情けと仇(あだ)  2





「八名爺、あんたこんなに小っちゃくなって、まあ……。」


鬼界きかいに八名爺を連れて行くとそれを見た梅蕙ばいけいが驚いて言った。

八名爺は一角に抱かれているがまるで赤ん坊の様な大きさだった。


「おばあちゃん、八名爺はどれぐらいで元に戻るかな。」

「数日で戻ると思うけどとりあえずお茶でも飲んで、」


梅蕙がそこにあった湯飲みを差し出した。

八名爺がそれを受け取りゆっくりと飲んだ。


「……、美味いな。」


八名爺がぼそりと言った。


「あんた一体どこに行っていたんだい。」


梅蕙が台所に行きおひつを持って来て握り飯を作り出すと、

八名爺が食べ始めた。


「現世だよ、あのサイコロで色々遊んでやろうと思ったんじゃがな。」


握り飯を一口食べる度に八名爺の体が少しずつ大きくなる。


「うっかりサイコロを額に入れちまってなあ。」

「額に入れた?」


八名爺が自分の額を指さした。


「現世で酒を飲みながら考えていて、うっかり寝ちまったんだよ、

ちゃぶ台にサイコロが置いてあって、

うとうとしてそこに頭を打ち付けたら額にめり込んじまった。」


彼の額には穴が開いていた。


「爺さん、それを取らなかったのか?」


千角が聞く。


「取ろうとしたんじゃが、

あのサイコロのせいかそれを取るのはいけない事だと思っちまってな。」

「いけない事ってどうしてなの?」


八名爺が手に付いた米粒を一つ一つ口で取り、

次の握り飯を取った。


「体を傷つけるのは悪い事だと思って出来なかったんじゃよ。

ともかく悪い事が全く出来なくなった。

人にとって善い事しかやりたくなくなったんじゃ。

何しろあの雄サイコロは人には悪く働くが、

わしは鬼じゃろ、その逆で善い事しか出来なくなったんじゃよ。

それに力も弱くなってな、人みたいになった。」


要するに人が持てば狂暴になるものは、

鬼にとってはその逆の作用を及ぼすのだ。

仏の八名さんはやはりこの八名爺だったのだ。


「じゃあ、あの雄サイコロは今どこにあるんじゃ。」


梅蕙が汁物も持って来て八名爺に渡した。


「わしがやっていた店で働いていた

山田正一と言う男が持って行ったよ。

虐められてたから可哀想に思って目をかけていたんだがな、

わしの正体に気が付いて額のサイコロの話をしたら、

それが何かしらの力があると思って額からむしっていった。

そして力を使って地下の洞窟にわしを閉じ込めたんじゃ。」


一角と千角は顔を合わせた。


「ブラッディ正一。」


二人は同時に言った。

あの貴族的ファッションのあの男の額には大きなイボがあった。


「八名爺、俺達ブラッディ正一に会ったよ。

爺さんの檻に来たのもあいつに落とされたんだ。」


八名爺は既に体の大きさは先ほどの倍ぐらいの大きさになっていた。


「ブラッディ正一?」

「うん、バンパイアの山田ブラッディ正一と僕達に言っていたんだ。

襟元にひらひらがついた豪華な服を着ていたよ。」


八名爺は何かを思い出すように腕組みをした。


「山田正一か、あいつは服飾関係の学校を出たんだ。

それで和装にも興味があるからとわしの会社に就職したんだ。

わしの会社は和服やその小物を扱っていたからな。」

「昔からやってる古い会社なんだろ?」

「そうじゃ、あそこがまだ遊郭だった頃からある。

着物も扱っていたが、時代の流れで小物中心となった。

正一は自分で服が作れたからな、知識も相当あった。

だから他の奴からねたまれてな、いじめられてたよ。

服も自分が好きな物を作って着ていたから、

変だといつも言われておったな。」

「あのひらひらしたのも自分で作ったのかな。」

「多分そうじゃろうな。」


黙って聞いていた梅蕙がみなを見た。


「誰だい、ぶらつでい正一って。」

「八名爺が現世で八名商店と言う店を出していたんだけど、

そこで働いていた男だよ。

八名爺から奪った雄サイコロの力で結界を張って好き勝手やってる。」

「ふうん、ならそいつからサイコロを取ったらこの話は終わりだな。」

「それがなあ、ばあちゃん、」


千角が自分の服の袖が破れかけているのに気が付き

それを触りながら言った。


「遊郭があった跡に結界を張っていて、

城を作って沢山の男や女の子とか閉じ込めてる。

だからちょっと面倒くさいかもなんだ。」


八名爺がため息をつく。


「そうじゃ、あの辺りはそんな女や男達の怨念が渦巻いてる。

だが時間も経ち薄れて行ったんじゃが、

あいつの力で再びあの場所が恨み溢れる場所になりつつあるんじゃ。

正一は昔からそれほど活発なやつじゃなかった。

いつも閉じこもって服を作っていた。

だからあの場所でずっと自分の結界を作っているんじゃないかな。

凝り性のあいつだからかなりでかくなっているだろうな。

困ったもんじゃ。」


梅蕙が八名爺を見た。


「八名さんよ、邪悪な場所なら

あたし達鬼にとってはむしろ都合が良いじゃないか。」


爺がはっとした顔をする。


「そ、そうじゃな、100年近く雄サイコロが額にいたから、

わしも耄碌したんかな。」

「八名爺は現世だと仏の八名さんと言われていたんだよね。」

「仏?そりゃ八名さんえらい名前を付けられたな。」


梅蕙が笑った。

八名爺が一角に聞く。


「その話は誰から聞いたんじゃ?」

「えらのママだよ。」

「そうか。」

「えらのママは昔はどんな人だったの?」


八名爺はうっすらと笑う。


「鉄火肌のいい女だったよ。

昔女郎屋をやっていたカフェだったからな、

学校でかなりいじめられたらしいが絶対に負けんかった。

それに別嬪でな……。」


一角はえらのママが言った事を思い出した。


「えらのママは鬼が好きだと言っていたよ。

僕達の事は分からないみたいだけど親切にしてくれた。

今でも綺麗な人だね。」

「……ああ。」

「おい、一角。」


千角が扉のそばで彼を呼んだ。


「とりあえず現世に戻ろうぜ。

ばあちゃん、八名爺を任せてもいいか?」

「ああ、良いよ、

サイコロを取り戻しに行くんだろ?」


一角も立ち上がった。


「そうだよ、早く取り戻さないと豆太郎君がうるさいからね。」

「豆太郎って一寸法師のか。」

「うん、雌のサイコロを持っているから

同僚の女の子が気になって仕方ないんだよ。」


梅蕙がははと笑った。


「なら結果オーライじゃないか。くっついちまえばいい。」

「それがさあ、」


豆太郎の話になり千角が戻って来た。


「その女の子はどうも別に好きな男が出来たみたいでさ、

豆ちゃんはサイコロのせいで分かっちゃったみたいで

ショボーンとしてるの。」


千角がくすくす笑った。


「分かったよ、その豆ちゃんの恋の行方、後で見てやるよ。」

「そんな道具あるの?」

「蔵の中に何かはあると思うよ。

さあ、あんたら現世にお行き。

何かあったら連絡してやるよ、ラインでさ。」


一角と千角はにやりと笑って姿を消した。

それを確認した梅蕙が八名爺を見た。


「……あんた、人を喰ったね。匂いが前と違う。」


目を細めて梅蕙が小さな八名爺を見た。

一瞬彼の目が泳ぐ。


「喰ったよ、でもわしらは鬼だ、喰って悪いか。」


梅蕙が首を振る。


「駄目だとは言わないよ、でもあんたこれで獄卒だな。

人の味を知っている鬼の方が獄卒向きだからな。

仕事を持ったらあまり好き勝手に現世に行けなくなるな。」


八名爺が薄暗い目で彼女を見た。


「綺麗事を抜かすなよ、あんただって一人や二人は喰ってるだろ。」

「いや、人を殺めた事はあるが喰ってないよ、爺さんもだ。

あたしらは宝探しが仕事だからね、

鬼界から好きな時に出られなくなると都合が悪い。

でも八名さん、あんた人を喰うような鬼じゃなかったよな。」


八名爺は少し俯きしばらく何も言わなかった。


「……好きな人間の女が出来てな、その女は別の男と好き合ってた。

わしはどうしてもその女が欲しくてな、

サイコロをその男にくっつけてやろうと思ったんだが、

その前に男を殺っちまった。

その後どうしても女を自分のものにしたくてな、

でも女は言う事を聞かん。だから喰ってやったよ。」

「サイコロが額にめり込んじまったのはその後か。」

「ああ……。」


八名爺は遠くを見た。


「喰っちまったらわしのもんだと思ったが、

当たり前なんだが喰ったら二度と会えないんじゃな。

それで面白くなくて酒ばかり飲んでいたら

酔っぱらってちゃぶ台の上にあったサイコロに

額を打ち付けたのさ。

間抜けな話だ。」


梅蕙が八名爺にお茶を出す。


「人まで喰った分、闇が深くて反動で物凄い善い人になっちまったんだな。

仏の八名さんか、笑えるな。」

「そうだ。

額にサイコロがあった時の事は全部覚えとる。

胸糞悪い事ばかりしておった。」

「まあしばらくゆっくりするんだね。

これからの事はおいおい考えりゃいい。

獄卒はいつでも募集中らしいからな、仕事はすぐ見つかるさ。」


梅蕙が立ち上がった。


「ところでさっきえらのママと言っていたけど知り合いかい?」

「わしが商売をしていた時のお得意さんだ。

子どもの頃からの知り合いでな、今はもうばあさんだがいい女だ。」


彼女の目が細くなる。


「あんた、その女も喰いたかったんじゃないかい。」


八名爺が苦笑いする。


「いや、喰えばいいっちゅうもんじゃないのは良く分かったよ。」


行きかけた梅蕙に八名爺が言う。


「ところで孫の二人は人を喰った事があるのか。」


梅蕙が振り向く。


「いや、ないね、あたしらの家系は宝探しは好きだけど、

人を喰うのはそんなに興味がないみたいだ。

それに、」


彼女がにやりと笑う。


「妙な友達がいるようでな、現世から帰るとその子の話ばかりする。

その友達が絶対に人を喰うなと言っていて、

義理堅いうちの孫はその約束を守っとる。」

「友達ってさっき言っていた豆太郎か?」

「ああ、鬼退治の家系だ。」


八名爺が驚いた顔になる。


「しかもその友達は一寸法師と言う恐ろしい法術師ばかりいる所で働いている。

あんたも人を喰った鬼とばれたら一瞬で成敗されるぞ。」

「そんな人間とどうして……。」


梅蕙は少し前の赤い玉の騒ぎを思い出した。


あの時は信じられない事だが、

場所は違うが人と鬼が同じ敵を相手に戦ったのだ。

その時に橋渡しをしたのが一角と千角、そして柊豆太郎だ。


昔からの根深い因縁を超えて通じている三人だ。


人と鬼の世界が相容れる事は未来永劫絶対にない。

それぞれの世界は裏表だからだ。

だがその間で彼らは繋がっている。

不思議な縁で。


「あたしも良く分からんが、

鬼と人のそんな間柄があっても良いんじゃないかと思うよ。

なるようになるだろうさ。」


梅蕙は一角と千角から豆太郎の話を何度も聞いているうちに

目の前の孫と同じような印象を持ち始めていた。


彼女にとって人は息子夫婦の仇だ。

憎いはずだ。

だがその豆太郎も親を鬼に殺されたらしい。


その上で一角と千角に人を喰うなと言ったのだ。

ゆかり豆という土産まで寄越した。


憎しみの心はどこで線引きをして良いのか梅蕙も迷った。


人と鬼と言う所か、

それとも一人一人別に考えるべきなのか。

難しい話だ。


だが一角と千角から聞く人の豆太郎の話は面白かった。


だから梅蕙は深く考えるのは止めた。

流れに身を任そうと。


「だからあんたが人を喰った話はあいつらに聞かせたくなかったんだよ。

甘いかもしれんがいずれあいつらも何かしら知るかもしれん。

あたしが言うより自分達で考える方が良いと思ってさ。」


八名爺が梅蕙を見た。


「あんたも変わったなあ。向こう気の強い女だったが。

兆さんもよく愚痴ってた。」

「うるさいね、あんたがいない間に鬼界でも色々あったんだよ。

あとで教えてやるから、ともかく喰え。」


八名爺がそばにあったおひつを抱えて飯を食べだした。

まだ飯は少しあったがすぐに無くなるのだろう。


「ところであんた、一角と千角に会った事がないのによく分かったな。」

「ああ、サイコロを貰った頃、息子さんが結婚したばかりだったろ、

兆さんが孫が生まれて男だったら名前は一角か千角かと言っていたからな。

まさか双子とは思わなかったが。

それに匂いが兆さんとそっくりだ。」

「顔も似てるだろう。」


八名爺が苦笑いする。


「ああ、わしが言うのも悔しいが兆さんは結構いい男だったからな、

二人とも男前だな。

それに助けてもらったし、ありがとうよ。」


梅蕙がにやりと笑う。


「そこまで言われたらサービスしなきゃならんな。」


梅蕙が台所へ向かう。

八名爺がどれほど食べるのか分からないが、

彼の体力はすぐに戻りそうだ。








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