種
えらんてぃすに魔に操られた正一が現れてから、
豆太郎は何度かそこに行っていた。
何しろあの光景を見たのだ。
ママの身も心配だが、また再び何かが起こるかもしれない。
「正一君は八名爺が連れて行ったよ。その後は分からないな。」
サイコロが一つになった後、鬼はそう言っただけだった。
それから一角と千角は姿を現さない。
「お、豆ちゃんいらっしゃい。」
店内には何人かの客がいた。
「ママ、ブレンド一つ。」
豆太郎が挨拶をしてカウンターに座る。
「何だか繁盛しているね。」
「そうなのよ、どこかで昭和レトロな店って紹介されたみたいでさ、
急に客が増えたんだよ。困っちゃうよ。」
ママは迷惑そうな言い方をするが顔は笑っている。
元々人と話すのが好きそうな
客が増えて嬉しくない訳がない。
その時だ、店の奥から男性が出て来た。
「ママ、私がコーヒーをお客様にお持ちします。」
豆太郎はその顔を見て驚いた。
「正一……。」
それを聞いた正一が不思議そうに豆太郎を見た。
「あ、ああ、山田正一だよ、この前から店を手伝ってもらってる。
正ちゃん、この人は柊豆太郎さんだ。
色々とお世話になったんだよ。」
正一がにこりと笑って頭を下げた。
その笑みには全く邪気が無い。
豆太郎は仕事を始めた正一の後ろ姿を見た。
「豆ちゃん、正ちゃんは記憶が無くなっているんだよ。」
「記憶が?」
「ああ、あの後しばらくしてうちの前で倒れていたんだよ。
少し入院してからうちに来たんだけど、
八名商店にいた頃から今までの記憶がなかった。」
「じゃああの時の事は?」
「全然。」
そしてママが扉を見て声をかけた。
新しい客が来たのだ。
正一がすぐに客を迎えてテーブルに案内をする。
「あの子、母さんがいたんだけど亡くなっていてね、
身内も他にいないから私が身元引受人になったんだよ。
最初はぼんやりしていたけど
仕事を無理矢理ガンガンやらせてやった。」
ママがにやりと笑う。
「今はすごくきびきび仕事してますね。」
「ああ、あの子は接客に向いてると私は思っていたんだよ。
でも外で派手にやるタイプじゃないから、
小さな店でのお客相手はちょうど良いんじゃないかね。
だから今あんな感じで上手にやってる。
ちょいと気取り屋だからね、品良くエスコートさ。」
ママは正一を優しい顔をして見た。
豆太郎はコーヒーを一口飲んだ。
「何だか収まる所に収まった感じかな。」
「そうだね。」
そしてママが少しばかり声を潜めて言った。
「あのさ、一角と千角は今どうしてる?
最近来ないけど。」
ママも忙しさにかまけて忘れていたが、
豆太郎の顔を見て思い出したのだろう。
「あいつらですか。」
「ああ、」
ママの顔が近寄る。
「あの子達、人じゃないだろ。」
豆太郎がはっとして彼女を見た。
だが、
「いや、違いますよ、少しばかり変わってますが。」
ママはそれを見てふふと笑った。
「そうか、やっぱりあんたはしっかりした良い男だ。
あんたは絶対に幸せになれるよ。」
豆太郎はママに全てを見透かされている気がした。
だがそれでも秘密をしゃべるつもりにはなれなかった。
何かがママの身に降りかかってはいけないからだ。
「ありがとう、ママ。
あいつら今どこかに行っているみたいで、
俺もしばらく会っていないんです。
見たら顔を出せと言いますよ。」
「ああ、そうしておくれ。待っているからってね。」
豆太郎は店を出た。
そしてしばらく周りを散歩する。
以前ここに来た時はどことなく禍々しい気配があったが
今は全くその様子は感じられない。
そして豆太郎がサイコロから教えられた家の前に来た。
その一角辺りだけかなり古い家ばかりだった。
周りには杭が打たれて中に入れないようになっていた。
「更地にするのか。」
豆太郎はその場所には建物はあるが空っぽに感じられた。
もう何もないのだ。
満ち満ちていたものがすっかり抜けたただの殻に見えた。
古いものが変わっていく。
時の流れだ。
それを惜しむ気持ちは確かにあった。
だが変わらなければいけないものもあるのだ。
辛く哀しい記憶は忘れてはいけないものもある。
しかしそれをずっと抱え込んだまま過ごしてはいけない。
それを忘れず繰り返さないようにしながら
先に歩いて行かなくてはいけないのだ。
正一に一体何があったのか豆太郎は詳しくは分からなかった。
だが前に見た取り憑かれた彼と今の彼は全く違っていた。
邪気はすっかり抜け記憶を無くした。
母親も死んだ。
彼はペナルティを受けたのだ。
そしてその彼は生きている。
「多分もう大丈夫かな。」
彼は足元を見た。
古い家の入口に雑草が生えている。
そこには小さな白い花が咲いていた。
土もほとんどないような場所だ。
だがそこに根を張り生きている花は次に続ける種をはぐくんでいる。
この場所は変わるのだ。
そしてあの正一も。
豆太郎はスマホを取り出した。
そしてラインを開く。
そこには千角の名前があった。
連絡を取ろうかどうしようか、彼は迷った。
ママの為ではない。
今のこの気持ちは多分あの二人にしか分からないだろうと
豆太郎は思ったのだ。
だが彼はしばらく画面を見てそっとスマホをしまった。
彼らには彼らの考えがある。
それが人と鬼だと彼は感じていた。
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