第二項「同棲生活の下準備」 side神里悠人

「そうと決まれば、まずは生活必需品を買いに行きたいわね」


 時刻は10時。

 同棲契約を締結ていけつした直後、水瀬さんは席を立ちながらこう言った。


「ごめん、それ午後でもいいかな?」


「それはどうして?」


 不思議そうな顔をした水瀬さんと目が合う。


「買い物に行くのであれば調味料とか足りないものを確認したいし、洗濯物を干してから外出したいからさ」


 最寄り駅周辺にはショッピングモールや商店街が隣接されているため、他の所に移動する必要もないだろう。

 つまりアパートの立地的には午後から外出しても、買い物の時間は十分に取れるはずだ。


「了解したわ。それなら私は借りた部屋の掃除をしてくるわね。掃除機貸してもらってもいいかしら?」


「もちろん。ちょうど水瀬さんの後ろの扉の中にあるよ」


 水瀬さんは納得した様子を見せると、とてとてと刻むようなリズムを響かせながら自分の部屋へ戻っていった。


「よし、俺もやることをやらないと」


 大きく背伸びしてから調味料のあるキッチンへと赴く。

 冷蔵庫などをさっと確認すると、ちょうど醤油しょうゆを切らすところだった。


「醬油は買い時だな。……そうか、どれもこれから2人分として配分を考えなきゃいけないのか」


 結局自分だけでは判断できず、のちに水瀬さんにも確認してもらおうと決めてキッチンを離れた。

 

 残るは洗濯物なので、洗濯機のある洗面所に向かう。

 自分の服やタオルを洗濯機に投げ込み、洗剤を入れるついでに残量も確認しておく。


「……水瀬さん用の柔軟剤とかも考慮こうりょした方がいいよな」


 そう考えると、1人ではなく水瀬さんと一緒に行動すればよかったと後悔する。

 

 洗濯機が回り始めたのを目視して、水瀬さんの部屋へと足を進める。

 ドアをノックして水瀬さんを呼ぼうと思ったその時、掃除機を持った制服姿の水瀬さんが部屋から出てきた。


「あら、どうしたの?」


「少し水瀬さんに確認したいことがあって……って貸した服、汚してもよかったのに」


 掃除を制服姿で行うのは少々リスキーである。


「そういう訳にもいかないでしょう。それで確認したい事って何かしら?」


「えっと、複数個あって」


 そう言いながら水瀬さんとキッチンへ向かう。


「まず調味料や食材のことに関してなんだけど、2人分に増えるから今日の買い物で何が必要になりそうか一緒に考えて欲しくて」


「そうね……」


 説明すると、水瀬さんは冷蔵庫や調味料が入っている棚を見ながら考え始めた。


醬油しょうゆにみりん、胡椒こしょうあたりかしら。お昼ご飯はパン続きになるけどフレンチトーストを考えているわ。だから買い物として必要な食材は夕ご飯からね。何かリクエストはあるかしら?」


 ご飯に関して、何がいいと聞かれて何でもいいよと答えてしまうことが良くないのは分かっている。


「んー、逆に水瀬さんの得意料理って何?」


 質問を質問で返すのは申し訳ないが、気になったので聞いてみることにした。


「和洋中一通り作れるから気にしたことないわ。でも強いて言うならオムライスになるわね」


「え、ほんと!?」


 反射的に聞き返してしまったが、何を隠そうオムライスは大好物なのである。


「ええ、そうだけど……その反応、あなたオムライス好きなの?」


 急なテンションの上がり具合を見て、若干引き気味になる水瀬さん。


「こほん。そうだね、オムライスは好きかな」


 先ほどの反応に恥ずかしさがつのり、無理矢理平然を装う。


「なら夕ご飯はオムライスにしましょう。明日以降の食材については明日買いに行くことでいいかしら? 私の洋服とかを買うことも考えたら流石に2人でも持ちきれないと思うのだけど」


 水瀬さんの言う通り、服などを考慮したらそれなりの荷物になるだろう。


「明日ね、了解。水瀬さんの方はもう掃除し終わったの?」


「ええ、一通り終わったわ。そうね、いい時間だからお昼にしましょう」


 水瀬さんにつられて時間を確認すると、そろそろ12時になるところだった。


「俺は洗濯物を干すことだけ終わらせてくるよ」


「私はフレンチトーストを作って待っているわね」


 残りの仕事を確かめ合い、各々の目的地へと歩みを進める。


 

 十数分後、洗濯物を干し終わらせて昼食のフレンチトーストを食べていた。


「中身がふわふわで美味しいよ」


 数時間卵液に浸したわけではないのだが、ゆっくり時間をかけて作ったのかと疑うほど水瀬さん作のフレンチトーストは深い味わいがあった。


「どういたしまして。それと砂糖の量は人の好みによるから、甘さが必要ならここにある砂糖をまぶしてちょうだい」


 テーブルの上には丁寧に粉ふるいと砂糖が置かれていた。


「何から何までありがとう。本当に助かる」


「何よ、そういう契約じゃない。私はそれに従っているだけよ。それに私こそ居場所を作ってもらったわけだし……」


 小声になっていったため後半の言葉は良く聞こえなかったが、昨日からの短時間で水瀬さんについて少し分かったような気がする。

 どうやら水瀬さんは褒められることに対して弱いらしい。

 返ってくる反応が照れ隠しなのか嫌がっているのかまだ確証は持てていないが、その後も普通に会話できていることから多分前者であろう。



「ごちそうさまでした」


 それからというものの、水瀬さん作のフレンチトーストが自分の中でよっぽど気に入ったのか、あっという間に全て食べ終えていた。


「お粗末様でした。後片付けは私がやっておくから外出の支度をしてちょうだい」


「そういう訳にはいかないよ。って昨日も同じやり取りをした気がするような」


 確か昨日は水瀬さんと分業体制で後片付けしたはずだ。


「今日は昨日と状況が違うわよ。エコバックの場所とか私分からないから、その類も含めて準備してほしいの。それに電源を切るとかも家主なりの支度があるでしょうし」


「……そうだね、ここは水瀬さんの言葉に甘えさせてもらうね」


 水瀬さんの配慮を無下むげにしてまで今日の予定を遅らせるわけにはいかないと感じ、水瀬さんの提案を受け入れることにした。

 


 不必要な電源プラグが抜けていることを確認し、外出用の服装に着替える。

 春とはいえ夕方以降は冷えるかもしれないので黒のスプリングコートを着ていくことにした。無難だがシャツが白、ズボンが黒の組み合わせに黒のコートなら落ち着いた雰囲気を出せるであろう。

 とはいえ、ファッションに関しては詳しくないので目立たない組み合わせを選ぶしかないのが事実だ。


「準備できたかしら? 私の方は外出できるわよ」


 そうこうしていると水瀬さんから声を掛けられた。


「ごめん、今行くよ!」


 買い物の量が多くなるのを見越して、背負ったリュックに手持ちエコバックをしまう。

 もしこの2つのバックでも収まらなかった場合、レジ袋を貰うことにしようと決めた。


 


「行ってきます!」


 挨拶をしてから玄関の鍵をかける。

 自分のものだけではない家。

 一昨日まで自分しかいなかった場所に、たった1人住人が増えるだけでこんなに生活感を感じるとは思わなかった。


「……いってきます」


 郷に入っては郷に従えというのか、隣で待っていた水瀬さんも小声で挨拶をしていた。

 少し恥ずかしそうにしているその姿は、自分にだけ見せてくれる水瀬さんを見た気がして、むずがゆいような、それでいて嬉しいような気分にさせた。


 

 目的である最寄り駅周辺のショッピングモールは徒歩ですぐ着くので、水瀬さんと横並びに歩きながら向かう。


「始めに水瀬さんの服を見繕みつくろうってことでいいかな?」


 歩道側を歩く水瀬さんに買い物の順番を確認するため声を掛けた。

 食材を始めに買ってしまうと重い荷物を持ちながら移動することになるし、時間経過でいたんでしまう。


「構わないわ。そうでないと食材が痛んでしまうもの。でも……長い時間待たせるつもりはないけど、それでも一通りの服をそろえるから時間かかるわよ?」


「俺はいいけど、むしろその場に俺がいて大丈夫なの?」


 お互いまだ学生である。

 一緒に暮らすこととなったとはいえ、ファッションの場まで全て見られているというのは居心地の悪い気分にならないだろうか。


「私は気にしないわ。せっかく一緒にいるのだから意見を貰えると助かるのだけど」


 色々なことを憂慮ゆうりょしていると思わぬ提案をされた。


「んー、俺ファッションに詳しくないよ?」


「それでも異性の意見は貴重だわ。自分で良いと思っていても周りから見たらそうでないことなんて沢山あるんだから」


 水瀬さんの考えを聞くと確かにそうだなと思ってしまう。


 しかし、それは単なる水瀬さんの純粋な考えではなく、本人の過去による経験が混ざっているような違和感もあった。

 その辺りも昨日の行動と関係しているのだろうかと思い至ったが、自分にできることは水瀬さん本人が話し始めるまで待つことだと考え邪推じゃすいを止めた。


「わかった。俺でよければ」


「そうしてもらえると助かるわ」


 そんな会話をしていると、目前に目的のショッピングモールが現れた。

 自動ドアを抜けて、入り口付近にあるフロアガイドを確認する。


「服売り場は2階のようね」


「あっちにエスカレーターがあったから、それで2階に上がれるよ」


 今日は日曜日である。

 親子で買い物に来ている人やカップルでデートしている人などでモール内は混みあっていた。


「だいぶ混みあっているわね……」


「駅から近いし、日曜日となると県外から来る人も珍しくないからね」


 最寄り駅は各駅停車が停まるのはもちろんのこと、急行や新幹線も停まる大規模な停車地であるため休日は人々でごった返すのがここの当たり前である。

 

 はて、ここで気になったことが1つ浮かんだ。

 自分は買い物をするなら近場で一通り品揃しなぞろえがあるこのショッピングモールだろうと思って会話していたのだが、それが共通認識でよかったのかということである。

 自分ではこのショッピングモールが当然だと思い特に明言もせずここまで来たが、他の人にとってはそうでない可能性も考えられる。


「ところで1つ聞きたいんだけど、水瀬さんはこのショッピングモールのこと知ってたの?」


 仮にもし知らない場所へ勝手に行き先を決定されたと感じさせていたら申し訳ないと思い、そのことについて水瀬さんに聞いてみることにした。


「もちろん知ってるわ。私もよく使うわよ……家、この近くだったもの」


 一瞬だが、水瀬さんの顔色がくもった。

 

「ごめん、そんなつもりじゃ……」


 以前の話題を出さないよう気を付けていたのだが、水瀬さんのことを気にするあまり今回の行動は裏目に出てしまった。


「分かっているわ。でも、今の私はあなたに助けてもらって存在している。そんなあなたに全部隠すのはフェアじゃないと思うの……いつか、話すときまで待っていてもらえる?」


 そう言う水瀬さんの言葉は自分に暗示をかけているようで力強さを感じた半面、暴走しそうな怖さも感じた。


「もちろん待つよ。でもゆっくりでいいからね」


 昨日から一晩経った今、少しは水瀬さんの信頼を勝ち取ることができているだろうか。

 少しでも水瀬さんが落ち着いて、それでいて幸せでいられるように、自分にできることをしなければと誓った。



 

「こんな感じで、どうかしら?」


 あれから一転して今、俺は窮地きゅうちに立たされていた。

 如何いかんせんファッションに詳しくないため、目の前でころころと服を変えながら試着する水瀬さんへの感想がだんだんと単調になり始めてしまう。


「それも……似合っていると思うよ」


「さっきから似合っているとしか言わないわね。もう少し具体的に説明できないかしら? 色味がどうとか、季節感とか」


 心なしか水瀬さんがふくれっ面をしているように見える。


「すいません」


 求められていることは分かっているのだが、第一印象はどうしても『可愛い』に持っていかれてしまうのだ。


 例えば、今水瀬さんが来ている服は薄いピンク色のカーディガンに白のTシャツ、ズボンが紺のジーンズと色合い的に春を連想させる組み合わせになっている。

 年相応のあどけなさと可愛さが合わさったような、水瀬さんにぴったりの服装だと感じた。


 このような調子でどんな服に着替えたところでも水瀬さんがしっかりと着こなしてしまうため、特にファッションに疎い自分にとってはそもそも表現する語彙ごいが無いのである。

 いや、今の心情を正直に言えればいいのだが、つい先日会ったばかりの自分から具体的にこう可愛いと伝えられて嫌がられないかという不安もあった。


「えっと、明るい色の服だと性格も明るく見えるから水瀬さんに合っていると思うよ」


 なんとも苦しい言い回しで何とか言葉をつむぎ、水瀬さんに伝えてみる。


「なるほど。これはキープね」


 そう言いながら気に入った服はどんどん買い物かごに入れていく水瀬さん。


「あの……失礼ながら金銭面の方はどうなっているんでしょうか?」


 一応自分が払えなくはない額ではあるが、心配になったので聞いてみることにした。

 すると、何を思ったのか水瀬さんはおもむろに通帳を取り出した。


「これ、あの2人から渡された置き土産。はっきり言うとつつましく暮らせば働かなくてもいいほどの金額が入っているわ」


 淡々たんたんと説明する水瀬さんに冗談を言っている顔は見られない。


 奇跡的に周りには他のお客さんがいなかったというのが幸いだろうか。

 数秒間、衝撃の事実に固まっても不審に思う人はいなかった。


「当たり前だけど私は働くつもりでいるわよ。これはそのための軍資金ぐんしきんだと思って使うことにしているわ。しゃくだけど無いよりはマシだもの」


 あれだけ両親を嫌っていた水瀬さんがこのような行動に打って出るのは至極しごく当然だろう。

 なんとも合理的で理性的な水瀬さんらしい判断である。


見境みさかい無しに使うつもりはないけど、必要経費には惜しまないつもりでいるわ。服装に関しても必要経費だと思っているのだけれど」


 何に使うか何を必要経費にするかは本人の自由だと思うが、服装に関して必要経費とするのは同意できた。

 ファッションにうといとはいえ、人の第一印象を考えれば見た目も大事だというのは理解している。


「いやいや、ちょっと心配になっただけだよ。金銭的なお話はしたことがなかったし」


「もちろん食費も私が持つわよ。光熱費とかは私が直接支払えるものでもないし」


 水瀬さんの言うことは一理あるが、光熱費も含め全て自分が稼いだお金で支払っているわけではない。

 つまり、このままいくと目に見えるお金はほとんど水瀬さんの負担という罪悪感が募ることになる。


「それは良くないよ。ご飯作る負担は俺にとって大きいものだから、その役目を変わってもらえるだけで十分だって」


「私の感覚では大したことないの。むしろ居候させてもらっている身なのに、ご飯作るだけというのは対価として十分払えてるとは言えないわ」


 水瀬さんからも譲れないという雰囲気が感じて取れる。

 こうなったら折半せっぱんしか残された道はない。


「……折半ということにしようか」


「納得いかないけど、あなたが譲れないというならそれしかないわね」


 かくしてこの争いは折半という休戦協定をもって終わることとなった。


「これも『契約』として覚えておくわよ」


「了解。『契約』ね」


 ここに1つ新しい『契約』が誕生したのである。



 

「こんなものかしらね」


 食費に関しての話がまとまった後、洋服の買い物が終わった水瀬さんは一息ついていた。


「……そのリュック、私が持つわよ。私の服だから」


 服をまとめ買いした経験がないので嵩張かさばるとここまで重くなるのは想定外だったが、こんな時こそ男子の出番というやつである。


「荷物が多い想定でこのリュックを持ってきたんだから俺が持つよ」


「入りきらなかった紙袋に入っている服は私が持つわ。それくらいさせて頂戴」


 この後食品を購入することを考慮したら、服を水瀬さんに預けて、重くなるであろう食品入りエコバックを自分が持つという流れがよさそうである。

 だますようで申し訳ないが水瀬さんにはわなにハマってもらおう。


「それならお願いしようかな」




「はめられたわ……」


 食品を一通り買い終わると水瀬さんはこうつぶやいた。


「水瀬さんが服持ってるから食品は俺が持つね」


 まさにしてやったりである。

 こうでもしないと水瀬さんはがんとして譲らないので誘導に乗ってもらったが、案の定水瀬さんは悔しそうにしていた。


「あなた、始めからそうするつもりでいたの?」


「もちろん。そうしないと水瀬さん、譲ってくれなさそうだし」


 今までの言動からも水瀬さんの責任感の強さが分かる。


 真面目で真摯しんしに物事に取り組めるというのは素晴らしいことだが、それが行き過ぎたことによる危うさというのも存在するだろう。

 いずれ溜め込みすぎて爆発寸前になると、また昨日のような行動に走るかもしれない。

 

 だからこそ『普段から』人に頼ることを経験してもらいたいのだが、他人の心を変えるというのはそう簡単にはいかないことも理解している。

 

「……仕方ないわね、今回はお願いするわ」


 自分が水瀬さんを意識しているから深読みしすぎたのだろうか、水瀬さんの『今回は』から彼女が『次回』もあることを考えているという嬉しさがこみ上げた。

 

 大方、水瀬さんは無意識で言ったのだと思われる。

 しかし無意識だとしても、死ぬことを考えていた水瀬さんが少し先の未来を考えているのは小さな変化だが貴重な一歩だ。

 

「任されました。ところで目的のものはちゃんと全部買えた?」


「ええ、全部揃えたわ。服に化粧品けしょうひん、シャンプーとか洗剤も……しっかりあるわね」


 エコバックに入っている食品と分けて、水瀬さんが持つことにした袋をのぞき込んで確認しながら言う。


「あ、洗濯に関しては自分の分は自分がやるっていう方針で良い?」


 これも大事な『契約』事項であるだろう。


「それでお願いするわ。水道料金を考えると心が痛むけど……その話はさっき済ませたわね」


 水瀬さんはまだ納得のいっていない顔をしているが、話を掘り起こす気も無いようだ。


「まあ、そういうことだから。さてお家に戻ろうか」


 なんだかんだでもう夕方である。

 ショッピングモールの入り口からは仕事終わりの人や駅まで見送るカップルなど様々な人が見受けられた。

 

 今日という休日も終わり、明日からはまた学校が始まる。

 そういえば、明日は何の授業があるだろうかと考えながら歩いているとすでにアパートが見えていた。

 ここまでお互い無言で歩いていたようである。


「ただいま」


 染みついた挨拶をしながら部屋の電気を点ける。


「ただいま」


 後ろから水瀬さんの挨拶が聞こえた。

 たった一言だが、この一言が孤独な空間ではないと暗に言っているような気がして安心感を覚える。


「手、洗ってくるわね」


「了解。鍵閉めてから行くよ」


 2人で暮らすようになったので鍵はキッチン近くの定位置に置かれることとなった。

 合鍵は自分が持っているが、水瀬さんも戸締りができるように相談した結果である。


 自分も手を洗ってからキッチンに戻ると、水瀬さんがすでに食品の選別をしていた。


「水瀬さんは先に服とかを片付けてきたら? 食品をしまうのは俺がやっておくよ」


 あの服の量をさばき切るのはなかなか時間がかかるだろうと思い、水瀬さんに提案する。


「その申し出は有難いけど、私も食品の位置を把握したいから遠慮しておくわ。あ、キャベツはどこに置けばいいかしら?」


 確かに水瀬さんがご飯を作るのでその理由は最もである。


「それもそうか。えっと、キャベツとか葉物はここに置いているよ」


 それから数分間、水瀬さんと食品関連の置き場所を相談しながら買ってきた物を収納していく。

 エコバックから物が無くなったのは時計の針が6時30分を指すときだった。


「それじゃあ私はご飯の支度をするわね」


「その間、俺は浴槽よくそうの掃除や明日の学校の支度をしてくるよ。……そういえば水瀬さん、学校は?」


 制服姿ということは特別な事情がなければ、明日学校があるはずである。


「あるわよ。天真てんしん高校に通っているのだけど」


 天真高校は自分も通っている学校である。

 それとも漢字の違う別のてんしん高校だろうか。


「そのてんしんってこのアパート近くの天真高校のこと?」


「その通りよ」


「えっと、何年生でいらっしゃいますか?」


 もしかしたら水瀬さんが同じ高校の先輩かもしれないという一抹いちまつの不安を感じ、一応言葉遣いを改めながら学年を確かめる。


「1年生よ」


「見かけたことあったかな……」


 まさかの同学年である。

 同い年に思えるくらい近しい年齢を感じ取っていたのだが、同じ高校の同じ学年だとは思いもしなかった。


「クラスは?」


「A組ね」


 ふむ。


「……同じだ」


「あら、そうなの?」


 新学期早々クラスの自己紹介まで済ませたというのにお互い気付かなかったなんてあるだろうか。

 真に予想外の事実を目の当たりにして、脳は驚きを通り越して冷静になっていた。

 

 思い出せばそもそもあの時の自分はこと座流星群に夢中だったため、失礼ながら自己紹介をうわそらで聞いていた可能性が高い。

 水瀬さんに自分の自己紹介を覚えているか聞くと、水瀬さんも我関われかんせずという態度をとっていたらしい。

 なんとも水瀬さんらしい行動である。


「まあ、気づかないこともあるか」


「お互い意識外だもの。しょうがないわ」


「その制服見覚えがあると思ったら、自分の高校のものだったなんて」


 既視感きしかんはここから来るものだったらしい。

 まだ高校に通いたてのため、事細かに制服を覚えているというわけではなかったが。


「それなら登校は水瀬さんが先ということにしてもいい?」


 一緒に登校する案は少し頭に浮かんだが、変な噂やトラブルのもとになり兼ねないので却下である。


「いいけど理由を聞いてもいいかしら?」


「まず同じタイミングで登校するのは余計なトラブルを生みかねないので無し。そうするとどちらが先かになるんだけど、買い物の時で水瀬さんが言ったように家主としての作業を終わらせてから登校したいから、俺が後から行きたいかな」


「納得したわ。……そうね、こういう決め事は書き残すことにしましょう」


 そう言うと水瀬さんは自室に向かい、紙とペンを持って戻ってきた。


「まず、部屋を借りる代わりにご飯を作る契約。次に食費は折半。あと洗濯物は各々ですること。最後に登校の順番ね」


 次々に今までの『契約』が書き起こされていく。


「さてと、これ時計の下に張ってもいいかしら?」


「構わないよ。テープ渡すね」


 こうして2人の『契約』は時計の下に掲示されることとなった。


「これで良し。私はこれからご飯を作るけど、確認することはもうおしまい?」


「今は特にないかな」


 考えをめぐらせてみるが思い当たることはない。


「ならお互いやるべきことをやりましょう」


「そうだね。じゃあ浴槽よくそうの掃除行ってくるよ」



 

 手早く掃除と支度を済ませリビングに戻ると、ちょうどご飯を運んでいる水瀬さんに合流した。


「お待たせ水瀬さん。俺も手伝うよ」


「助かるわ。そのオムライス運んでくれる?」


「了解」


 2人掛りで運んだため、あっという間に食事がテーブルの上に並んだ。


「「いただきます」」


 オムライスの好みは人それぞれだが自分はこのふわとろオムライススタイルが一番である。

 あらかじめ好みを注文したわけではないが、だからこそ水瀬さんがこのオムライスを作ってくれたことに一層の有難みを感じる。


「お気に召したようで何よりね。慌てて食べるとのどまらすわよ」


 夢中になって食べているとあきれと喜びが混じった表情で水瀬さんに声を掛けられた。


「ああ、ごめん。このオムライス、ふわとろで美味しいよ。こういうオムライスが一番好きなんだよね」


「何かそんな気がしたわ」


 どうやら水瀬さんに見抜かれていたらしい。


「それなら尚更なおさらだよ。わざわざ好みに合うよう作ってもらえて」


大袈裟おおげさよ。作るなら喜んでもらえた方がいいじゃない」


 水瀬さんはこう謙遜けんそんしているが、やはり美味しいものというのは人を良い気分にさせるらしい。

 おかげで、謙虚けんきょな水瀬さんを褒め倒してみようという悪魔のささやきが聞こえた。


「水瀬さんは本当に美味しいご飯を作るよね」


「まだ数回しか作ってないじゃない」


 水瀬さんに照れた様子は見られない。


「でも和洋中一通り作れる自信があるんでしょ?」


「それはそうよ」


「十分すごいと思うんだけどなあ」


 これも掛け値なしの本音である。

 なかなか水瀬さんに変化が見られないので褒め方を変えてみることにした。


「今日一日中水瀬さんと過ごして分かったけど、水瀬さんはしっかりしていて頼りになるよね」


「……何よ急に」


 声色に変化はなかったが、水瀬さんが視線をずらしたのを見逃さなかった。

 ここぞとばかりたたみ掛けるように一気に攻勢こうせいに出る。

 

「何というか、俺が提案すると意見をちゃんと返してくれるから安心感があるっていうか」


「ほ、褒めても何も出ないわよ」


 そう言う水瀬さんに注目してみると、うっすら顔が赤くなっているのが見えた。

 此度こたびの戦、完全勝利である。


「何勝ちほこった顔をしてるのよ……食べ終わったら早く皿を運んでちょうだい」


「ごめんなさい」


 水瀬さんはそそくさと逃げるようにキッチンへ向かってしまった。

 褒めすぎたばつなのか皿を片付けている間、会話をすることはなかった。

 


「私、先にお風呂入るわね」


 まともな会話ができたのは、数十分後のお風呂がいた合図を聞いた時である。


「それなら俺は自室で勉強しているよ。お風呂空いたらノックしてもらえる?」


 分かったわと水瀬さんの声を聞いてから自分の部屋に戻る。

 

 とはいえ勉強するつもりはなく、1つの悩みの種を解決するため自室にこもったのだ。


 それは学校における水瀬さんとの距離感である。

 水瀬さんと要相談なのは間違いないが、自分の中でもどんな立ち位置にするかはある程度意見として決めておかなければならない。


「教室で夕ご飯の支度の話してたら流石にまずいしなあ……」

 

 仲のいい幼馴染として通すべきか、それとも信頼できる旧友として通すべきだろうか。

 熟考じゅっこうの余地があるのはどれが一番『言い訳』しやすいかである。


「幼馴染が一番かな」


 水瀬さんの両親が居ないことを考えると、幼馴染だから信頼してあずけたという言い訳が今のところしっくりくる。

 それに万が一同棲どうせいしているような会話をうっかりしてしまったとしても、幼馴染が泊まりに来るだけだからと押し通すことができるだろう。

 水瀬さんが部屋をノックしていることに気づくまでその後も考え続けていた。


「寝ていたのかと思ったわ」


「ああ、申し訳ない……って」


「どうしたの?」


 一瞬、水瀬さんから視線を離してしまった。

 

 しかし、これは無理もないと思いたい。

 お風呂あがりの水瀬さんは普段と違い、肌があでやかで色っぽく、女性であることを暴力的に意識させてきたからである。

 水色の上着にグレーでストライプ柄のズボンを鮮やかに着こなしていた水瀬さんは、その綺麗な髪を整えながら確認するように聞いてきた。


「聞いているの? お風呂空いたわよって」


「もちろん。今行くよ」


 慌てて体裁ていさいを持ち直す。


「私は洗濯物を自分の部屋に運んでるから。何かあったら声掛けてちょうだい」


「それならお風呂あがった後少し話があるんだけど」


 学校での立ち回りは水瀬さんと共有しなければならない。


「わかったわ」


 水瀬さんが立ち去るのと同時に、湯浴みの準備を始める。

 ドアが閉まっているのを確認してから服を脱ぎ始める。

 体を洗おうと石鹸せっけんを取り出そうとすると、シャンプーなどの日用品が増えていることに気づいた。


「間違えないように気を付けないとな……」


 服を着ていないタイミングで水瀬さんと鉢合はちあわせるなど、何かの漫画でありそうな恒例こうれいのハプニングもなくお風呂を浴び終えることができた。


 

「水瀬さん、さっき話したことについてなんだけどちょっといい?」


 事前に連絡した通り、話をする予定なので水瀬さんの部屋に向けて声を掛ける。


「何かしら?」


 顔を覗かせた水瀬さんとともにリビングに移動してテーブルの前で対面するように椅子に腰かけた。


「学校での立ち回りなんだけど、結論から言うと俺らは仲のいい幼馴染のていで過ごした方がいいんじゃないかなって」


「そう思った経緯けいいを説明してもらえるかしら」


 この話を水瀬さんにしたら怪訝けげんな顔をされるだろうと思っていた懸念けねんと裏腹に、水瀬さんは真面目な顔をして相談に乗ってくれた。


「前提として同棲状態にあるというのが皆に知られると色々と面倒事が発生すると思っている。これは共通認識でいい?」


「……そうね、共通認識でいいわ」


 少し考える素振りを見せた後、共通認識であることを認めてくれた。


「極力そのことがばれないように過ごしてもいつか限界が来ると思うんだ」


 始めから皆に公言するつもりはないが、それでも隠し事というのはいつか限界を迎えるものである。


「その可能性は否めないわね」


「そこで幼馴染ということを言い訳に使えば、水瀬さんが俺の家で過ごしていても納得してくれるかなって」


「なるほど。理解したわ」


「ただこれには前提条件がいるんだけど」


 この言い訳はあることを前提としたものである。


「学校に本当の幼馴染がいないっていう前提が必要なんだ」


 本当の幼馴染が学校にいたら、嘘は速攻で見抜かれてこの言い訳は破綻はたんするのだ。


「……その心配は必要ないわ。いないことは知っているもの」


 返答までの間が気になったが、一先ひとまず話を進めることにした。


「俺も中学以来の友達が数人いるくらいだから、うん、この言い訳は使えそうだね」


 最後の懸念もこれで解消することができた。


「話はここでおしまいなんだけど、結論として学校では2人は幼馴染という体で過ごすってことで大丈夫?」


「もちろん構わないわ。明日から私達は幼馴染ね」


 水瀬さんは自分に言い聞かせるように呟いた。


「えっと、それじゃあ俺は自室で勉強の続きをした後、もう寝るから。おやすみ、水瀬さん」


「ええ、おやすみなさい」


 その後自室に戻り勉強道具を広げたはいいものの、水瀬さんと同じ学校に通うという事実がよみがえり、その集中を妨げた。

 同じ学校、同じクラスということはプライベートでもパブリックでも、水瀬さんと四六時中ほとんど一緒に過ごすということを意味する。

 

 本音を言うと、早く水瀬さんから今までの経緯全てを聞きたい。

 

 親に出て行ってくれと言われたのが全部でないことは感じ取れている。

 しかし、それよりももっと大事なのは水瀬さんの気持ちだ。

 なるべく早く水瀬さんを安心させて笑顔にしたい思いと水瀬さんの心を大事にしたい思いがせめぎ合う。


「……早く寝よう」


 そんな本音を伝えられない無念さから目を逸らすために、就寝の支度を早めた。


 明日から水瀬さんと共に過ごす学校が始まる。

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