第七項「幼馴染設定」 side水瀬瑞葉

 目がめると時刻はすでに夕方を迎えており、晩御飯の支度を始めなければいけない頃だった。

 体を起こし一通り動いてみたが風邪の影響はみられなかったので、体調に問題がないことを伝えるためにリビングへおもむくと、そこにはすでに晩御飯の支度をし始めている神里君の姿があった。


「私、晩御飯作れるわよ」


「うわあ! びっくりした! ええと、おはよう。水瀬さん」


「おはよう。それで、熱も無いし体調も問題ないから晩御飯の支度できるのだけど」


 思い返せば、私が居候を始めてから神里君がキッチンに立つのはこれが初めてなはずである。

 不甲斐なさ故なのか、見慣れない神里君の姿に何故か心を締め付けられながらも言葉を続けた。


「神里君? 私、できるわよ?」


「それはダメかな。今日は1日休んでください」


 健常な状態であるのにも関わらずお手伝いすら出来ないのは心苦しいが、こうもはっきり断られてしまっては引き下がるしかない。

 醜態しゅうたいさらしたとも言える先日とは違い、クリアになった思考で冷静な判断を下す。


「そこまで神里君が言うなら……今日中はお世話になろうかしら」


「とりあえず今は英気を養う時間にしてくれると嬉しいな」


「分かったわ」


 その後、神里君作のおかゆ堪能たんのうすることになった。

 熱によって汗をかいたのを配慮してくれたのか、塩加減が絶妙に調節されているあたり神里君の優しさが伝わってくる。

 


 その後、『元気なのは分かるけど一応ね』と神里君に後押しされ、残りの時間はお風呂と睡眠だけにてられることとなった。

 軽く勉強でもしようかと思ったのだが、神里君の言う通り再び体調を崩してしまっては本末転倒である。


 それに数日後には体育祭も控えているのだ。


 髪を乾かして軽くスキンケアをしながらそう自分自身を納得させる。

 

 自室へ戻る前に神里君へ就寝の挨拶として一声かけようと思ったが神里君はリビングにおらず、すでに部屋へ戻っているようだった。

 ドアをノックして一応知らせておくべきか迷ったが、もし勉強していたら邪魔になるだろうと考え、ドアの前で小さく『今日はありがとう。おやすみなさい』と呟いてきびすを返した。


 自室に戻る際、ドアを施錠するか否かにも迷ったが、助けてもらった前例もあるので念のため今晩までは施錠しないことに決め、ベッドへと体を預ける。

 

 明日こそ無事に登校できますようにと願いながら部屋の電気を落とし、目を閉じた。



 

「おはよう、水瀬にゃん! 体調は大丈夫?」


 無事に登校できたのもつかの間、昨晩の気だるささえ吹っ飛ばす勢いでたちばなさんに挨拶され、日常が戻ってきたことを実感する。


「ええ、この通り問題ないわ」


 その場で手を伸ばしながら軽く背伸びをし、十分に体を動かせる証拠を示す。


「うんうん。大丈夫そうだね。もう、水瀬にゃんが居なくて寂しかったよ~」


 あろうことか、そう言うと橘さんは私に抱きついてきた。


「橘さん?」


 急なスキンシップに驚きながらも橘さんの顔色をうかがう。


「せっかく仲良くなったのにすぐ居なくなっちゃうんだからびっくりしたよ~」


 体勢を戻した橘さんはどこか含みを持たすような言い方をしながら続ける。


「くまも言ってたけど、神里君が……おっと、いけない! これは内緒なんだった!」


 今度は花が咲くような笑顔を浮かべながら人差し指を唇に当て、そして堂々と言い放った。


「……なんだか、楽しそうね」


 どこをどう反応して良いか分からなくなった私は思ったことをそのまま述べた。


「そりゃもちろん! なんたって水瀬にゃんが戻ってきたんだからね!」


 神里君とはまた違ったタイプに思えるような、ストレートな物言いと明るさに少したじろぐ。


 

 やはり橘さんは感情表現が豊かだ。

 

 その笑顔に裏表はなく、私が復調したことに心から喜んでいる。

 そうであるなら、私も応えなければならない。


 あの『彼女』以来の、『同性の友人』として。


 伝えたい言葉は、例の神里君との一件のおかげか思ったよりもすんなりと出てきた。


「その、心配してくれてありがとう」


「どーいたしまして! ありゃ、もうこんな時間か~。水瀬にゃん、またね!」


 私からお礼の言葉が素直に返ってきた驚きか、単にお礼を返されたことに対する喜びか、まぶしすぎた橘さんの笑顔からは読み取れなかったものの、この判断は間違っていなかったようである。


 そんな橘さんとの会話は始業のチャイムによってさえぎられることになった。




「水瀬にゃん、お昼ご飯食べに行こ!」


 4時限目の終了を告げるチャイムを聞き終えると同時に突撃してきたのはこれまた橘さんである。


「いいわよ」


「ふっふっふ。今日は面白い1日になるぞ~!」


「……何か隠してるの?」


「ううん? なーんにも?」


 お昼御飯にしてはやけに高いテンションで歩く橘さんに対し不穏な予感を抱きつつも後に続いて進む。


 そして、その予感が的中したのはその数分後の出来事だった。



 

「……それで何故水瀬さんがここにいらっしゃるのでしょう?」


「私に言われても……」


 橘さんに案内された席が何故か4人席であったことの理由の判明と共に現れたのは、神里君とその友人のくまと呼ばれる人物だった。


 その後、仕掛人であろう2人によって行われた怒涛どとうの質問攻めに神里君が受け答えをする。

 質問内容はどう見ても私に関するものだったが、私の意識は私を除いた3人のやりとりを見て別の方へと強く引っ張られることとなった。

 

 それは今までの私になかった『青春』という感情である。


 神里君に橘さん、そしてその2人と深いつながりを持っていそうなくま君。

 皆それぞれ違う個性があって、それでもなおこんなに楽しそうに話している。


 ムードメーカーで皆を引っ張る橘さん、その橘さん、神里君2人と交流の深いくま君、そして何よりここまで私を導いてくれた神里君。


 本当にここにいていいのか疑いたくなってくるほど、未来が楽しみになってくる。



「実は……俺たち幼馴染なんだ」


「ええ!」


 ふと聞こえた神里君の発言から、私はこんなことを思ってしまった。


 もし、もしこの先もここにいる4人で過ごすことになるのなら『真実』を明かしてもいいのではないか、と。


 確かに、『幼馴染設定』は面倒事を避けるため結ばれた『契約』である。

 しかし、逆を言えば面倒事が起きないと確信した状況では不要だと言えるだろう。


 私は、橘さんになら『真実』を明かしてもいいと思い始めている。

 それは今までの橘さんの行動により証明された信頼の蓄積によるものだ。


 もちろん、程度としては神里君に及ばないが、それでも橘さんは信頼するに足りるとはっきり言える。

 

 くまさんに関しても、神里君の立ち振る舞いから誠実な人物であるとうかがえるであろう。

 私の過去の経験があるからこそ、浅い関係なのか深い関係なのかの境目が分かるようになった。


 つまり、橘さんとくまさんが十分に信頼できるならば、『真実』を明かしても受け入れてくれるのではないかということだ。


 これは今後の学校生活をけた大きな挑戦である。

 もし仮に失敗したらどうなるかは想像にかたくない。


 だが、私はそれよりも明るい未来を掴み取りたい。

 それもできれば、この4人で。



 いつの間にかお昼休憩での4人の会話は終わり、気が付くと私は帰路についていた。



 

 リスクが大きい挑戦ほど人は尻込みしやすい傾向があると私は考えている。

 どうしても失敗した時のことを想像してしまうからだ。


 しかし、私の場合は『そもそも無かったはずの未来』である。

 あの時神里君が助けてくれなかったら閉ざされていたはずの未来を私は生きている。


 ならば、どんな色に染めても、真っ白な色紙よりかはきっと美しいはずだ。


 

 この先、私は多くの選択を迫られることになるだろう。

 即断できるときもあれば、もちろん躊躇ためらうときもある。


 それでも、この選択は後の選択において大きな指標となるはず。


「私もあなたのように……」


 いつしかつぶやいていた『彼』にこの決断を伝えるため、私は帰る足を早めた。

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