第七項「幼馴染設定」 side神里悠人

 その後、特段何かが起きることも無く時間が過ぎた。


 夕方になって目を覚ました水瀬さんは、どうやら復調したらしく『私、晩御飯作れるわよ』と申し出てくれたが、今日中はしっかり休んでもらうため丁重にお断りさせてもらった。

 ちなみに、晩御飯はアレンジしやすいカレーを多めに作り、次の日の水瀬さんの負担を減らしつつ、そんな水瀬さんにはおかゆを食べてもらうことにした。




「よう、体調は元に戻ったのか?」


 翌日の朝、水瀬さんの体調に異常がないことを再度確認し普段通り水瀬さんと別れて登校すると、案の定くまから心配の声を掛けられた。


「ああ、この通り調子良いよ」


 水瀬さんの看病のためとはいえ、くまに嘘をついてしまった後ろめたさを感じながらも、体をひねったりなど快調をアピールする身振りを軽く行う。


「うん、問題なさそうだな。それとうちの花蓮が2人の事を心配してたから、あとで声掛けてやってくれ」


「心配かけて悪い。もちろん、そうさせてもらうよ。それに板書送ってくれてありがとう」


 言葉の通り、くまは学校が終わったタイミングで板書を写したノートを画像データとして送ってくれたのだ。

 そのおかげで皆と足並みをそろえて今日の授業に臨むことができる。


「いやいや、いいってことよ。それよりこっちの方が聞きたいんだけど」


 にやりと効果音が付きそうな笑みを浮かべるくまに得体のしれない圧力を感じながらも黙って次の言葉を待つ。


「なんで悠人が水瀬さんの体調不良を知っていたんだ?」


 やはりそのことか、と思ったのが率直なところだった。

 

 このことに関しては特に気を付けて発言しないと、言い方次第では今後の学校生活に大きな変化が生じてしまう。


 そう自分に言い聞かせて口を開こうとした時だった。


「と、追及したいところだが今は止めとこう」


「へ? どうして?」


「うーん、ほらそろそろ授業が始まるから?」


 くまの言う通り、時計は始業時刻の3分前を指していた。


釈然しゃくぜんとしないけど、まあいいか。でも大した事じゃないよ。たまたま薬局で風邪薬を買おうと思ったら困ってる水瀬さんを見つけただけだし」


「……とにかくこの話はお預けだ。ついでに言うと花蓮も何か聞きたいことがあるらしいぞ」


 不安要素を追加したくまの後ろ姿に恨めしい視線を送りながらも、切り替えて1時限目の支度をする。

 

 その際に水瀬さんの席の方向へちらっと目をやると、水瀬さんの方も橘と話していた。

 何か問題があるような様子ではないことに安堵あんどしながら目線を手元へと戻す。


「は~い、それではどなたか挨拶をお願いします」


 ゆっくりと入ってきた、優しい雰囲気をまとう国語科の先生に微睡まどろみを与えられそうになりながらも無理矢理脳を活性化させる。

 

 思ったよりくまに追及されなかったなと、心の安寧を取り戻していたところに冷や水を浴びせられたのは昼休みのことだった。




「……それで何故水瀬さんがここにいらっしゃるのでしょう?」


「私に言われても……」


 一緒にお昼ご飯を食べようと学食を利用するくまについて行くと、そこには水瀬さんと橘という先客がいた。


「さ~て、お話を聞かせてもらおうかな~?」


 まるで漫画にありそうな、かつ丼を食べさせる取り調べ中の警察官のように、いやこの状況では、身代を確保した悪党のように薄っすらな笑みを顔に張り付けた橘が声を上げる。


「何を話せばいいんだ。説明ならさっきくまにしたぞ」


「え~、あれ本当なの? 水瀬にゃんが初対面の人にそこまで自分の弱みを見せるってことしないと思うなあ」


 こういうところがあるから橘は侮ってはいけない。

 

 そもそも侮っているわけでもないのだが、相手の心中に人一倍敏感なのが橘の特徴と言える。

 さらにその人が抱えている問題の解決能力も高いため、中学生時代は橘相談所が開設できるほど人望があった。


 そんな橘が加えて興味津々であることを考慮すると、今回の事件はそう簡単に逃してくれないという結論に辿り着くのは難しくない。


「……私の体調的にそんなことを言ってる場合じゃなかったのよ」


「ほんと? まあ、水瀬にゃんが言うならそうなのか~」


 水瀬さんも証言することで小火ぼや騒動は収束に向かう、はずだった。


「それなら、2人のお弁当の中身が一緒なのはどうしてなんだ?」


 その小火ぼや騒動はくまの発言により大炎上へ方向転換した。


「わあ! 本当だ! ねえねえ、なんで!?」


 おかげさまで橘の興味も復活し、この有様である。


 しかし、こんな時のために水瀬さんと決めたあの『契約』がある。

 連続でだますことになるのは気が引けるが、背に腹は代えられない。


「……そのことについて、2人に言ってなかったことがあるんだ」


 信憑性しんぴょうせいを高めるために、『問い詰められて観念した』という雰囲気を作る。

 効果はあったようで、くまと橘から固唾かたずむ様子が見られた。


「実は……俺たち幼馴染なんだ」


「ええ!」


 驚きのあまり立ち上がりながら大きな声を上げてしまった橘に、食堂にいる人から好奇の視線が浴びせられる。

 そんな橘が落ち着くのを待ってから、お弁当の件に対する説明を続けた。


「お弁当の件は、始めは一人暮らしに慣れるまでの間だけのはずだったんだけど、それがなあなあでここまで続いてしまって……。今まで黙っていて申し訳ない」


 対面に座るくまと橘に頭を下げる。

 すると、2人は軽く互いに顔を見合わせて何かを示し合わせるようにうなずき、橘が口を開いた。


「なんで黙っていたのか、なんてうちは聞く気ないよ。それなりの理由がありそうだし。でも……そうか、幼馴染かあ」


 雰囲気作りが功を奏したのかありもしない謎設定と重い雰囲気に、人の機微きびさとい橘の固有能力が発動し、追及しない方針へとかじを切ってくれた。


「ふむ、だったら納得だな。今までの悠人の行動にも全て説明がつく」


「俺、言うほど変な行動してたか?」


「すまん、ちょっと探偵風に言いたかったんだ」


 くまのボケにジト目を送りながらも、なんとかやり過ごせたことに安堵のため息を漏らす。


「……」


 この一連の間ずっと沈黙を貫いてきた水瀬さんの様子が気になったが、そのことに関しては家に帰ってから聞こうと心に決め、残りの時間を過ごした。




「ただいま~」


「おかえりなさい」


 なんだかんだ言いながらも無事に帰宅することができ、昨日という非日常から日常へと戻ってきた感覚を実感する。


「水瀬さんもお疲れ様」


「ええ、神里君もお疲れ様」


 水瀬さんが料理を休んだのはたった1日だけだというのに、このようにエプロンを着て髪を束ねながらキッチンに立つ水瀬さんを見ると安心感で感動すら覚える。


 一先ず荷物を片付けるためにと自分の部屋に足を進めていた時、水瀬さんから声を掛けられた。


「……神里君、あとで話があるんだけど、いい?」


「もちろん、大丈夫だけど」


「……じゃあ、またあとで」


 そう言って再び黙々と作業を続ける水瀬さんを見て、昼間の沈黙と何か関係があるのかと思ったが、ここから先は邪推だと感じて考えるのを止めた。


 しかし、この後水瀬さんから飛び出してきた、ある種『契約変更』とも言える提案は今後の2人の生活に大きな影響を与えるだろうと予感させるものだった。

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