。場所は俺の家……今、くまの連絡先に住所を送った」


「分かった、それならば行こうか。とりあえず先に向かっててくれ。橘に声かけてから悠人を追っていくよ」


「了解。待ってるよ」


 くまが橘の方へ歩いて行ったのを確認し、帰りの支度を手早く済ませてから帰路につく。

 帰り際に水瀬さんの席をちらっと見ると荷物と姿はすでに無く、どうやら先に帰っているようだった。


 

 体育祭の練習をするために校庭へ向かう生徒達を横目に校門をくぐっていく。

 

 昨日の夜は覚悟を決めていたはずなのに、家へと足を進めるほど緊張で手汗が止まらない。

 くまや橘のことはもちろん信頼しているが、2人に告げる始めの言葉を頭の中で考えるほど、水瀬さんと一緒に暮らしているこの状況が如何いかに非日常的か思い知らされる。


 一体何回シミュレーションを繰り返したのだろうか、気づいたときにはすでに家の玄関の前に立っていた。


「ただいま」


「……おかえりなさい」


 やはり水瀬さんの方も緊張しているのか、いつもの水瀬さんのんだ声が今はどこかにじんでいるように聞こえた。


「……ついにこの時が来てしまったわね」


「そうだね。決断したのは昨日とはいえ、秘密をカミングアウトするというのは流石に体が強張こわばるよ……。ごめん、荷物だけ置いてくるね」


「ええ、いってらっしゃい」


 リビングでそわそわしながら麦茶をちびちび飲む水瀬さんの横を通り過ぎて自分の部屋に向かう。

 荷物を下ろすことで心の荷も軽くなるのかと少し期待したが、残念ながら望みの通りにはならなかった。


「お待たせ。くま達には声掛けたから多分そろそろ来ると思う」


「分かったわ。2人とも家に来るのは初めてなのよね?」


「その通りだよ。だから、くまの連絡先に場所を送ってある」


 返事をしようとしたのであろう、水瀬さんが口を開こうとした時、来客を知らせる家のチャイムが鳴った。

 通話を繋げるためにインターフォンをのぞくと、まるで写真を撮る瞬間のようなポーズをきめたくまと橘が映っていた。


「……ドア開けたから入っていいぞ」


『ありがとー! お邪魔しまーす!』


 エントランスからでも響いてきそうな橘の声に、近所迷惑になっていないか少し不安になるも、それは別の事で上書きされることとなった。


 玄関に向かおうとしたその時、きゅっとひじあたりの服のすそが引っ張られる。

 何かに引っかかったのかと振り返ると、なんと水瀬さんが裾を掴んでいた。


「大丈夫……よね」


 その水瀬さんの一言でふと思い返す。


 『信じる』と決めた水瀬さんこそ一番緊張している、ということに。


 くまと橘を『信頼できる』と後押ししたのは自分である。

 ならば、そんな自分が不安がっている場合ではないだろう。


 何故なら、水瀬さんを笑顔にしたいから。


「大丈夫。きっと、上手くいく」


 裾を引っ張っていた水瀬さんの手を取り、しっかりと目を合わせてからめるように言葉を伝えていく。


 それは効果覿面こうかてきめんだったようで、いつの間にか震えていた水瀬さんの手も落ち着きを取り戻していた。


「……そうよね。きっと、大丈夫だわ。……よし! それじゃあ2人をお迎えしましょう!」


 己にかつをいれるためか、気合で自分を鼓舞こぶした水瀬さんと共に再び玄関へ足を進める。

 すると、おそらくくまと橘であろう足音が聞こえた。


 その音に水瀬さんと目を合わせうなずきながらドアノブに手をかける。

 

 チャイムと同時にドアを開けると、水瀬さんまで顔をのぞかせたことに驚いたのか手を口に当てる橘とやっぱりなというような顔をしたくまが立っていた。


 そんな2人の反応を見てからもう一度水瀬さんと顔を合わせる。


 何の偶然なのか、くまと橘に告げる初めての言葉は水瀬さんと同じだった。


「「いらっしゃい!」」

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