第六項「信じて頼ると書いて信頼」 side水瀬瑞葉

「あ、ああ、もちろん大丈夫だよ。この部屋に居ればいいんだよね?」


 私から『お願い』を懇願こんがんされた神里君は部屋に残ることを即断してくれた。

 その後、神里君が勉強道具を取りに行きたいと、一度自分の部屋に戻る意思を私に見せた。


 もちろん、普段の私なら迷うことなく了承していただろう。

 しかし、その判断をすぐに下すことは出来なかった。


 確かに、神里君が勉強道具を取り終えたら必ず戻ってくると思っている。

 それでも部屋に1人取り残される不安がぬぐえることはなかった。


 そこまで自分の思考を分析して、口からついて出た言葉は如何いかにも子どもだと思えるものだった。


「……だめ」


「……え?」


 それを聞いた神里君は幻聴を耳にしたかのような顔で腑抜ふぬけた返事をする。

 ここまで来て少しまともな考えができるようになり、前のセリフに付け足して言葉を返す。


「それは……だめ」


「えっと、水瀬さん。何がだめなんでしょうか……?」


 何を思ったのか突然敬語で話し始める神里君に私の脳も血迷い、神里君を『気を遣ってくれている年上の男の子』と認識し、気が付くとさらに甘えるような発言をしていた。


「離れちゃ……だめ」


 タイムマシーンがあれば発言を取り消したいランキング上位に入るであろう言葉を、神里君は顔色ひとつ変えず聞き流し了承のむねを私に伝える。

 

 その後に訪れた静けさは、私に落ち着きを取り戻させてくれただけでなく神里君になら過去の記憶を話してもいいという安心感をもたらした。

 今日はとことん神里君に甘える日なんだろうなと自分に言い訳しながらぽつぽつと夢の話をし始める。


 そこには『昔の自分』を公開してしまう恐怖もあったが、いつの間にか『そんな水瀬瑞葉という私』を知って欲しい感覚にもおそわれた。

 案の定というべきか、神里君は過去の話をしても避けるわけでもなく静かに聞き入ってくれている。

 

 そして欲しい言葉を的確にくれるのだ。


「そんなことないよ。話してくれて、嬉しい」


 やはり、神里君らしい。


 しかし、そう思ったのもつかの間のことだった。


「あのね、水瀬さん。今回の事で思ったことがあるんだ」


 突然話を切り替えられ、無意識に体を強張こわばらせてしまう。


「俺たちの関係は『契約』で定義づけられていて、もう『他人』ではないと思うんだ。もちろん『契約』はそのまま残していいんだけど……何というか、その、もう少し頼って欲しい」


 そう言われてから思い返すが、そもそも神里君のお家に居候いそうろうさせてもらっていること自体頼っているのではないかと疑問が浮かぶ。


 すると、神里君は丁寧にこう説明してくれた。


「まず、水瀬さんの、真っすぐ努力するところは美点だと思う。でも、ずっと1人だといつか崩れてしまう。今だって風邪をひいていても学校に行こうとしてた。だから、俺を信じて、尚且なおかつ頼って欲しい。『他人』ではなく『契約』を交わした『信頼できる友人』として」


「『信頼できる友人』ね……」


 思えば、神里君に対して『あなたは信頼できる』と言ったことはなかった。


 始めは『契約』という手段で強引に信用関係を作ったが、今ではこうやってお世話されるほど信頼することができている。

 それでも確かに面と向かって言ったことはない。


 何故なのか。


 それは、まだ心のどこかで『大切なもの』を失うことへの恐怖が残っているのだろう。


 でも、逆にこうも考えられる。


 私、水瀬瑞葉は神里悠人を『大切なもの』と認定している。


 そう結論づけるのと、静寂せいじゃくを破る神里君の声が聞こえたのは同時だった。


「さっきも言ったと思うけど、これは俺がやりたくてやってることなんだ。確かに出会いは偶然で、それが水瀬さんじゃない場合もあったかもしれない。でも、一緒に過ごした時間は嘘をつかない。水瀬さんだからこそ、『頼って欲しい』ってはっきり言える」


 

 ずるいなあ。

 真っ先に浮かんだ感想がそれだった。


 この状況と会話を第三者に聞かせれば、『弱っているところを狙われてるよ』と忠告が飛んでくるかもしれない。

 仮に私が傍観者ぼうかんしゃでも同じことを言うだろう。


 だが、私に響いたのはこの部分だった。

 

『一緒に過ごした時間は嘘をつかない』


 これは今までの私の体験談にも刺さってしまう。

 両親に見限られ、友達に裏切られ、簡単に人を信頼できない性格になったからこそ神里君との時間が『そんなことはありえない』と潔白けっぱくを証明してくれる。



 神里君は私に手を伸ばしてくれた。

 今こそ、私が変わるときだ。


 正直この一歩は神里君にお膳立ぜんだてしてもらったところがある。

 しかし、そうだとしてもこれから口にする言葉は間違いなく2人の関係、そして私自身を変える。


 思い返せば、この会話の間は自分が風邪をひいていることを忘れていた。


「そうね、うん、私も頼りたい。『信頼できる友人』として。神里君が言うように、私も相手が神里君だからこそあなたを頼りたい」


 やっと、言えた。

 長いようで短いような戦い。

 ここまではある意味自分自身との勝負。


 だが、頼るのは何も私だけじゃない。


「でも、それだけでは不公平よ? 私も神里君を頼るから、神里君も私を頼って欲しいの」


 言いたいことを言い切ったあとは神里君との会話を楽しむだけだった。

 軽口をたたいたり、連絡先を交換したり。


 薬が効いてきたのか、そうしているうちに眠気が襲ってきた。

 神里君におやすみなさいと告げ、寝る体勢に入る。


「おやすみ。俺はここにいるからね」


 安心する一言。

 この一言だけで心地よい睡眠がとれそうだなと予感させる。


 そんな神里君に。


「1回しか言わないからよく聞いてほしいの……」


 これは私からのお礼。

 出会ってからたくさん迷惑をかけたし、多分これからもたくさんお世話になると思う。


 そんな今、これだけははっきり言える。


「神里君。あの時、私を見つけてくれてありがとう」


 あの時、飛び降りなくて良かったと。


 確実に風邪のせいではない、鳴り止まぬ鼓動に手を当てる。

 神里君にバレないよう悶えながらも、どこか晴れやかな達成感を噛みしめながらゆっくりと目を閉じた。

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