ライトノベルとは何か?

※ 2023/04/10 後の章のために若干改稿


 タイトルで挙げた以上は、このエッセイの著者がライトノベルとは何だと思っているのかをきちんと説明しなければならないだろう。ここではなるべく論点を絞って述べたいと思う。


・ライトノベルは欲望を肯定する


「心を生かすと書いて性」、そんな言葉は、創作を志したことのある人間なら、一度は聞いたことがあるかもしれない。誤解を恐れずに言えば、ライトノベルは性的なアイコンと深く結びついている。これは、何もどぎついエロを意味しているわけではない。つぶらな瞳の美少女が潤んだ目に頬を紅潮させて上目遣いで顔を覗き込んでくる、それも立派に性的なシチュエーションだ。あるいは、上背のある涼やかな容貌の美青年がヒロインを颯爽と助ける場面だって、性的パートナーとしての理想の姿を描いているという点では性的なシチュエーションだ。そして、ライトノベルにおいては、このような場面はしばしば、読者のバーチャルな願望を叶えるものとして提供される。

 それが悪いことだとか不道徳とか、そういう議論をする気はこのエッセイには毛頭ない。有史以前から人間は恋愛と性を主要な関心事に置いていて、だが最上の性や愛は常人にそうそう得られるものではない。そして、人間が不完全な現実を物語で補ってきたことも、おそらくは有史以前からの真実だ。

 だが、欲望は性的にだけ充足させられればいいわけではないということは、きちんと述べておかなければならないだろう。戦闘ロボットのパイロットとして白熱したバトルを戦い抜きその勝利者となるとか、政敵の卑劣な罠を機転で切り抜け智略を巡らせて華麗な逆転勝利を収めるとか、それらも立派に欲望であり、充足であろう。ライトノベルはそれらも肯定する。

 では、欲望の肯定はライトノベルだけのものなのか? 当然そうではないと言えるが、ライトノベルと純文学には、一つ大きな差異がある。それを以下の項目で述べたい。


・ライトノベルは現実的でなくても構わない


 純文学が対象としているのは生の、文字通りの現実だけではない。しかし、「現実的なもの」を強く志向しているのは事実である。美少女が上目遣いで見つめてくるとき、その美少女がアニメ的な作画だとしたら、少なくとも典型的な純文学とは言えないだろう。純文学は、その美少女の視線に、どこか深く現実に根差した核を求める。何を題材に書いていたとしても、

「現実の人間はどんな存在なのか」

あるいは

「現実の世界はどんな世界なのか」

という視点が存在しているのが純文学の特徴と言えるかもしれない。現実に反するものを描いていても、そこには裏返しとしての現実が存在している。

 この鋭い現実感覚は、読者を救いもするが傷つけもする。

 ライトノベルには、「何らかの意味で現実を反映しているべき」というルールはなく、現実性に対して、あるいは現実の規範に対して忠実である必要はない。

 男子高校生が二人の美少女と共同生活を始めて、同時に恋愛関係になる話は、現実では二人の間の競争心や嫉妬心、社会規範から外れる問題、あるいは憎悪への発展を考えなければならない。そして純文学は何らかの形でそれらの現実を反映するが、ライトノベルにはその必要はない。

「現実的でなくても構わない」というのは、論じるとすればこんなところになるかと思う。

 ただし、この現実性の議論には抜けがある。古典的なファンタジー作品、中世の騎士道物語や、あるいは源氏物語などを分けることができないのだ。古典作品が描かれた当時にはある種の現実を反映していたとしても、現代を生きる我々には関係がない。また、ライトノベルとは異なるジャンルで、ハーレクイン小説なども、以上の基準からは弁別できない。これを弁別するための、新たな基準を以下に挙げたい。


・ライトノベルはハイコンテクストであり、かつ、そのコンテクストが社会的に規定された様式に従っている


 エルフやドワーフ、人間や小人族が冒険者ギルドに集い、各自の魔法や剣のスキルを生かして迷宮の攻略を目指してパーティを組む物語は、ライトノベルのジャンルとしては古典に当たるかもしれない。これは、古くはJ. R. R.トールキンがその創作の中で作り上げた種族設定に、ウィザードリィやD&DらRPGが味付けをし、さらに日本に輸入されて「ラノベ的な」文脈が付加されたものが、現代日本でライトノベルが書かれる際にしばしば採用される枠組みだ。これらは全てコンテクストである。

 異世界転生小説は非常なハイコンテクストだ。「現代日本で冴えない人生を送ってきた人物が、死んだあと、別の世界の別人として蘇って、その能力を生かして活躍する」、その枠組みに上記のRPG的なコンテクストが加わったりする。

 ライトノベルにおける、より微妙なコンテクストもある。「超能力犯罪が流行する近未来の社会で、それらに対抗するために集められた少年少女が、理不尽でもある組織のルールに縛られながら謎の存在と戦っていく」こんなコンテクストは、上の例に比べるとある程度弱いコンテクストと言えるが、それでもライトノベル作品においては典型的なコンテクストの一つだ。

 少し外れた話では、ライトノベルにおける擬音語表現もコンテクストだ。


 グオオオオオオオオオオオ!


 こう書かれていたら、巨大な怪物が咆哮を上げる場面が自然に想像できる。これはライトノベルの読者が、漫画の擬音語表現を前提として理解していて、文章そのもののみならず、コンテクストを参照して理解しているからだ。


 以上の例に共通する話として、コンテクストとは「物語を理解するために読者に共有されているべき前提」である。

 コンテクストが存在する利点は、「いちいち詳しい説明をしなくても、物語の枠組みを読者に理解してもらえる」ことである。そのため、ライトノベルのコンテクストに従って書かれていると、それ以上の説明をしなくても読者はライトノベルとして理解してくれる。そして、ライトノベルには、「話を分かりやすくするためのコンテクスト」が採用されていることが多い。


 ライトノベル以外にも特定の小説ジャンルでのコンテクストは存在しており、昔のSF作品や、クトゥルフ神話を題材にした小説はコンテクストが多い。しかし、「ライトノベルとしてすでに一般に受け入れられていれるコンテクスト」ではないため、コンテクストが存在するだけではライトノベルとは見做されない。


 源氏物語は現代ラノベのハーレム型恋愛小説のコンテクストには拠っていないし、騎士道物語は一種のコンテクストとは言えるかもしれないが、ライトノベルのコンテクストとして我々が受け取っているものとは異なっている。


 またこのコンテクストの問題は、本格ファンタジーとライトノベルの境界にも関係がある。J.R.R.トールキンが指輪物語を描いた時にはあのエルフやあのドワーフの登場するファンタジー作品のコンテクストは存在しなかった。また、ル=グウィンは全く違う、オリジナルのファンタジー世界を作り上げた。これらは本格ファンタジーと見做されており、ライトノベルとは見做されない。


 話が雑駁になってしまったが、『欲望の肯定』『現実的でなくても構わない』『コンテクスト』、この三点がライトノベルの特徴と言えるだろう。

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