第三項「水瀬さんとの学校生活(前半)」 side神里悠人

「おはよう、水瀬さん」


「おはよう。簡単だけど朝食はできているわ」


 朝7時、鳴り響く目覚ましを止めて顔を洗いに洗面所へ向かおうとすると、すでに制服に着替えた水瀬さんがエプロンを身に付けながらリビングとキッチンをせわしなく往復していた。


「水瀬さんはいつも何時くらいに起きてるの?」


「だいたい6時くらいかしら」


「起きる時間早めようかな……」


 ご飯を作ってもらう『契約』とはいえ、朝起きてから自分の支度をしているだけでご飯がテーブルの上に置かれるというのは亭主関白感が強くてどうもいたたまれない。

 少しでも早起きして水瀬さんの手伝いをした方がいいのではという考えが頭をよぎる。


「それはどうして?」


「水瀬さんの手伝いをした方がいいんじゃないかって」


「これは『契約』よ。ご飯を作ることは私が履行りこうすることなの」


 水瀬さんは子どもをしかる親のように口をきっと結んで人差し指を立てながら主張した。


「……確かに、水瀬さんの言うとおりだね」


 一瞬、それでもと言いそうになったが水瀬さんの『契約』という言葉に押しとどめられる。

 お互いがお互い、『契約』に則って行動しないとそもそも『契約』を結んだ意味が無いのである。

 水瀬さんの代わりに自分がご飯を作ろうとしたら、最終的には水瀬さんの居場所をうばうことになるかもしれない。


「そこまで気にしているのなら、お皿を運ぶとかそういった方面で協力してもらえるかしら?」


「もちろん、喜んで手伝うよ。顔洗ってくるからちょっと待ってね」


「時間はあるから慌てなくていいわよ」


 急ごうとした自分に気を遣ったのか、洗面所へきびすを返した時に水瀬さんから声が掛けられる。


「そういう訳にはいかないよ。ご飯が冷めちゃうし」

 

 一度水瀬さんの方へ振り返って返事をした後、自室から制服をひったくって足早に洗面所へ向かった。

 水瀬さんの用意してくれたご飯が冷めぬよう、身支度を可能な限り手早く済ます。


「お待たせ。どれを運べばいい?」


 リビングに戻り、焼き鮭を運んでいる水瀬さんに確認をとる。


「味噌汁とお米をよそってもらえればいいわ」


「了解」



「「いただきます」」


 各々ご飯を運び終えて、席に着いたことを確認してから手を合わせる。

 急いで身支度したおかげか、懸念けねんしていたご飯が冷めるという事態は避けることができた。


「鮭の塩加減が絶妙でご飯に合うね」


 卵焼きや小松菜のおひたしが残っているにも関わらず、鮭だけでお米が無くなりそうである。


「それならよかったわ。あ、それと忘れないように。はい、これ」


 そう言って水瀬さんから渡されたのはお弁当箱だった。


「もしかして……お昼ご飯?」


「そうよ。ご飯を作る『契約』でしょう? そう思って昨日、お弁当箱も買っていたのだけど」


「そう言われれば納得なんだけど、これは予想外というか」


 学校で昼食をとるときはいつも購買や学食を利用している。

 もちろん、そんなことは水瀬さんに話してないので水瀬さんが知るよしも無いのだが、頭の中では今日も学食を利用するつもりでいたので面を食らうこととなった。


「……迷惑だったかしら?」


 お弁当に驚いて状況を理解しようとしている間の沈黙を、水瀬さんは迷惑そうにしていると読み取ったのか覇気のない声でこう告げられた。


「とんでもない! むしろ嬉しいよ。ただ、考えてもいなかったから本当に驚いただけで。ありがとう、水瀬さん」


 本能でこれはまずいと感じ、心から思っていることを優しく伝えられるように気をつけて水瀬さんにお礼を言った。

 その思いが通じたのか、それを聞いた水瀬さんの表情に活気がよみがえったように見えた。


「迷惑じゃなかったのならよかったわ」


「そんなこと思ってないよ。水瀬さんお手製の弁当、楽しみだな」


「そんな大したものじゃないから期待されすぎると困るのだけど」


 それでも期待してしまうのは致し方ないと思いたい。

 同級生、クラスメイトの、それでいて容姿端麗ようしたんれいな女の子の手作り弁当である。

 それが『契約』にのっとって作られたものであっても、思春期の男の子としては非常に心にくるものがある。


「期待というか、作ってもらえたこと自体嬉しいというか。とにかく、本当にありがとう」


「どういたしまして。さて、私は食べ終えたから片付けして先に学校行くわね」


「わかった。俺も皿洗い終えたら戸締りして向かうよ」


「頼んだわ」


 昨日の『契約』を思い浮かべながら片付けを進めていく。

 先に水瀬さんが学校に向かい、戸締りを済ませて後から自分が追いかける形で登校する。

 これもトラブルを未然に防ぐため提案した『契約』である。


「じゃあ、行ってきます」


「いってらっしゃい」


 そうこうしているうちに水瀬さんは学校へ向かっていった。

 水瀬さんに挨拶を返し、ふと時計を見るとちょうど8時を指していた。

 急ぐべき時間ではないが、もたもたしていると間に合わなくなる。


「電気よし。コンセントよし。窓よし。洗濯物は……帰ってからでいいか」


 一通り指差し確認をして外出の準備を整える。


「それじゃあ、行ってきます」


 靴をいて誰もいないリビングに声を投げかけてから玄関の鍵を閉め、家を出発する。

 自転車登校の許可を持っているので普段は自転車を使っているが、水瀬さんが徒歩で向かっていったのでなんとなく水瀬さんに合わせようと歩きで登校することにした。

 


 

 歩くこと数分、青い葉っぱが付き始めた桜に囲まれている天真てんしん高校が見えてきた。

 他の生徒も順次登校していて、彼らに焦っている様子が見られないところをかんがみると遅刻ギリギリではなさそうである。

 下駄箱で上履うわばきに履き替え、1年A組と書かれた教室に入っていく。


「おはよう、悠人。例の流星群はちゃんと見てきたのかい?」


「おはよう、くま。まあ、何とか見ることができたよ」


 廊下ろうか側の最後列である自席に着こうとした時、中学校時代の同級生である熊谷仁くまがいじんに話しかけられた。

 通称くまと呼ばれるこの金髪男は、進学校である天真高校への入学を志した戦友であり、尚且つ合格した数少ない親友である。

 ちなみに昨日水瀬さんに伝えた、中学校時代の同級生はくまの他に女子生徒が数人いるくらいで、実はその中にくまの彼女が入っていたりする。


「悠人にしては珍しいじゃないか」


「そういう日もあるさ。全部が全部見に行ける訳でもないし」


「それもそうか。何はともあれ正気に戻ったようで何よりだよ」


 くまとの会話に意識を向けつつ、かたわらで机の中の教科書を整理していく。


「正気って、一体どういう意味だ」


「いやあ、最近上の空だったから。また何かにお熱なんだなあと」


「……」


 確かに思い当たる節があるので、言い返そうにも言葉が出なかった。


「何かに集中できることはいいことだよ。でもたまには立ち止まって周りを見なきゃ、いつの間にか人が離れていってるってこともあるからな」


 こういう時のくまの説教は名言と言っていいほど鋭く、普段のちゃらけた態度が迷子になるので絶妙に反応に困る。


「はいはい……ってお前何歳だよ」


「昨日で16歳だ」


「それはおめでとう。あー、プレゼント用意していなかったな」


 昨日は水瀬さんとのこともあり、くまには申し訳ないが誕生日プレゼントのことを完全に忘れていた。


「いいってことさ。こっちには花蓮かれんがいるしな。それに悠人が不義理になったとも思ってないし、いつでも待ってるよ」


「すまん、近いうちには必ず」


 くまの彼女いるアピールはさらっと流して、近い内に誕生日プレゼントを用意すると伝える。


「おっけ。それじゃあ、またな」


 そう言いながら去っていくくまを見送ると、始業を知らせるチャイムがタイミング良く鳴った。

 

 1時限目の先生が教室に入ってくるのをながめながら、そっと水瀬さんを探す。

 すると、窓辺の最前列に水瀬さんの後ろ姿があった。

 余計なお世話だと分かっていても、水瀬さんが無事に登校している事実を確認出来てほっと胸をなでおろす。


「えー、それでは1時限目の数学を始めたいと思うので号令係の人、号令をお願いします」


「起立! 気を付け! 礼!」


 抑揚のない先生の声に続いて、明るい生徒が挨拶を唱える。

 この号令を掛け声に、水瀬さんと共に過ごす学校生活が始まっていった。



 

「悠人、購買行かない?」


 4時限目を終えたお昼時、今日はお弁当があるので机の上を片付けようと教科書をどかしていると不意にくまから声を掛けられた。


「ごめん、今日はお弁当があるんだ」


「え、まじで? 悠人、1人暮らしじゃないの? だからいつも購買だって言ってたじゃん」


「そうだけど、たまにはと思って」


 たとえ口がけてもクラスメイトに作ってもらいましたとは言えない。


「明日はやりでも降るんかな」


 そう言ってくまは目を細めて遠くを見つめるふりをした。


「やめろ、縁起でもない。とにかく、今日はお弁当だから」


「なら食堂でもいい? 悠人はお弁当でもいいからさ、あっちで食べようぜ」


「そういうことならいいけど」


 そうくまに提案されてお弁当を抱えながら食堂に移動することとなった。

 立ち上がる直前にそれとなく水瀬さんの方へ視線をやると、クラスも分からない数人の男子生徒に囲まれていた。


「ん? どうした悠人。彼女が気になるのか?」


 それとなく視線を向けたはずなのだが、親友にはお見通しのようで水瀬さんを見ていたことがばれてしまった。


「いや、囲まれてるけど大丈夫かなって」


「いつものことだぞ? 水瀬瑞葉。容姿端麗で入学試験もトップ、それでいて運動神経もいいと聞く。対応は冷たいらしいがそれでも彼女にしたいって思う男子も少なくないだろう。だから夢を見た奴がああやって休み時間に群がるのさ。まあ結果は目に見えてるだろうけどな」


「やけに詳しいな」


 くまは中学校時代から知れた彼女一筋の人間なので、他の女子の情報を得ていることに驚きを感じた。


「ってうちの花蓮が言ってた」


「なるほどね」


 『うちの花蓮』という言葉に合わせてどやあと効果音が付きそうな顔をしているくまをスルーして、再び水瀬さんに目を向ける。

 すると囲んでいた男子生徒が微妙びみょうな面持ちをしながらすごすごと帰っていくのが見えた。


「ほらね?」


「……食堂行くか」



 

「そんでさあ、悠人はどうすんの?」


「いや何の話?」


 お弁当を食べていたところに、食堂でカレーを頼んだくまが戻ってきた。


「体育祭だよ。この後種目決めだろ?」


「ああ、まだ何も考えていないな。そもそもどんな種目があるのかもわからないし」


 水瀬さん手作りの卵焼きを口に運びながら体育祭について考えようとする。

 しかし、冷めてもおいしい水瀬さんのお弁当が自分から思考能力を奪っていった。


「団体種目は強制参加だからいいとして、それ以外だと100m走に障害物競走、あと男女混合で二人三脚っていうのもある」


「無難に100m走かな」


 障害物競走は経験していないし、まだまともな会話をしていない女子とペアを組む可能性のある二人三脚もハードルが高い。


「悠人、足速いもんな」


「サッカーやってたからね」


 中学校の部活はサッカー部に所属していた。

 それまでもサッカーのクラブチームに所属していたこともあって、約1年間のブランクがあっても足の速さには自信がある。


「それならクラス代表リレーも務めることになるんじゃないか?」


「かもしれないね」


「妥当なところだな……っと時間だしそろそろ戻るか」


 食器を返却しに行ったくまと合流し自分たちのクラスへ足を進める。

 どこのクラスも体育祭の種目決め直前ということもあり、教室に戻るまでの廊下はいつもより騒がしく浮足うきあし立っているように見えた。


「じゃあまた後でな」


「了解」


 軽く挨拶を交わし、互いの席へ戻る。

 この時はまだ、体育祭について軽い気持ちで考えていた。


 まさか水瀬さんと二人三脚をやることなんて、あり得ないだろうなと。

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