鬼頭アパート





「なあなあ里奈ちゃん、おやつ食べんか?」


事務所に入所している年寄りが来て里奈を誘った。


「あ、ありがとうございます、でも仕事があるので

また今度誘ってください。」


とにっこり笑って里奈が断った。

年寄りは残念そうに事務所を出て行ったが、

その向こうでこちらを見ている別の年寄りがいた。


里奈が来てからそれが毎日だった。

入所者も事務所には用事が無ければそんなに来ない。

だが、今は誰かが必ず顔を出す。


豆太郎はその様子を見て少しばかり苛ついた。

年寄りもそうだが、里奈も里奈だ、はっきり断ればいいのに、と

彼は彼女に注意しようと立ち上がった。

少しばかり焦れた気持ちだった。


だが、はっと気が付いた。


なぜこんなにじりじりとした感情を持つのだ?

彼女は会社の事務員だ。しかも勤め出して日も浅い。

彼女の働きぶりは実に真面目だ。さっきも誘われたが断っている。

自分が注意しようとした理由も変だ。

まるで嫉妬する彼氏の様だ。


豆太郎は腕組みをして立ったまま考えた。

それを不思議そうに里奈が見る。

その視線にすら彼は何かを感じてしまう。

だが彼女には特別な感情は無いはずだ。

ただどうしたのかと見ているだけなのだ。


「ごめん、なんでもないよ。」


豆太郎は彼女に笑いかけて座った。

これが彼女の重大な悩みなのだと彼ははっきりと理解した。

彼女は何もしていないのに男を勘違いさせてしまうのだ。


そしてもう一つ、彼は自分がこのように

浮ついた気持ちになる理由も分かっていた。


あの雌のサイコロだ。

持つ人間に恋心を持たせたり、やたらと惚れっぽくなると

一角が言っていたのを思い出しのだ。


そんなサイコロを持っている豆太郎のそばに

真面目だが強力な色の星を持つ里奈がいるのだ。

サイコロが無くても豆太郎がおかしくなっても仕方がない。

何しろ豆太郎も女っ気が全くないのだ。


「くそっ、あいつら本当に厄介な物を渡しやがって。」


豆太郎が小さな声で呟いた。

それを里奈が見る。

本能は厄介なものだと豆太郎は思った。


「早く解決しないとヤバい……。」




その夜だ。


「豆ちゃんからラインが来た。」


千角が一角にそれを見せた。

何やら下手くそな絵が描かれた写真だ。


「ん、なんだ車?家?四角いな。ごしごしこすったのか?

黒いな。」


一角が写真を見て考える。


「豆ちゃんのラインでは家だと。黒い屋根で黒い壁だって。

サイコロのイメージだってよ。」

「家か、車かと思った。

豆太郎君は絵を少し勉強した方が良いな。」

「それと変な気持ちになるから早くサイコロを引き取ってくれだって。」

「え、どうして。豆太郎君はあのケアハウスにいるんだろ。

女の子は犬のピーチだけだし。

あそこには男の人しかいないじゃないか。まさか……。」

「そんな事あるかよ、どう考えても女の子が好きだろ。

あそこにいるのは怖いおっちゃん達だけだよな。

ならもう少し持ってろと返事するよ。」


しばらくして返信が来る。


「……ちょっと前から事務に女の人がいるんだと。」

「それは大変危険だ。

でも面白いからもう少し豆太郎君に預けよう。

豆太郎君に春が来るかもしれん。」

「面白いから持ってろ、と……。」


千角がそう返信するとすぐに電話がかかって来た。


『いい加減にしろ、お前ら、他人ごとだと思って。』

「だってさあ、面白いじゃん。」

『頼むよ、俺おかしくなりそうだ、

昼間なんて下手すると鬼頭さんと部屋で二人きりになるんだぜ。

集中できん。』


スピーカーで聞いていた二人が爆笑する。


『お前ら笑ったな、ムカつく、分かった、サイコロは捨ててやる。』

「待て待て豆ちゃん、悪かったよ、捨てるのだけは勘弁してくれよん。」


涙を拭きながら千角が言った。


「ところで豆太郎君、鬼頭さんと言ったがその人は若い女性か?」

『う、あ、まあそうだ。少し前からケアハウスで女性を雇っていてな、

その人の姪御さんだ。』


二人は顔を合わせた。


「豆ちゃん、その人里奈ちゃんって言うんじゃね?」


豆太郎がしばらく沈黙する。


『……どうして知ってるんだ。』

「僕達が住んでいるアパートの隣の部屋に里奈ちゃんがいるよ。」


そして再び沈黙。


『まさかお前らが住んでいる所は鬼頭アパートか。』

「ああ、そうだ。それで俺達も驚いたよ。

ここの大家さんの鬼頭のおばさんがそこで働いてんだな。」








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