覗き見  2





事務所で電話中の豆太郎はふとした気配を感じた。

開け放したドアから何かが入って来たのだ。


電話をしながら彼は周りを見渡した。

何もない。

里奈はパソコンで書類を作っている。


「はい、そうです。はい、お願いします。それでは失礼します。」


豆太郎は電話を終わらせると周囲を探った。

すると書類棚の上に何かある気がした。

だが今見た限りは何もない。

霊的なものかと思ったがそれでも無い様だ。


「里奈さん、ちょっと桃介とピーチの様子を見て来る。」

「はい。」


と彼は事務所を出た。

里奈は引き続き書類を作っている。


「毎度、里奈ちゃーん。」


とやって来たのは行邑いきむらだった。


「お疲れ様です。」


と里奈は挨拶はしたが正直行邑は苦手だった。

彼は彼女の机の縁に腰を下ろした。


「ねぇ、里奈ちゃん、今度良かったら食事に行かない?」


彼は里奈の肩に腕を回して来た。

いつもなら豆太郎がいて何かしら理由を付けて引き離してくれる。

だが今は彼はいないのだ。


「いえ、まだ仕事も慣れていないので……。」


と彼女は答えた。

だがこの言い方も良くないのかもしれないと里奈は感じた。

はっきり断りたい、

だが断ったあと仕返しをされるのが怖かった。


「良いじゃん、ねえ、行こうよ。」


ますます行邑が近づいてくる。

その時、


「ども。」


玖磨くまがのっそりと入って来た。

行邑がぎくりとして彼を見た。

里奈はさっと立ち上がり受付に行く。


「お疲れ様です。文具の受け取りですね。」


玖磨がぎろりと行邑を見た。


「どもー、また来ます。」


と彼はそそくさと出て行った。

玖磨が彼の後ろ姿を見送り里奈を見た。


「玖磨さん、ありがとう、助かったわ。」

「行邑さんにはすっかり嫌われたな。」


里奈が笑う。

玖磨がぼりぼりと首の後ろを掻いた。


「玖磨さん、来週の日曜日にまたショーがあるみたい。」

「……ああ、良かったら、」

「ええ、行きます。この前は楽しかったわ。」


玖磨がにこりと笑う。

この男にしては珍しい表情だ。


「ああ、玖磨さん。お疲れ様です。」


事務所に桃介とピーチと一緒に豆太郎が戻って来た。


「玖磨さん、犬は平気だよな。ちょっと騒がすよ。」


玖磨が座り桃介とピーチの頭を撫でた。


「相変わらずお前らは立派だな。」


二匹は尻尾を振る。

そしてしばらく鼻をふんふんと鳴らすと、

書類棚の上を見て二匹は吠えだした。


豆太郎が椅子を持って来てその上に立ち棚の上を探った。

そこを覗くとハエのようなものがある。

彼はそれを摘まみ近くで見ようとするが、

指先でくしゃりと崩れてさらさらと溶けた。


「どうしたんですか、柊さん。」


里奈が不思議そうに豆太郎と犬を見た。


「いや、なんでもないよ、虫かな、

何か飛んできたから犬だと鼻で分かるかなと思ってさ。」


妙な言い訳だがそれしか言い様がなかった。

豆太郎は自分の指先で崩れたものが何であるか今は分かっていた。

鬼界きかいのものだ。

誰かがここを探っていたのだろう。


「桃介、ピーチ、来い。里奈さんまたちょっと離れるよ。」


と彼らは出て行った。


「じゃあ俺も行くよ。」

「はい、お疲れさまでした。」


玖磨が手をあげて行きかけた時だ。


「あの……、」


里奈が言う。


「この時間に来てくれたのって偶然?」


玖磨が少し笑う。


「リネンが届く曜日だろ。

あいつ時間はわりと守るから……。」


彼はそう言うとさっと帰って行った。

里奈の心に温かいものが湧き上がって来た。

多分玖磨は自分のためにこの時間に来たのだ。


彼女は今まで男性に対してこのような気持ちを持った事は無かった。

好意を持った人が今までいなかった訳ではない。

だが今玖磨に対する感情は初めてのものだ。


まだ知り合って間もないのに離れがたい気がしていた。

いつも一緒にいたい。

彼に触れていたい。

そこまで思うのは生れて初めてだった。


愛想の悪い大男。

だが、自分にだけには微笑みかけてくれる。

そして自分を守ってくれる。

彼といれば心から安心出来るのだ。


「し、仕事しなきゃ。」


彼女は気を取り直して机に向かった。

だが心は浮き立っている。

熱い頬を両手で包んだ。

いつもなら冷たい手が今は心地良かった。




「豆太郎、鬼が何か仕掛けたのかしら。」


ピーチが言った。


「一角と千角かな?」

「いや、初めて嗅ぐ臭いだ。あの鬼と臭いは近いけど。」


桃介がふんふんと鼻を鳴らす。


「そうか、お前らが言うならそうだろうな。

まあ良く分からんが、そんなに悪い感じはしなかったな。

でもどうして事務所なんか探ったんだろうな。」


豆太郎は腕組みをして考え込んだ。


「案外とさ、」


桃介が少しばかりふざけた感じで言う。


「あの一角と千角の関係者だったりして。多分目当ては豆太郎だよ。」

「俺が?」

「だって一寸法師の他の場所ではあの臭いは無かったから。

法術師のおじさん達が目的なら別の所にも臭いはあるはずだろ。

里奈ちゃんは鬼は全然関係ないし。」

「俺なんて探ったって何にもないぞ。」


犬二匹がくすくすと笑いだした。


「鬼界に豆太郎のファンがいたりしてな。」

「妙な事言うなよ。」


豆太郎がふと事務所の入り口を見ると玖磨が出て来た。

彼は豆太郎に頭を下げる。

それを見て豆太郎が玖磨を手招きした。


「さっきは騒がせたな。」

「いや、全然。」


と玖磨が言うと犬のそばに座り頭を撫でた。


「玖磨さんは犬は好きか?」


桃介とピーチは尻尾を激しく振っている。


「そうだなあ、桃介とピーチは特に好きかもな。

立派な犬だ。」


彼の表情は柔らかい。


「それでさ、里奈さんは?」


玖磨の動きが止まり、その耳が赤くなった。


「……あ、」

「ああ、もう分かった、言わなくていいよ。」


豆太郎の顔は苦笑いだ。


「里奈さんから二人で出かけたと聞いたよ。

二人とも大人だから全然構わないけど、

里奈さんは一応おばさんのすぐそばに住んでるし、

嫁入り前のお嬢さんだからその点配慮してくれよな。

余計なお世話だけど、一応俺上司なんで。」


玖磨がぼりぼりと頭を掻いた。


「気を付けるよ。」


豆太郎の心の中は少しばかり残念な気持ちもあった。

だが彼らを見ていると惹かれ合うのも仕方がない気がしていた。


それに里奈への気持ちは少し変わって来たのだ。

まるで妹の様な感じがして来た。

そして不思議な事に今までしょっちゅう事務所に

入所者が顔を出したがほとんど来なくなった。


「それとな、俺から言って良いのか迷うんだが……、」


玖磨が豆太郎を見た。


「里奈さん、前の会社をストーカー被害で辞めさせられたんだ。

男に付きまとわれてだ。

里奈さんは全然悪くないのにな。

その辺り気を使ってやってくれるか?」


玖磨が立ち上がり頷いた。


「俺が話した事は秘密だぞ。

守秘義務がとか言われるかもしれんからな。」


豆太郎が口元に指を当てた。


「柊さん、ありがとう。」


玖磨が頭を下げて帰って行った。


「豆太郎、大人~。」


桃介がふざけて言う。


「でも少し踏み込み過ぎじゃない?」


ピーチが少々諫めるように言った。


「そうだな、ちょっと立ち入りすぎだな。

でもこれで止めるよ。

何だか里奈さんが妹みたいな感じがしてな。」


桃介とピーチが顔を合わす。


「そうね、それ、何となく分かるわ。

最初里奈さん何とも言えない感じが凄かったけど、

最近落ち着いて来たものね。」

「そうそう、玖磨さんと会うようになったら

匂いが変わったよな。」

「お前ら、やっぱり犬だな。」


へへっと2匹は笑った。


「でもあの行邑は危ないぜ。」


桃介が豆太郎を見た。


「お前ら玖磨さんには愛想が良いけど、

行邑さんには全然尻尾も振らないな。」

「あちらも俺達には興味が無いからな。それに、」


桃介が鋭い目になる。


「何か隠してるよ。」


それは豆太郎も感じていた。

特に里奈を見る目がおかしい事に。

会社内なら自分の目が届く。

だが社外では?

叔母の鬼頭に話すべきだろうか。


里奈もう大人だ。

そこまで気を使う必要は無いのかもしれない。

だが何かしら危ういものがあった。

彼女が持っている星が災厄を招くとは考えたくはないが、

その可能性を行邑の目に豆太郎は感じていた。








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