閉店





一角と千角が現世にやって来た。

それはしばらくぶりだった。

だが人より寿命の長い鬼の感覚ではそんなに時間を感じていなかった。


そして二人は喫茶えらんていすにやって来た。

だがいつもと雰囲気が違う。


「看板がないよ。」


千角が言う。

確かに年季の入ったえらんてぃすと書かれた看板がない。

だが中には明かりがある。


「こんにちは。」


二人は恐る恐るドアを開けて入って行くと、

室内が少しばかりがらんとした雰囲気になっていた。


「ああ、驚いた、あんた達か。えらく久しぶりだね。」


カウンターの奥でごそごそと何かをしていたえらのママが顔を上げた。


「ママ、どうしたの。何だか店の雰囲気が違う。」


千角が聞く。

するとママが少しばかり寂しそうに笑った。


「閉店しようと思ってさ。」

「へ、閉店?」

「急なんだけどね。」


一角が周りを見渡した。


「サイフォンとかはそのままだけど。」

「ああ、正ちゃんに全部譲るんだよ。」


それを聞いた二人は驚いた。


「正ちゃんって山田正一君?それで正一君はどこにいるの?」

「今は母さんの墓参りに行ってるよ。

それでここも二週間ほど休みにして少し改装するんだ。」

「改装って看板もなかったけど。」

「店名も変えるんだよ。」

「そんなあ……。」


一角が肩を落とす。


「悪いね、なんだか今が潮時な気がしてね。

でもそんな風に言ってくれると少しうれしいね。」

「ところでママ、正一君はどうしてここの店を継ぐ事になったの?」

「ああ、あんなことがあってしばらくして

正ちゃんがうちの前で倒れていたんだよ。」


それは八名爺が正一を連れて来たのだ。


「それで記憶が無くなっていてね、八名商店に入った頃から最近まで。」


八名爺が食べた記憶は彼が虐められていた頃の記憶だった。

どうしてその時期だけだったのかは分からない。

そこだけを八名爺がどうして食べたのか。


鬼としては人が辛い思いをするほどその記憶は実に美味い。

だからそこを食べたのかもしれない。

だが、それは何かの意味がある気がした。


八名爺は正一を食べずに説教をした。

自分からサイコロを盗み、長年牢屋に閉じ込めた男だ。

鬼でも辛い経験だ。

それを説教だけで済ませたのはどうしてなのだろうか。


そしてその後ママの所に正一を届けて本人は姿を消した。

梅蕙ははっきりと言わなかったが、

八名爺は既に消えているだろう。

要するに死んだのだ。


鬼は悪だ。

どんなに親切顔でも心根は邪悪だ。


それなのに人を赦し労わる心を持つとどうなるのだろうか。

それは鬼という存在なのだろうか。


八名爺は人を喰った。

それほど邪悪な存在が心から人を赦すとどうなるのだろうか。

何かを彼は悟ったのだろうか。

だから姿を消したのだろうか。


それは一角や千角には分からない。


「そうか、じゃあ正ちゃんはあの時の事も覚えていないんだな。」

「それで母さんも行方不明だった間に亡くなって

他に身内はいなかったんだ。

身元引受人が見つからなくてあたしが引き受けたんだよ。」


えらのママがため息をついた。


「正ちゃんも母さんが死んだのを知ってすごく泣いてね、可哀想だったよ。」

「前に正一君はここで手伝った事があるんだよね。」

「そうだよ、だからあたしがここで喫茶店をしないかって言ったんだよ。

あの子はどちらかというと気取り屋さんだろ、

だから客あしらいは結構うまいんだよ。

それに貴族みたいな服が好きだから

あれでコーヒーとか出したらいいんじゃないかなと思ってさ。

凝り性だから色々と研究すると思うよ。」


一角と千角は正一の様子を思い出す。

彼がコーヒーを出す様子は何となく想像が出来た。


「でも閉店って本気なの?ママ。」


疑わしそうに一角が聞いた。

ある意味喫茶店は彼女の人生そのものだ。


「ああ、本気だ。

私もやっぱり体が辛くてね、

最近は新しいお客さんが来るようになったけど

常連さんはあんた達が最後みたいなものだよ。」


ママは店をぐるっと見渡した。


「みんな行っちゃったからね。

でもあんた達が来てくれたのは嬉しかったよ。

それにコーヒーが美味しいと言ってくれたからね。」


ママは笑う。


「そうだ、一角、あんたにはこれをやるよ。」


ママは何冊もの古いノートを取り出した。

そして何種類かのコーヒー豆だ。


「秘伝を授けてやる。弟子よ。」


少しおどけてそれを一角にママは渡した。

彼はそれを受け取りぱらぱらと読む。


「マジか……、凄すぎる。」


彼は呟く。


「でも正一君にも教えなきゃいけないんじゃないの?」

「あの子にはある程度教えてあるよ、それに自分で色々と探すだろうよ。

プロになるんならそうした方が良い。

でもあんたは……。」


ママはちろりと一角を見た。


「ちゃんと教えてやんないと。

変に研究せずこれを見てその通り作らないとだめだよ。

これ以上被害者を出すわけにはいかないね。」


千角が横目で一角を見てニヤリと笑った。


「味音痴って事かなあ?一角さんよ。」


一角は苦々しい顔をする。

だがママが言う。


「あんたもあたしの可愛い弟子だよ。ノートをあげる分物凄い贔屓だ。

美味しいコーヒーを入れておくれよ。」


一角はそれを聞いて少しばかり頬を染めた。


「……、ありがとう、ママ。」

「良いんだよ、大事にしてな。」


と優しく笑った。


「ところでママはここを閉めたらどこに行くの。」


千角が聞く。


「息子夫婦が前からおいでよと言ってくれているんだよ。

嫁と姑でごちゃごちゃするのが嫌でさ、

ずっと迷っていたんだけどこの際行こうかなと思って。」

「そう言うの難しいって聞くもんな。」

「そう思っていたんだけど、嫁がコーヒー好きらしくて

ぜひ来て教えてくれって。

呑気な嫁でね、話していると笑っちゃうんだけど、気が楽でね。」

「へぇ―そうなんだ。」


他愛のない話だ。

そしてママが言う。


「まあ、辞めると決めた一番のきっかけはあんた達だよ。」

「え、俺達?」

「僕達が?」


ママが粋にウィンクをした。


「鬼が店に来たから私ももうお迎えが近いのかなと思ってさ。」


二人が驚いた顔をする。

それを見てママが笑い出した。


「え……、ママ、」

「なんか分かっちゃったんだよ。可愛い子鬼が来たって。」

「可愛いって俺ら……。」

「正解だろ?」


二人は彼女を見てもじもじしている。


「ママ、どうして僕達が鬼だって分かったの。」

「豆ちゃんが喋った?」

「いや、豆ちゃんは何も言わなかったよ。あの子は口が堅いね。

それで八名さんも鬼だったんだろ?

昔から妙な気配があるなと思っていたけど、

はっきり分かったのは小さな八名さんが来た時だよ。

頭に小さな角があるし普通の人があんなに小さくなる訳ないから、

後で色々考えて気が付いたんだよ。

それに八名さんと初めて会った時とあんた達が店に来た時と、

感じが一緒だったね。

雰囲気と言うのかね、匂いと言うか。」


一寸法師にいる法術師や豆太郎は一目見れば鬼は分かる。

元々の素養もあるのだろう。

それをえらんてぃすのママも持っているのかもしれない。


「姿が違う正ちゃんが幽霊みたいに店に来た後、

どう考えても普通じゃないと思ったんだよ。

そこでやっぱり鬼だなと。」

「ママは俺達が来て怖くなかったのか?」

「いんや、全然。」


ママは笑った。


「私も天邪鬼だからね。

それに昔から鬼は好きなんだよ。

怖い鬼もいるけど、あんた達みたいな鬼もいると分かって

私は嬉しいよ。」


そしてママは後ろの棚からコーヒー豆を出した。


「最後にあんた達に飛び切りのコーヒーを出してやるよ。

あたしのおごりだ。」


彼女はいつも通りの美しい手際で豆を図り、

コーヒーを淹れ出した。

一角と千角がそれを見る。


そして初めて彼らが来た時の

赤いカップと青いカップを取り出した。


「あんた達のイメージカラーだ。

それとこれを豆ちゃんに渡してよ。」


ぽってりとした灰色のカップを取り出した。

一角はコーヒーを飲む。


「ありがとうママ、元気でね。豆太郎君にも渡しておくよ。」

「ああ、地獄で待っていてよ。いつか行くから。」




「なあ、えらのママは地獄に来るかな?」


えらんていすからの帰り道、

袋に入れた三個のコーヒーカップを見ながら千角が言った。


「いや、えらのママは地獄には来ないよ。」

「だよな。」

「自分で天邪鬼と言っていたけどあの人は善い人だ。」

「鬼の俺らも素直になっちゃうぐらいのな。

記憶を食べても絶対に美味しくない。

だから俺達の記憶を消すのも面倒だな。」

「ママはそんな事をしなくても僕達の事を

人に言わない気がするよ。そういう人だ。」


一角がため息をつく。


「でも僕達は鬼としてはやっぱり甘いんだな。」

「すげえ鬼だとえらのママでも喰っちまうのかな。」

「かもな。」


一角はママがくれたノートをちらりと見た。


「でも喰ったら後悔する時もあるのかなと思ったよ。」


千角が何も言わず一角を見た。

そしてその背中をばしりと叩く。


「よーし、豆ちゃんをからかいに行こうぜ。

豆ちゃんも失恋したし、ファミレスでフェアをやってるだろ。

あれをみんなで喰おう。」

「夢かわスイーツフェアか。」

「ああ、パステルカラーのユニコーンとか、無茶苦茶可愛いやつ。

豆ちゃん凄い嫌がるだろうけど

本当は食べたくて仕方ないんだぜ。

一人で食べるのが恥ずかしいんだよ。笑えるだろう。

絶対面白いよ。」


一角が立ち止り腕組みをしてじろりと千角を見た。


「豆ちゃんは良いけど豆ちゃん『も』失恋と言ったよな。」

「そう細かい事気にするなよ、俺が二人に奢るからさあ。」


千角が何度も一角の背中を叩く。

一角は何やらぶつぶつ言っているが結局はごまかされるのだろう。


「そう言えば、あのサイコロが一つになった後、

俺一度だけサイコロを振ったよな。

コーヒーの秘密を教えてくれって。」

「そうだな。」

「あれ、もしかして叶ったのかな。ママがノートをくれたし。」


一角がはっとする。


「もしかするとそうなのかな。なら僕も願えば良かったな。」

「ばあちゃんにサイコロを貸してと言おうか。」

「いや、おばあちゃんはせっかちだからもう

どこかに持って行っているんじゃないかな。」


千角が背伸びをした。


「あーあ、やっぱり働き損だ。」

「ま、豆太郎君に欲しいものを買ってもらって、

それで留飲を下げようよ。」

「だな。スイーツ食べながらまた責めてやる。」







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