第三項「水瀬さんとの学校生活(後半)」 side水瀬瑞葉

「私?」


 たちばなさんとお昼ご飯を食べた日から時は流れ、体育祭における出場種目も決め終えた頃、暇つぶしに教科書を読んでいた私は、その橘さんの声によって顔を上げることとなった。

 

「水瀬さんも100m走に出るはずだから二人三脚と被ってないし、リレー選手だから運動神経いいし、女子の方の代わりは水瀬さんにお願いしたいんだけど、どうかな?」


 これが神里かみさと君に出会う前で、つ橘さんのお願いでなかったら断っていたであろう。

 そんなことを思いながら私は彼女のお願いを聞くことにした。


 しかし体格的な問題については自分の意志だけで解決できないので誰がパートナーになるのか橘さんに聞いてみたところ、なんと相手は神里君とのことだった。

 その神里君曰く、身長は167cmだというので7cm差なら問題ないだろうと判断し、了承のむねを橘さんに伝える。



 そのような経緯で体育祭における出場種目は1つ増えることとなった。

 とはいえ私がやることは変わらず、何事にも全力で取り組むだけである。


 学校からの帰り道の最中さなか、そう思いながら残り時間があとわずかである二人三脚の効率の良い練習方法を考えていた。




「神里君はまだ戻ってないのね」


 家に入るとリビングの電気は点いておらず、玄関に神里君のくつも無かった。


「……まずは片付けから始めましょうか」


 二人三脚の練習は神里君が帰ってこないと始められないので、身の回りの支度を済ませることにする。


「それにしても二人三脚ね……」


 当たり前だが、二人三脚はペアの相手と協力することが必要不可欠である。

 言い換えれば、自分だけの意志ではどうしようもない部分が発生するとも言えるだろう。

 

 1人で努力するのは比較的難しくない。

 己と向き合って頑張るだけの話だ。

 だが、複数人で何かを成しげる場合においては、往々にして自分の認識と他人の認識の間にズレがあるということを理解していなければならない。


 

 (私、天才なあなたと違って努力しなければいけないの。じゃあね)

 

 橘さんと会話している最中によみがえった過去の記憶が再び呼び起こされる。

 

 あの時は『彼女』と仲良くできていると、少なくとも当時の私は思っていた。

 でもその認識は間違っていることを一言で突き付けられた。


 私は誰かと協力する難しさを人一倍知っていると自負している。

 だからこそ、二人三脚の相手が『あの』神里君であったことを嬉しく思っている反面、信頼という関係がまた崩れてしまうのではないかという不安もある。



 

 ……神里悠人君。

 考えてみれば不思議な人である。


 命の恩人になったにも関わらず、救われた私と『契約』という対等な関係を提案した人。

 相手の意見も尊重し、独りではなく互いにとっての最善を探すことができる人。

 何より私を『私』として見てくれた初めての人。


 彼は私を信頼し、素直な気持ちを私に表現してくれている。

 それは彼の気遣いや行動、言葉から読み取ることができる。


 

 では私はどうだろうか?

 彼に対して、彼と同じことをできているだろうか?

 ……いや、できていないだろう。


 少なくとも、私は素直でないことを一度自覚している。

 それに未だ自分の過去を話すりさえついていない。


「はあ……」


 頭で渦巻うずまくモヤモヤをはっきりと形にするほど、この事実が重くのしかかる。


 

 私にとって神里君は『特別』である。

 家族、恋人、親友といった何かのカテゴリーで表すことは難しいが、それでも皆が思い描く『普通の友人』とは一線をかくす存在であると断言できる。


 だからこそ余計に、差し伸ばされた神里君の手が蜘蛛くもの糸のように見え、新しい未来という希望の光が強くなればなるほど、それを失う恐怖という影も心に残し続けている。

 


「……ここまでにしましょう」


 時間的に神里君が帰ってきてもおかしくない頃なので、邪念を振り払うように軽く頭を動かして無理矢理気持ちを切り替える。

 ネガティブなことを考え続けるのは精神衛生上良くないし、何より神里君の前で暗い自分を見せるわけにはいかない。


「ただいま~」


 うわさをすれば何とやらというやつである。


「おかえりなさい」


 何事もなかったかのように支度の続きであった洗い物を片付ける。

 ついでに神里君のお弁当箱も回収して洗い終えた後、水切りかごに残っている乾ききったお皿などを順次仕舞っていった。

 

「あ、神里君」


 本命の用事を思い出し、部屋へ戻ろうとする神里君を呼び止める。


「二人三脚のことなんだけど、夜お風呂の後で軽く調整できないかなって」


 他のペアとは違い、私たちは家で過ごす僅かな時間でも練習にてることができる。

 その利点を上手く活かすために家での隙間すきま時間における練習を神里君に提案すると、快く了承してくれた。


 その後、お互いの為すべき仕事を確認してそれぞれの持ち場に戻っていった。


「上手くいくといいのだけれど……」


 神里君が居なくなったのと同時に口からついて出た言葉が『ある意味』予想通りだと感じさせたのはこの数時間後の出来事だった。




「……ちょっと、左右のバランスがとれてないわよ!」


「水瀬さんが軽すぎて思ったより難しいんだって!」


 まだ練習初回ではあるが、失敗というのは今後に関して不穏ふおんな雰囲気を匂わせるものである。

 神里君と練習するのはこれが初めてだと頭で理解していても、心はこれまでの不安をさらに大きくさせていた。


「……一旦落ち着きましょう。もう夜だし、騒がし過ぎるのは良くないわ」


 自分に言い聞かせるためにも、神里君に休憩を提案する。

 

 2人の呼吸音が響く中、自然と話題は二人三脚の問題点についてになっていた。

 自分が感じたことを口にしながらどこがダメだったのか、どうすればいいのかという認識をすり合わせていく。


 なんてことない、会話上におけるただのやりとり。

 それでも私の心は確かに落ち着きを取り戻していた。


 なんでだろうかと思いながら神里君に許可を取り、ゆっくりタオルを結んでいく。

 そこで1つ、気付くことがあった。


 それは『神里君が歩み寄る姿勢を見せていた』ことである。

 

 私が感じた問題点について、神里君は『俺もそう思う』と答えた。

 この何気ない一言が、私の心に重く圧し掛かっていた『過去から来る不安』を取り除いてくれたのだ。


「それじゃ、いくわよ?」


 そう安心できれば自ずと練習に力が入るというものである。

 心なしか足取りが軽く感じた2回目の練習は、2人の足並みをきっちりと揃えることができた。


「さっきよりはちゃんと進めるようになったわね。私が声を出して、それに足並みをそろえてもらう方がいいのかしら?」


 互いの認識に気が付かないズレを発生させないよう、所感とこれからの方針を確認する。

 室内で少し運動しただけのはずだが、緊張がほぐれたこともあってか頬が少し上気じょうきしていた。


「うん、その方がいいと思う」


 神里君も私が声を出す方針に異論はないようで今回の練習はお開きとなった。

 その他の連絡も特にないので互いに自分の部屋へと戻る。

 


「これでよし……と」


 諸々の支度を終えて、後は就寝するだけとなった。

 毛布を首元まで引っ張って目をつむると、支度中での考え事が再び浮かんできた。


「簡単に変われたらいいのだけど……」


 人はそう簡単に変われないものだと私は思っている。

 だからこそ今までの経験が物を言うのだと、『あの2人』を見て学んだ。


「それでも……手を伸ばしてみたい」


 昔とは違う新しい毎日。

 それを与えてくれた彼に何かを返してあげたい。

 そう思う気持ちは素直でない私でもすっと言葉に出てきた。


「おやすみなさい」


 誰かに向けたわけでもない挨拶は、電気を消すためにリモコンへと伸ばした手の影に消えていった。

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