ライトノベルか、純文学か?

 そしてこの話題になる。

 純粋に正直な創作動機だけを議論するならば

「書きたいもの次第で自由に選べばいい」

 としか言いようがない話である。

 だが、それでは何の結論にもならない。


 そこで、

「どちらの表現方法が、読者にとってより魅力的か?」

 という、分け入れば分け入るほど微妙な問題に差し掛かる話になる。


 単純な読者数で議論するならば、ライトノベルに軍配が上がるだろう。だから、純文学は衰退ジャンル、みたいな話になるかもしれない。だがそれは一つの論点を見落としている。

「ライトノベルはクソ!」

 こう思う人間が存在している以上、

「ある種の人間にとっては、ライトノベルは魅力的ではない」

 これは明確な事実だ。


 そこで、小説作品の魅力とは何なのか、それを解体してみたいと思う。


 最初に挙げた前提、「小説は読者の人生を支えるためにある」がここで焦点となる。これは、「個々の人間が、何によって救われたと感じるか」ということでもある。

 ライトノベルは現実ではない。だから、現実ではないものによって読者を救う。

 純文学は現実を反映している。現実のある側面に光を当てることによって読者を救う。

 これには、「ドロドロの救い難い、地獄のような作品だってあるじゃないか」という異論が出るかもしれない。これはライトノベルと純文学、どちらにも存在している。

 実のところ、そのような小説の愛好者は、「絶望を叩きつけられることによって救われる」人間であることが多い。私もある程度その傾向がある。


 また、ライトノベルと純文学は完全に分類しきれるものではなく、境界を接しているものであることもこの議論から言える。

 既存のライトノベルの枠組みを採用しており、現実的ではない世界や人間関係が描かれていたとしても、物語のある要素は現実的なエモを鋭く反映している作品があるとすれば、それはライトノベルに分類されても、純文学的な性質を備えている。


 では、戦略として、小説家はライトノベルか純文学か、そのうちのどこを目指すべきなのか。

「作品によって支えたい読者のタイプを想定して、それに最も鋭くアプローチするような方法を考え、それに即した作品を書く」

 これが、本項の答えとなるだろう。

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