第四項「体育祭頑張ろうウィーク」 side神里悠人

「よーし、スタートいいぞ! もっと早く!」


 勝負の始まりの合図と共にたちばなが立ち上がって応援する。


 体育祭まで1週間を切ったとなると、学校の授業も体育祭の練習におもきを置いた特別カリキュラムに変更される。

 今日もその例にれず団体種目であるクラス対抗リレーの練習をしていた。


花蓮かれん、張り切ってるなあ」


 前に座っているくまがしみじみとした声をらす。

 

 クラス対抗リレーは1周100mのトラックを、男女交互にそれぞれ50mを担当しながら円をえがくようにけていく競技だ。

 よって男子は男子の列、女子は女子の列として互いに背を向けた状態で座ることとなっているのだが、それでも応援している橘の声はしっかり聞こえる。


「そして、悠人ゆうとはアンカーを務めると」


「クラス代表として色別対抗リレーに出るなら、まあそうなるよね」


 そういうくまも決して足が遅いわけではない。

 順番的に男子側で自分の直前を担当する位置にいる。

 女子側のアンカーは水瀬さんなので、くまから水瀬みなせさん、水瀬さんから自分というリレー順が出来上がった。


「そういえば個人種目の方は練習してるのか?」


「100m走については軽く走るのとストレッチを少しかな。二人三脚はこれからだよ」


 正式に100m走へ出場すると決まって以来、家に帰ってからは時間を見つけてランニングに精を出していた。

 もちろん水瀬さんの手伝いもできる範囲で外出していたのでがっつり練習していたわけではないが、本番で全力を出せるようにと必死に取り組んでいる。


「あー、確かに二人三脚はしょうがない。それにしても不親切だよな、この学校。体育祭が終わってすぐテスト期間が始まるなんて」


「それは分かる」


 くまの言う通り、天真てんしん高校は体育祭を終えて1週間ちょっとしたら定期テストが始まる。

 校則はゆるい分テストや進路に関しては厳しいのがこの高校のポイントの1つである。

 従って、体育祭を頑張りつつテスト勉強もするというハードワークを自分にす生徒も少なくない。


 かく言う自分もその一部だし、きっとくまも水瀬さんも同じことをしているだろう。

 

「まあ、これが音に聞く天真高校の伝統か。特別カリキュラムへの移行をきっかけに発生する体育祭頑張ろうウィーク」


「もっといい名前なかったのか、それ」


「そんなことは命名した人に聞いてくれ」


 くだらない会話をしながら自分たちの出番まで待機たいきする。

 前の列をちらりと見るとリレーはなかばを過ぎていた。


「くまはどの種目に出るんだ? やっぱ二人三脚か?」


「二人三脚に決まってるだろ。体育祭頑張ろうウィークのおかげでやっと校庭でも練習が出来るようになるんだぞ。花蓮と練習を重ねて高校でも無敗記録を伸ばしてやるさ」


「それは相手が可哀かわいそうだな……。こっちは色別対抗リレーの練習もあるからなあ。100m走もそうだけど二人三脚の練習時間もとらないと」


 家で水瀬さんと練習していますとはくまに言えないので、それっぽく言葉をにごして会話を続ける。


「でも悠人は1人暮らしじゃん? 実家暮らしと違って色々あるだろうし、止めはしないけど無茶すんなよ」


「分かってるよ。ありがとうな」


「おうよ。おっ、出番だな。行ってくるわ」


 そう言ってサムズアップしながらくまは暫定ざんてい1位のスタート位置に着いた。

 クラスメイトの女子からバトンを受け取ったくまは順位を落とすことなく速度を保ち、そのままコーナーに差し掛かる。

 後を追う他のクラスとは随分ずいぶんと差がついており、特にあせることもなく水瀬さんにバトンが渡った。


『水瀬さん、ファイトー!』


 普段は少し関わりづらい雰囲気をまとっている水瀬さんに対しても、体育祭というイベントの風を受けて数多くの応援が浴びせられていく。


「よし、やるか……!」


 最終レーンに待機している自分も周りの熱気に当てられて、練習ではあるが本番同様の緊張感と高揚こうよう感に包まれた。

 

「悠人、頼んだぞー!」


 走り終えたくまからも声を掛けられる。

 他クラスに差を縮められることなく、水瀬さんがテークオーバーゾーンに侵入してきた。


「あとは頼んだわよ」


 バトンをもらう直前、水瀬さんから応援の一言を貰うことができた。


『頑張れー!』


 後続の他のクラスの応援も混じって聞こえる中、ゴールテープに向けてひたすらに駆けていく。

 練習なのに怪我したらどうしようなどの憂慮ゆうりょも完全に消え、風を切る心地よさを感じ始めた頃にはすでにぶっちぎりでゴールに辿たどり着いていた。



 

「いや~本番もこの調子で頼むよ、男子!」


 その日の終わりのホームルームにおいて、橘は物凄くご機嫌な様子を見せながら取り仕切っていた。


「先生が『今日は連絡ないから橘に任せる』って言ってたから、今日はうちの挨拶でめちゃうね! それじゃあ、解散!」


 橘の挨拶が終わった後、体操服のままの生徒は一目散に校庭へ向かっていった。


「悠人。残って練習していかないのか?」


 帰ってから水瀬さんと二人三脚の練習をするつもりでいたため荷物を片付けていると、他の生徒と同様に体操服のままであるくまから放課後の予定について尋ねられた。


「今日は家の近くで走り込みをするつもりだから、校庭には残らないかな」


 これは半分嘘で、半分本当である。


「なるほど。まあ、夜道には気をつけろよ。じゃあな」


「ありがとう。また明日」


 そう言い残して校庭に向かおうとするくまの後ろ姿に軽く手を振ったあと、忘れ物が無いか机の中を確認をして帰路にいた。

 


 

 5月もそろそろ半ばを終えようとしている頃、帰り道を吹き抜ける風は夏の兆しを見せるかのような温かさを含み、言い表し難い不思議な心地よさを与えてくれる。

 

「ただいま~」


 帰宅を知らせるだけのたった一言もそんな気候に当てられて自然と上機嫌になっていた。


「おかえりなさい」


 間も無くリビングから水瀬さんの声が返ってくる。


「よいしょっと……って、水瀬さん、どうしたの?」


 手洗いを済ましリビングに向かうと、そこには髪を後ろに束ねてスポーツウェアを着こなしながら勉強している水瀬さんがいた。


「どうしたのって……勉強をしているのだけど」


 一度手を止めてこちらを見上げる水瀬さんの顔はいかにも『何か問題でも?』という言葉を物語っている。


「いや、なんというか、勉強しているのは分かるんだけどね?」


 水色のスポーツウェアを着ながら勉強する水瀬さんという情報量にあふれた状況を対処するために、一旦学校の荷物を部屋に置いてくることにした。


「これでよし。それで、なんでその服装で勉強しているの?」


「ええ。この後、100m走の練習をするつもりだったから効率を重視したのだけど」


「……なるほど」


 水瀬さんが語った理由に納得した頭は、ひもほどけていくように情報を整理していく。

 すると、残った1つの情報が脳内を占拠せんきょすることとなった。


「えっと、なんか新鮮だね。水瀬さんのその恰好かっこう


 その情報とは、水瀬さんの服装についてである。

 今までの水瀬さんのイメージは、言葉にして例えるなら『ご令嬢』という印象が強かった。

 しかし今、目の前の水瀬さんはいかにも『スポーツ女子』といった雰囲気をかもし出している。


「そうかしら? 私としてはそういうの、意識していなかったのだけど。……もしかして、似合ってない?」


「いやいや、物凄く似合ってるよ。ただ……その、今までのイメージと一転した恰好をしていたから少し驚いただけで」


 思えば水瀬さんが髪を束ねていること自体珍しい。

 昨日の二人三脚の練習の時も、水瀬さんは髪を束ねずにおろしていた。


「私だって運動するときは相応の服装にするわよ」


「それは分かっているけど、水瀬さんと過ごすようになってからスポーツウェアなんて見たことなかったからさ」


「この間の買い物の時に買ったのよ。体育祭も近かったし1着くらいあっても困らないだろうと思って」


 そう言いながら水瀬さんはテーブルの上に広げた勉強道具を片していった。


「さて、勉強もひと段落したし、私は練習に行ってくるわ」


「あ、ちょっと待って。折角だから俺も一緒に練習していいかな?」


 二人三脚の練習もあるものの、お互い100走に出場する身でもある。


「構わないわ。そのまま二人三脚の練習をするのもいいわね」


「そうだね、そうしようか。すぐ着替えるから少しだけ待ってもらえる?」


「分かったわ」


 水瀬さんに少し時間がかかるむねを伝えてから急いで自室へ向かった。

 しわにならないよう制服を手早く片付けて、黒のスポーツウェアを着用する。


「お待たせ」


 家の鍵や財布など軽い荷物を持てるようボディーバッグを腰に巻き付け、リビングにいる水瀬さんと再び合流する。


「それじゃあ、行きましょう」


 水瀬さんの掛け声を合図に、自分と水瀬さんは5月半ばの夜の走り込みへと駆け出した。




「……100m走はこんな感じでいいかしら?」

 

 ウォーミングアップを済まし、人気ひとけのない近所の直線道路でダッシュを何本か終えた水瀬さんが呟く。


「そうだね。時間的にもそろそろ二人三脚の練習を始めたいかな」


 そう断ってからボディーバッグから二人三脚の練習用のタオルを取り出す。


「タオル、結ぶね」


 水瀬さんに許可を取って、水瀬さんの左足にタオルを通しながら結んでいく。

 水瀬さんが穿いているスパッツと靴下の間から見える綺麗な足首に一瞬見惚みとれたが、練習に集中しなければと鬼の心でよこしまな気持ちを排除した。


「……これで大丈夫かな?」


 甘い誘惑に耐えながら手短に結んだタオルがほどけないか一通り足を動かして確認してみる。


「そうね、……うん、問題ないわ。まずはあの電柱まで進んでみましょう」


「了解」


 水瀬さんの掛け声の下、少し先の電柱を目印に息を合わせて進んでいく。


「いち、に。いち、に」


 先日の練習とは違い、二人三脚でも肩で風を切ることができる感覚に心地よさを覚える。

 くま&橘ペアほどの練度には至っていないと思うが、それでも前回と段違いのスピードで前進できていた。


「上出来じゃないかしら?」


 そんな感覚に身を任せていれば、目標の電柱まではあっという間である。

 そのような結果に水瀬さんも満足なのか、水瀬さんの顔はどこか嬉しそうで達成感を得ているように見えた。


「俺もそう思う。結構いい感じに進めた気がする」


「もう少し往復してみましょうか」


「次はあっちの電柱が目標だね」


 その後も満足のいく走りができ、何往復かしたところで練習はお開きになった。


 


「この調子なら本番も問題なさそうね」


「問題ないどころか余裕がありそうな雰囲気を感じるよ」


 温まった体をゆっくりと冷やしてくれる風が吹く帰り道。

 練習が上手くいったおかげか、少し浮かれた気分になりながら横に並んで歩く水瀬さんと会話をしていた。


「流石にそれは言い過ぎじゃないかしら? ……でも、私も1着を狙える自信があるわ」


「水瀬さんが言うなら間違いないね」


「もう……あまりプレッシャーをかけないでもらえるかしら?」


 そう言いながら軽く微笑ほほえむ水瀬さんも、今日の走りに納得できているのか上機嫌になっているように見えた。


 時にして人の気分とは伝染するものである。

 従ってこの瞬間、水瀬さんの機嫌のよさが自分にも伝染うつっていた。


 しかし、この時気付くべきだったのだ。

 まるで月が一瞬雲に隠れるような、微笑みの合間に見せた水瀬さんの表情のかげりに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る