第八項「変化か現状維持か」 side神里悠人&水瀬瑞葉
「それで、そのお話を聞かせてもらってもいい?」
ご飯を食べ、片付けまで終わらせた後、ようやく一息つける時間ができたので予め伺っていた水瀬さんの話について尋ねる。
「ええ、構わないわ。でもその前に1つ聞いておきたいことがあるのだけど」
テーブルを挟んで真正面に座っていた水瀬さんが居住まいを正す。
「神里君にとって、くま君はどういう人なの?」
「くま? 俺にとってくまとは……ねえ……」
言わずもがな、俺にとってくまは大親友である。
くまとの関係は中学校の入学式の時にたまたま話しかけた相手がくまだったことから始まる。
それから会話するうちにいくつかの共通の趣味が見つかり、クラスが別々になっても交流が途切れることはなく、
そんな『紆余曲折』にはくまと
「そうだなあ……色々あったけど、一言で表すなら『この人のためならどんな目にあってもいい』って思える人かな」
「……絶大な信頼を置いているのね、くま君に対して」
「もちろん。大親友だからね。ああ、それと橘も同じくらい信頼しているよ。あの2人は中学校時代からお世話になっているからね」
「……そうなのね。分かったわ」
水瀬さんは何かを理解したように
どうしたのと声を掛けようとしたが、この熟考が水瀬さんのお話の重要な『何か』に繋がるのだろうと直感がしたので、その声を飲み込むことにした。
「ねえ、神里君。私は『契約』を1つ
「……え?」
そんな自分の反応を見て、水瀬さんは一呼吸置いてから続ける。
「幼馴染の体で過ごす、というのを変更したいの」
「……どういうこと?」
何か大事な話があることは雰囲気で何となく分かっていたことだが、まさか『契約』に関して水瀬さんの方から言及があるとは思わなかった。
「もちろん、ちゃんと説明するわ」
「えっと、お願いします」
「まず、幼馴染という体をとった理由について、これは一緒に暮らしていることがクラスの皆に知られてしまうトラブルを事前回避するためで合ってるわよね?」
「うん、合ってるよ」
この件は俺と水瀬さんが初めて会った翌日の出来事であった。
学校が同じだと気づいてから提案した、ある種
「それなら、トラブルが起きないと確信している状況にいるのであればその設定はいらないわよね?」
「まあ……そうなるね」
「それにこの嘘がいつまで隠し通せるか分からない、
「……そうだね、大丈夫」
確かに水瀬さんの言う通り、そのような状況であるならこの設定は不要なものとなる。
しかし、当然だが未だ先を見通せる状態とはとても言えず、幼馴染設定を捨てたいと言った水瀬さんの本意が見えてこない。
「だから、私は段階的にこの幼馴染という設定を解除したいと思っているの。具体的には橘さんとくま君相手にこの嘘を止めるつもりでいるわ」
「……なるほどね。さっきのくまに対する質問はここに繋がってくるのか」
水瀬さんとくまの交流はないはずだが、俺が信頼する人ということで水瀬さんはくまを安全とみなしたのであろう。
とはいえ、この選択をしてしまうと、もう後戻りはできない。
一度幼馴染だと伝えているのに、幼馴染ではないと宣言した後、やっぱり幼馴染でした、なんて誰が相手でも疑問の念を抱くはずだ。
「でも水瀬さん、本当にそんなことしていいの? いくらあの2人相手でも後戻りはできないよ?」
忠告の意味も込めて再度水瀬さんに確認する。
「分かっているわ。もちろん、前に進むのが怖くなくなった訳じゃない。未だに過去に起こった出来事を今と照らし合わせてしまうこともある。でも、私気づいたの。こうやって過ごすことが楽しいって」
「……」
「橘さんは素敵な人。そして、くま君もきっと良い人。この4人で過ごすことに楽しさを見出せたから、せめてその場にいるときだけは出来るだけ誠実にいたい。一気に全部を明かすことはできないけど、それでも前に進みたい。一度失いかけた未来だからこそ、後悔しない人生を歩みたいの」
「水瀬さん……」
「誤った選択をしてしまうこともあるかもしれない。辛い目にあうかもしれない。何日も悩みの消えない時間が続くかもしれない。それでも、私はここで、自分の手で大きな変化を起こしたい。幸せな未来のために」
まだ短い時間ではあるが、今まで色んな水瀬さんを見てきた。
その経験を以て、確実に言えることが1つある。
それは、今この瞬間が、最も水瀬さんの
「……ごめんなさい。自ら言っておきながら、なんて自己本位の意見なんだと思っているわ……」
水瀬さんがそう望んでいるのなら、その意見を支持するべきだ。
水瀬さんを助けたのは自分で、だから……。
……そんな考えで良いのだろうか。
水瀬さんはしっかりと芯をもって話している。
それは誰かにそそのかされたから生まれた意見ではない。
自ら経験したからこそ生まれた意見なのだ。
ならば、自分はどうするべきか。
……まずは、誰かにそそのかされたわけでもない、自分の思っていることを心から述べるべきであろう。
1つ目。
真実を橘やくまに教えてもいいのか。
橘とくまだけなら問題ないだろう。
信頼できる2人である。
2つ目。
水瀬さんの選択を応援したいのか。
当たり前だ。
応援したいに決まっている。
最後。
自分の望んでいることは何か。
水瀬さんと過ごしているうちに色々と望むことは増えたけど、原点である『あの』気持ちは変わっていない。
水瀬さんが笑顔で過ごしていることを俺は望んでいる。
大まかではあるが、要所はこんなところであろう。
水瀬さんが希望している選択と、自分の思いは矛盾しない。
これなら踏み出せる。
「俺は……水瀬さんの選択を支持する。これは、こうした方が喜ぶから、とかじゃない。自分で考えて、悩んで生み出した結論だ。くまと橘には幼馴染じゃないことを伝えよう」
「神里君……」
考える姿勢を止め、はっきりとした意志を見せるために顔をあげると、泣きそうな
「それに、水瀬さんの悩みを教えてくれてありがとう。おかげで俺もこの選択に自信を持てた」
「……どういたしまして……」
泣きそうな状態から耐えきれなくなったのか、ぐすっという音と共に水瀬さんの
「……細かい話は落ち着いてから話そうか」
幼馴染ではないことを伝えるといっても、他の『契約』との兼ね合わせや伝えるタイミングなど考えなければならないことはたくさんある。
しかし今だけは、そんなことは重要でない。
かつて泣いていた葵の頭を撫でたように、水瀬さんに対しても早く笑顔になって欲しいという一心で無意識に体が動く。
だが、信頼を壊しかねないとも受け取れるそんな
その痛みで目を覚ますことになった俺は今の一連の動作でとあることに気づく。
自分が水瀬さんに抱いている気持ちは、果たして友人に抱く感情であると形容できるのか、と。
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