第三項「水瀬さんとの学校生活(後半)」 side神里悠人

「それでは体育祭の種目決めを始めたいと思いまーす!」


 クラス委員であり、くまの彼女でもある橘花蓮たちばなかれんがその長い茶髪を揺らして張り切りながら黒板に文字を書いていく。

 隣には男子のクラス委員がメンバー表と書かれた紙と向き合っていた。

 

 余談よだんになるが、くまに『カップルでクラス委員を務めなくていいのか』と聞いたところ、『つかず離れずくらいの距離がちょうどいいのさ。足りない分は家でいちゃいちゃしてる』と返された。

 そんなくまの話を聞いていると、最近の若いカップルは皆こうなのかと同年代ながら思ってしまう。


 

「まずは男子の種目から、100m走やりたい人ー!」


 いきなり自分の望んだ種目が呼ばれたが、特におくすることなく挙手する。

 ざっと周りを見渡すと自分を含めて8人ピッタリ手を挙げており、すんなりと100m走への出場選手が決まった。


「では障害物競走に出たい人ー!」


 その後もとどこおることなく種目決めは進んでいき、クラス代表リレーは今後の体育の授業における体力測定の50m走のタイムで決めることとなった。

 ちなみに水瀬さんも100m走に挙手していた。


「じゃあ種目決めはこれで終わりね。体育祭までの体育の授業は体力測定を終えた後、順次体育祭の練習に入っていくらしいからみんな運動着忘れないようにね。以上、クラス委員からでしたー!」


「そろそろいいかな? 先生からの連絡は2件あって……」


 午後の授業は体育祭の種目決めが終わり次第解散となる。

 そのため、種目決めが終わった後の担任の先生の話も集中して聞いて、早く帰ろうとする生徒の意志がひしひしと感じられた。

 


「また明日な、悠人」


「くまもね。また明日」


 解散の合図と同時に生徒が一斉に動き出す。

 部活にいそしもうとするくまに挨拶を返し、特に用事のない自分は家に帰ろうと足を向けた。


 

「ただいまー」


 鍵を開けて家に入ると玄関に水瀬さんの靴はまだ無く、自分が先に戻ってきたようである。


「うーん、とりあえず洗濯物を終わらせるか」


「あら? 私の方が遅かったみたいね」


 持ち物を置いて洗濯物に取り掛かろうとした時、玄関から水瀬さんの声が聞こえた。


「おかえり、水瀬さん。俺もさっき帰ってきたところだよ」


「ただいま。私、荷物片付けてくるから部屋に戻ってるわね」


「了解。俺もやること終わらせるから、また後で。あ、それとお弁当ありがとう。美味しかった」


 ちょうどキッチンへ運ぼうとしていたお弁当箱を水瀬さんに見えるようかがげる。


「どういたしまして。これからもお昼はお弁当でいいのよね?」


「水瀬さんが負担じゃないならお願いしたいな」


「『契約』だもの。もちろんやるわよ」


 ついでに明日の予定や次の買い物のタイミングなども水瀬さんと確認してから自分の作業へと戻る。

 

 その後も流れるように時間は過ぎていった。

 水瀬さんと夕食をとり、お風呂に入って明日の支度を終えたのち眠りにつく。

 朝起きれば2人で朝食をすまして、食べ終えた水瀬さんが先に学校へ向かい、戸締りなどを確認した自分が後から出発する。


 始めこそ多少なりとも不安はあったものの数日過ぎると、昔からそうしてきたかのように時が流れていった。


 

 そんなある日のことだった。


「悠人、クラス代表リレーに出場するんだな」


「誰から聞いたんだ、それ。……まあ、50m走のタイムがよかったからね」


 とある体育の授業の終わり、制服に着替え直したくまと自分は体育祭について話していた。


「おーい! 大変だ、聞いてくれ!」


 そう言って駆け込んできたのはクラスの保健係を務めている男子生徒だった。


「二人三脚に出場する予定の1組が運悪く練習中に転んで、足首を捻挫ねんざしたみたいなんだ」


 クラスメイトが負傷したという報告を受け、体育祭前とのこともあり全員がざわつき始める。


「2人は大丈夫なの? 治るのにどれくらいかかりそうか知ってる?」


 騒いでいる生徒を代表して橘が声を上げた。


「それが……女子は3日で治る程度の捻挫ねんざで済んだが、男子の方はどうも体育祭までには治らないみたいなんだ。その女子も二人三脚だと怪我でペアの人と練習できる時間が減って迷惑をかけちゃうから、出来れば違う種目の人と交代したいって」


「んー、困ったな。メンバー表は今日までが期限なんだよね」


 橘は提出する予定のメンバー表を見ながら考え込んでしまった。


「……くま、競技って1人何種目まで出場可能なの?」


「基本1つまでだが、怪我人とか病欠の代理なら大丈夫なんじゃないか?」


 静まり返ったクラスの空気を読んで、ひっそりとくまに質問する。

 数秒後、橘が申し訳なさそうな、それでいて期待するような眼差まなざしを自分に向けながら閉じていた口を開いた。


「ここは神里君にお願いしたいと思うんだけど、ダメ?」


 橘の声を皮切りにクラス全員の視線が自分一ヶ所に集まる。


「……なんで、俺?」


 唐突とうとつに話題の矛先ほこさきが自分に向けられたため、ほうけた返事をすることしか出来なかった。


「単純にリレー選手になれるくらい運動神経がいいなら、二人三脚でもその才能を発揮はっきしてもらえるかなって」


 橘の言い分は理に適っており、クラスの雰囲気も橘に同調して断る余地は与えないという圧力を感じさせる。


「まあ、それならしょうがない、か。わかった。代わりは俺が務めるよ」


 これ以上種目が増えるのは少々面倒だなと感じつつも、絶対にやりたくないというわけではないため橘の提案に乗ることにした。


「ありがとう、神里君! えっと、次は女子の方を決めないとだよね。んー、同じ理論で行くと水瀬さんかな?」


 またも橘の声でクラスの視線が水瀬さんへと移動する。


 「私?」


 呼ばれていることに気づき、教科書から目を離した水瀬さんはきょとんとしていた。


「水瀬さんも100m走に出るはずだから二人三脚と被ってないし、リレー選手だから運動神経いいし、女子の方の代わりは水瀬さんにお願いしたいんだけど、どうかな?」


 申し訳なさそうにする橘の提案を受けて、水瀬さんは手をあごに当てて少し考えた後こう答えた。


「構わないわ。でも、そうね。相方の身長にもよるのだけど」


「あれ? 聞こえてなかった? さっき、男子の方は神里君にお願いしたんだけど」


「あら、そうなの? それなら神里君、身長をたずねてもいいかしら?」


 橘から事情を聴いた水瀬さんは自分へと視線を移した。

 瞬間、んだ黒いひとみをしている水瀬さんと目が合う。


「確か、167cm辺りかな」


 入学してすぐの健康診断ではおそらくその辺りだったはずだと記憶を呼び起こす。


「それなら多分問題ないわね」


 それを聞いた水瀬さんは納得した様子を見せると橘へと顔を戻した。


「えっと、改めて、二人三脚の代役は2人に任せてもいいかな?」


 水瀬さんの視線を了承だと受け取った橘は、自分と水瀬さんに向けて結果をまとめるように再確認する。


「俺は大丈夫」


「私も問題ないわ」


「ありがとう! じゃあ、神里&水瀬ペアに決定だね! これで担当の人に提出してくるよ!」


 2人から承諾の返事を貰った橘は花が咲いたかのような笑顔を浮かべると、紙とシャーペンを持って教室を颯爽さっそうと出ていった。


「うちの花蓮がすまんな」


 事の顛末てんまつを見終えたくまがやれやれとを振りながら自分の肩をたたいた。


「それ、わざとやってんのか?」


 結婚しているわけでもないのに円満夫婦のような、やれやれという顔をしているくまをにらみつける。


「彼女が楽しそうに過ごしているのを見て喜ぶところの何がいけないと?」


「はいはい、すみませんでした」


 こう開き直られては彼女がいない自分にとって反論のしようがない。


「それにしても相方は水瀬さんだな」


「そうだね」


「思ったより不安そうにしてないな。この間男子の集団がすごすごと帰っていくのを見たっていうのに」


「不安よりも驚きの方が強いな。まさか水瀬さんと二人三脚をやるなんて予想してなかったから」


 水瀬さんと二人三脚をやれたらいいなと思わなかったわけではない。

『水瀬さんと二人三脚なんてあり得ない』と意識するくらいには、夢で、平行世界で、妄想の中であったらいいな程度に思っていた。

 

 しかし現実では、そんなかすかな希望を心の奥に封じ込めて、中学生の時にならい自分の得意競技である100m走に立候補した。

 さらに水瀬さんも100m走に名乗り出ていたため、水瀬さんと一緒に二人三脚へ出場するのは本当に予想外なのである。


「それにしては落ち着いてみえるけど。ていうか、水瀬さんとなんかあった?」


 親友であるくまに水瀬さんとのことを隠している後ろめたさを感じているのか、この一言でくまの眼光がんこうが鋭くなったように見えた。


「いや、なんで?」


 水瀬さんとの関係を『今』疑われるという視覚外からのボディーブローを貰うことになったが、あくまで冷静をよそおいつつ平然を意識して会話を続ける。


「だってそりゃこんな緊急事態、誰も予想してないだろ。それなのに『水瀬さんと』二人三脚をやるなんてって、水瀬さんに限定してたから」


 今日のくまはいつもより頭が切れているようである。


「限定してたって……それを言うなら相手が誰だって予想外だよ」


 内情がある分、自分では言い訳がましく聞こえるがこれは本音でもある。


「ふーん。まあ、それもそうだな。どっちも頑張れよ、体育祭」


 くまの『どっちも頑張れよ』という言葉には一瞬びくっとしたが、くま製サーチライトはなんとかかわすことができた。

 ぼろがでないようにと水瀬さんと相談したのは自分の方だからこそ、発言には一層気をつけなければいけない。


「ありがとう」


 冷や汗をさり気なく拭い、手を振りながら教室から出ていくくまを見送る。


「あっぶな……」


 人は別のことに集中していると他がおろそかになるということを学んだ瞬間である。

 その後の授業は滞りなく進み、くまから追撃を受けることもなく家へと辿り着けた。



「ただいま~」


「おかえりなさい」


 玄関に鍵が掛かっていなかったので今日は水瀬さんが先に着いたんだなと思いながら帰宅を伝える挨拶をすると、案の定リビングから水瀬さんの声が返ってきた。


「ちょうどお弁当箱を洗っているから、手洗いを済ませたらあなたの分も出してもらえる?」


「わかった。ありがとう」


 水瀬さんに言われるがまま手洗いを済ませ、学校指定のバックからお弁当箱を取り出す。


「ごめん、水瀬さん。お願いしていい?」


「承ったわ」


 洗い物中の水瀬さんに申し訳ないと思いつつもお弁当箱を差し出すと、水瀬さんは嫌な顔をすることなく受け取りせっせと洗い始めた。


「あ、神里君」


 今はこれ以上話題が無いだろうと部屋へ戻っていた矢先、2人きりの状況で水瀬さんからの突然の名前呼びに少しドキッとしながら体の向きを水瀬さんの方へ変える。


「どうしたの?」


「二人三脚のことなんだけど、夜お風呂の後で軽く調整できないかなって」


「調整?」


「そう。肩を組む位置とか、少し動いてみるとか。ひもの代わりにタオルでも使って」


「ああ、なるほど。もちろん大丈夫だよ」


 水瀬さんの用事は二人三脚のことについてらしい。

 思えばこうやって2人で生活している分、家でも練習時間が取れるので他のペアに差をつけやすいという利点があることに気づいた。


「じゃあ、そのことはまた夜で」


「了解」


「それと夕ご飯はいつもの時間でいいかしら?」


「うん、お願い。俺の方も掃除済ませてくるよ」


「ええ、頼んだわ」


 お互いのやるべきことを確認してそれぞれ作業に戻る。

 

 事務連絡しかしていない今の会話を端から見れば、味気のない生活に見えるかもしれない。

 しかし、自分はそう感じていないし、むしろ互いに背中を合わせて取り組んでいる相棒感が心地よいと思っている。

 そんな水瀬さんと二人三脚をやることになるとは想定外だったが、案外上手く行けるかもしれない。

 

 この時まではそう思っていた。



「……ちょっと、左右のバランスがとれてないわよ!」


「水瀬さんが軽すぎて思ったより難しいんだって!」


 そんな夕方の期待と裏腹うらはらに、二人三脚の練習は難航なんこうしていた。


「……一旦落ち着きましょう。もう夜だし、騒がし過ぎるのは良くないわ」


「……そうだね。少し休もうか」


 水瀬さんの掛け声と共に二人の足を結んでいたタオルを解く。

 水瀬さんも疲れを感じていたのか、リビングにあるソファーへ2人同時に背中を預けた。


「一度問題点を確認しましょう。一先ず、肩の位置とか身体的な問題は大丈夫そうね」


「俺もそう思う。特に違和感はなかった」


 水瀬さん曰く、私はだいたい160cmとのことなので2人の身長差は約7cmとなるが肩を組んだ時にバランスが不自然になることはなく、体格的な問題は杞憂きゆうとなった。

 だが、問題はそこではなかったのである。


「問題点は歩幅とタイミングって感じか」


「でも今すぐどうにかなるっていう問題じゃないわ。もっと練習が必要よ」


「了解。もう少しだけ歩いてみようか」


 2人の歩幅が違うことにより、進むタイミングが少しでもずれると水瀬さんを引っ張ってしまう。

 

「じゃあ、タオル結ぶわね」


 そう言うと、水瀬さんがしゃがみ込んで2人の足にタオルを結び始める。

 

 すると先ほどまで隠れていた水瀬さんの綺麗きれいな首元があらわになり、白く神々しい水瀬さんのうなじが目に入った。

 見えたのはあくまで不可抗力であり特段悪いことをしているわけではないのだが、何かいけないものを見てしまった気分になったためその肌からさっと目を逸らす。

 

 しかし、一度休憩をはさんで冷静になった自分の脳内は意識しないようにと思っていた情報まではっきりと認識し始めてしまった。

 

 これは男女がペアになる二人三脚で、相手は同棲しているあの水瀬さんである、と。


「それじゃ、いくわよ?」


 そうこうしているうちに水瀬さんはタオルを結び終え、肩を組む動作を始めていた。

 肩に回される腕と同時に、水瀬さんがまとう甘い花の香りが鼻腔びくうを刺激する。

 さらに、自分の右半身にぴとっと寄せられた水瀬さんの体から伝わる温もりが正常に動作するはずの脳を溶かしていった。


「いち、に。いち、に」


 急に『女の子という存在』を当てられてドキドキしている自分を他所よそに、水瀬さんは小さく掛け声を発しながら練習に臨んでいた。

 幸か不幸かと言うべきか、水瀬さんが掛け声を担当し、自分がそれに従う体制へと変わったことで前よりテンポよく進めている。


「さっきよりはちゃんと進めるようになったわね。私が声を出して、それに足並みをそろえてもらう方がいいのかしら?」


 水瀬さんも調子良く進めていたことに気づいたようで、一度立ち止まって今後の方針を確認するよう提言する。


「うん、その方がいいと思う」


 反射的にその方がいいと答えたものの、実際は返事どころでない状況に頭の処理が追い付いていなかった。

 水瀬さんは二人三脚に集中しているのか、体を寄せ合いながら話しているこの状態に気づいていない。


 うるさく鳴り響く自分の鼓動こどうが聞こえていないか心配で水瀬さんの方をちらっと見ると、そこには真っ白なほほを少し上気じょうきさせた水瀬さんの横顔があった。


 永遠にも感じる数秒とはこのことを指すのだろう。

 水瀬さんの整った顔を近距離でのぞかせたこの瞬間は、一枚の写真のような錯覚を感じさせた。


「よし。今日はこれくらいでいいわね。結んでるタオル、解くわよ」


 そう言ってタオルを解こうとする水瀬さんが視界の中心から外れるまで、自分の息が止まっていることに気づかなかった。


「二人三脚の練習も軽くできたし、私はこれでおいとまさせてもらうわ。おやすみなさい」


「ああ、おやすみ」


 自分の部屋に戻ろうとする水瀬さんに挨拶を告げた後も、呆けた脳はしっかりと機能することなくそのまま今日を終えることとなった。


 水瀬さんと二人三脚に出場する体育祭まであと2週間である。

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