えらんてぃす





その街で昔から続いた商売が禁止されたのは第二次世界大戦後だ。

それから街は変わる。

今では当時をほうふつとさせる建物がごくわずか残っているだけで、

現在では後から建てられた建物ばかりになっていた。


「でも、ちょっと待て。なんだここは。」


八名商店がある一画に近づいた時だ。

薄黒いものがうごめくような気配がする。

八名商店がある辺りは建物は古く人気ひとけもない。


「なんか、良い感じじゃん。」


二人はうっすらと笑う。

そうなのだ、二人は鬼なのだ。

禍々しい気配は彼等にとっては爽やかなそよ風のようなものなのだ。


だが、人に対しては決して良い状況ではない。

その辺りを見ると所々にゴミが落ちていたり、

家の入り口にスプレーで落書きがしてあった。


それらはまだ目立った感じではない。

だが見るとあるのだ。

今はその程度だが綻びは必ず悪化する。

そしてそれは犯罪や悪人を呼ぶ。

まともな人は逃げだし住んでいる人達も変わっていく。


「スラム街と言う程ではないが、わりとすぐ変わるだろうね。」

「ああ、変わり出したら早いだろうな。

なんか色々と溜まってる感じだな、おもしろそー。」


彼等はそこから少し離れた所をぶらぶらと歩いていた。

すると一軒の古い喫茶店が目に入った。

木造の家で少しばかり汚れた緑色の小さなテントがある。

店の前には柊南天の木が植えてあった。


「えらんていす。」


入り口に「えらんていす」と小さめの看板があった。

一角がそれを読んだ。

そこには可愛らしい鬼の木造りの小さなお面が

飾りとしてついていたのだ。


「鬼かあ、なんか良いよな、入ろうぜ。」


千角が誘った。

ドアを開けるとからからとベルが音を立てた。

室内は少々薄暗くいくつかのテーブル席とカウンターがあり、

その中に着物を着た白髪の女性がいた。


「いらっしゃい。」


背筋をぴんと伸ばしきりっとした様子だ。

年齢は70は過ぎているだろうか。


「ブレンド二つお願いします。」


カウンター席に座った一角が言う。


「あいよ。」


彼女は慣れた手つきで用意を始めた。

着物の袖は襷でまとめられている。

サイフォンに豆が入りお湯が音を立て始めた。

慌てず丁寧に、その手際はお茶をたてるお点前の様に美しかった。


「綺麗だなあ……。」


一角が思わず呟いた。

するとそれが聞こえたのか女性は彼を見て微笑んだ。

一角ははっとして顔を赤くする。


「ありがたいねえ、こんな若い兄さんに綺麗と言われるなんて。」

「す、すみません、つい。」

「つい、だなんて余計嬉しいよ。」


彼女はカウンターの後ろにある棚からカップを選んだ。

そこにはさまざまな種類のカップがある。

それを綺麗に拭き上げお湯で温めてコーヒーを淹れた。


「おばちゃん、美味いよ、このコーヒー。」


千角が一口飲んで言った。

彼のコーヒーカップは赤地に金色が所々に散っている。

一角も飲む。


「う、深い。」


彼のカップは濃く美しい青色だ。

カウンター越しにそれを見ていた女性がにんまりと笑った。


美味うまいか、そうか。」

「うん、すごく美味おいしいよ、おばちゃん。

一角が入れたコーヒーと全然違う。」


千角がちらりと一角を見ると彼女も一角を見た。


「千角、おばちゃんは失礼だぞ。」

「え、だってなんて言えばいいんだよ。」

「えらのママで良いよ。みんなそう呼んでるから。

あんた達は一角と千角と言うのかい?」

「うん、そうだよ、俺は千角、こちらの眼鏡でネクタイは一角。」

「そうかい、千角はド派手の極彩色で、

一角はきっちりクールタイプだな。二人とも個性的で粋だねえ。」


白髪の女性、えらのママは言った。


「ところで一角もコーヒーを淹れるのか。」

「そうなんだよ、一角は最近コーヒーに凝っていてさ、

それが苦いのなんのって。

砂糖を入れても苦すぎて飲めないんだよ。」

「焙煎もやっているよ、

一粒単位で調整しているんだけど……。」


ママが豆を出す。


「まあ好みもあるけど炒るんならほどほどにしないと。

豆を挽くのもあまり細かいと苦みが出る。」

「で、ブレンドはどうしてるんですか。」


ママがにやりと笑って首を横に振った。


「それは教えられないね、

ここで50年ぐらい店を出してるけど、

年季の入った秘伝だからね。

あんたも自分で研究して味を極めなさいよ。」


とママが笑う。

一角は苦笑いした。


「ところでさ、ママ、そこの街、八名商店とかあるあたりだけど、

なんか雰囲気変じゃね?」


えらのママがしかめ面になる。


「そうなのよ、あの辺りはちょっと前からお化け屋敷扱いだよ。

幽霊を見たと言う話もあってね。厄介事も増えちゃって物騒なんだよ。

まあ元々花街だから飲み屋とか多くて騒がしいは騒がしいんだけど、

昔は仏の八名さんっていてね、色々と仲裁してくれたり、

揉め事を解決してくれたんだよ。」

「仏の八名さん?」

「さっきあんたが言っていた八名商店の親父さんだよ。

昔は和服や小物を扱っていたんだけど、

10年ぐらい前に辞めちまったのよ。それから何だか得体が知れなくてねえ。

時々人が出入りしているみたいだけど。」


ママはため息をついた。


「私は着物が好きでね、昔から着てるんだけど

八名商店が扱わなくなってから不便になっちゃってさ。

八名さんとも仲良くしていたんだけどね。

どこかの施設に入ったと聞いたけど、生きていたらもう100歳近いはずだよ。」


えらのママが帯留めを見せる。

それは鬼の形をかたどったものだった。


「これも八名さんの所で買ったんだよ。私は鬼が好きなんだ。」

「だから看板にも鬼の面がついてるのか。」

「そうだよ、みんな鬼は怖がるけど可愛いもんだよ。」


一角と千角は顔を合わせた。


「変わってるだろ。

昔から私は変わり者と言われてるんだよ。天邪鬼だって。

だから鬼が好きなんだろうね。」


えらのママはそう言うと笑った。




やがて二人は喫茶店を出た。


「僕、もっと美味しいコーヒーを淹れられるよう頑張ります。」

「ああ、頑張んなさい。またおいでよ。」


どうも二人は気に入られたらしい。


「師匠だよ、僕には。」

「なかなか粋なおばちゃんだったなあ。」

「何か昔は水商売とかやっていたのかな、そんな感じだ。」


一角は胸元に手を当てて天を仰いだ。

千角もまんざらではなかったらしい。


「でもえらのママも言っていたけどやっぱり淀んでるんだな。」


二人は八名商店の方を見る。


「で、仏の八名さん、って、なんだか引っかかるな。」

「八名爺と八名さん、一緒だけど片方は仏だぜ。

鬼なのに仏って、鬼に失礼だよな。」

「まあそれは別として雄のサイコロだけど、

この街の淀みと関係ありそうだな。」

「そうだな、豆ちゃんが持っているサイコロがどうなっているか分からんが、

一度聞いてみるか。」








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