第六項「信じて頼ると書いて信頼」 side神里悠人
「もちろん、いいわよ。ただ……その、神里君にとっては迷惑だと思うけど、今日……今日だけ、そばにいてくれないかしら……?」
記憶の中では、これが初めて水瀬さんからされた『お願い』だろう。
今まで弱音を一切吐かなかった水瀬さんが、『契約』ではなく『お願い』を口にしている。
「あ、ああ、もちろん大丈夫だよ。この部屋に
しかしそれ以上に、弱っている水瀬さんの姿に加えて、体勢的に上目遣いで『お願い』されているこの状況に先ほどから心臓のドキドキがとまらない。
……それとも気づかないうちに自分も風邪をひいているのだろうか。
「ええ、それでお願いするわ」
「あ、ごめん、水瀬さん。勉強道具を取りに一度自分の部屋に戻っていいかな?」
リビングで勉強するつもりだったのだが、水瀬さんの『お願い』とあらば水瀬さんの勉強机で課題をこなす他ない。
そう断りつつ部屋を離れようとした時、またも水瀬さんの爆弾発言によって歩みを止めざるを得なかった。
「……だめ」
「……え?」
「それは……だめ」
だめという言葉の意味自体は分かる。
だが、その言葉と合わせたこの状況を理解するには程遠かった。
「えっと、水瀬さん。何がだめなんでしょうか……?」
水瀬さんの口から発せられる『だめ』の破壊力に思わず口調を変えながら真意を問いただす。
「離れちゃ……だめ」
「っ!」
水瀬さんは夢でも見ているのだろうか。
本気で疑いそうになるくらい今日の水瀬さんはやけに甘えてくる。
正直言って……物凄く可愛い。
女性としての可愛らしさとはまた違う、守ってあげたくなる『何か』を今の水瀬さんから感じる。
「わかった。じゃあ、ここにいればいい?」
そんな水瀬さんをそっと見守るように、水瀬さんが寝ているベットに背を預けながら床に座る。
「ええ……ありがとう」
その声を皮切りに少しの間部屋は
何を言えばいいのか、そもそも体調の悪い水瀬さんとこのまま会話を続けていいのか迷っていると、再び水瀬さんが口を開いた。
「私、誰かに看病してもらうって初めてなの。さっきも少し夢に出てきたのだけど、幼い頃は『早く風邪を治すように』って本も勉強道具も
「……」
このとき、上手く返事ができない自分を
それでも水瀬さんは話を続ける。
「あの時は正直習い事を休める安心感が強かったけど、そうね、今ならはっきり言えるわ。私は
「そんなことないよ。話してくれて、嬉しい」
腹を
自分から行動を起こして、自分が求めているものを相手に理解してもらう。
それを意図して行ってはいないだろうが、水瀬さんが話していることは『本当の事』だと、声色と少し遠くを見つめるような
そんな雰囲気に
「あのね、水瀬さん。今回の事で思ったことがあるんだ」
「なに?」
「俺たちの関係は『契約』で定義づけられていて、もう『他人』ではないと思うんだ。もちろん『契約』はそのまま残していいんだけど……何というか、その、もう少し頼って欲しい」
勢いで滑り出した言葉と思いは、上手くまとまることのないまま、それでもなお止まらない。
「? 今でも頼っていると思うのだけど」
「そうじゃなくて、えっと、順を追って説明するね」
「ええ、お願いするわ」
「まず、水瀬さんの、真っすぐ努力するところは美点だと思う。でも、ずっと1人だといつか
これは出会った当時から自分が望んでいたことである。
手を伸ばしたあの日から、いつか互いに笑顔で手を伸ばし合える関係になりたいと、そう思っていた。
でも、あのときは出会ったばかりで、とてもじゃないが『そんな関係』になりたいと言える状況ではなかった。
始まりの日から時間が
「『信頼できる友人』ね……」
水瀬さんは言葉を
「さっきも言ったと思うけど、これは俺がやりたくてやってることなんだ。確かに出会いは偶然で、それが水瀬さんじゃない場合もあったかもしれない。でも、一緒に過ごした時間は嘘をつかない。水瀬さんだからこそ、『頼って欲しい』ってはっきり言える」
「神里君……」
再び訪れた静寂をきっかけに水瀬さんと初めて出会ったあの光景がフラッシュバックする。
満天の星空の中、燃え尽きそうだった水瀬さんという『星』が再び輝きを取り戻そうとしている。
現在における『観測者』は俺独りだったとしても、この『星』はやがてたくさんの『観測者』に見てもらえるようになるだろう。
では、それまでに自分ができることは何だろうか。
今一度、自分自身に問いかける。
自分にしかできないこと。
自分がすべきこと。
自分がやりたいこと。
それは、水瀬さんが笑顔で毎日を過ごせるように頑張ること、だ。
決意の熱が噴火するマグマのように心の内からせり上がってくる。
そう再確認した熱意を心臓に宿そうと
「そうね、うん、私も頼りたい。『信頼できる友人』として。神里君が言うように、私も相手が神里君だからこそあなたを頼りたい」
言葉を
「水瀬さん……」
感動や嬉しさ、期待などが入り混じった心ではこう
そんな自分の様子を見て
「でも、それだけでは不公平よ? 私も神里君を頼るから、神里君も私を頼って欲しいの」
風邪であることを忘れさせそうな、ちょっとしたいたずらが成功した子どものような笑みを浮かべた水瀬さんは言う。
「それは、もちろん。それこそ次は俺が風邪をひいたら看病をお願いしたいな」
「こら、縁起でもないことを言わないの。……そのときは私がしっかり面倒を見させてもらうわね」
「少し……いや、だいぶ楽しみだな」
水瀬さんに手間を掛けさせてしまうが、それでもそんな状況は幸せそうである。
「ふふっ……。ふわあ、何か急に眠くなってきたわね」
「風邪薬が
「そうね、あ、忘れないうちに連絡先を交換しましょう」
「ああ、そうだね。……よし、この画面を読み取ってもらえる?」
「了解したわ。これでどうかしら?」
そう言うとスマホの画面に『水瀬瑞葉』と書かれたアイコンが表示された。
「うん、大丈夫っぽい。これで直接会わなくても連絡が取れるね」
「ええ、何かあったら連絡させてもらうわ。それじゃあ、おやすみなさい」
「おやすみ。俺はここにいるからね」
水瀬さんはゆっくりと
完全に閉じ切ったことを確認し、水瀬さんの方に向いていた体を反転させてからスマホのアプリにあるデジタル英単語帳を開く。
その時だった。
つんつんと服を引っ張る感覚と同時に後ろから声をかけられる。
「1回しか言わないからよく聞いてほしいの……」
何を、と口を開こうとするよりも早く耳元で
「神里君。あの時、私を見つけてくれてありがとう」
この後、英単語帳に集中できなかったのはまた別の話である。
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