モア・コンテクスト 〜本格ファンタジーと非本格ファンタジー〜

※ 2023/04/10 追加


 などという文章を書いていたら、その後「本格ファンタジーとなろう系」の話で界隈がさらに炎上している。勘弁してくれ。勘弁してくれと言いながら、個人的にスッキリするためにその議論もするのがこのエッセイである。この節では例外的に引用なども駆使して、その境界を見極める。


 表題の議論をするためには、まず、「ファンタジーとは何なのか」という定義の確認から入る必要があるだろう。


 ファンタジーの原義。幻想、空想。現実とは異なる物事をあたかも存在するかのように思い描き、そのための想像力をさまざまに働かせること、というのは共通認識としていいだろう。


 では、想像力の限界に挑戦するとどうなるのか?


 有名なところでは、カフカの『変身』があるだろう。

 グレゴール・ザムザは巨大な虫に変身し、その結果起きる人生の苦難に直面する。

 現実の人間は虫に変身しないので、これは幻想だ。

 カフカには他にも、現実には起き得ない様々の事象を題材にした魅力的な短編小説が多数存在する。


 あるいは、ロートレアモン伯爵の『マルドロールの歌』。

「解剖台の上のミシンと蝙蝠傘の偶然の出会いのように美しい」

 この有名な一説がよく引用される散文詩は、その強烈な感性の表出によって、シュルレアリスム運動に影響を与えたと言われている。


 しかし『変身』は、ファンタジー小説とは見做されず、実存主義的不条理小説と紹介される。

『マルドロールの歌』は、散文詩であるために小説とはいろいろと事情が異なるが、ファンタジー小説的なものとは明らかに違うジャンルとして解釈される。

 ではなぜ、この二作品をこの節で紹介したのか?

「コンテクストを使用せず、想像力の限界に挑戦すると、どういう感じになるのか」を議論するためだ。

 これらは想像力を刺激される一方で、本格・非本格によらず、いわゆるファンタジー小説のような冒険活劇の快感や、登場人物への愛着を覚えることは難しい。

 ライトノベルの読者の中には、単純に「無理」と投げ出す人も多いかもしれない。これらの作品が提供するものは、彼ら読者が小説に期待するものとはまるで異なっているので無理もないことだと思う。


 これらの作品といわゆるファンタジー小説の間には、広義の幻想文学と呼ばれる文学作品群の広大な平野が存在している。稲垣足穂、坂口安吾、エンデ、ボルヘス、ガルシア=マルケスなどなど。カルヴィーノ『宿命の交わる城』、ウンベルト・エーコ『バウドリーノ』などになるとかなり近づいてくる、がまだ何かが違う。


 ここで再度、あの小説の名前を上げる必要が出てくる。

 トールキン『指輪物語』。

 壮大な中世的・神話的世界観を構築し、強大な力を持つ一つの指輪をめぐる、様々な種族と闇の勢力の戦いを描いた小説だ。この作品はファンタジー小説の古典として讃えられ、また数々のRPG的なファンタジー世界観の底本となっている。

 いわゆる「ファンタジー小説」はこの系譜にある、あるいはこの作品に典型的なスタイルと共通のスタイルで書かれる。ヒロイック・ファンタジーと言い換えるとよりわかりやすいかもしれない。特徴としては、


・中世的あるいは神話的な舞台で、剣と魔法、ドラゴンなどの共通モチーフを使いつつ、架空の世界を作り込んで、作品の主要なテーマと絡めて提示する

・英雄的な登場人物の人生をごく具体的に描き、境遇の変転や、それから来る素朴な情動変化によって、読者に共感を引き起こす


という点が挙げられる。

 非西欧系ファンタジーや中華風ファンタジー、あるいは個別の小説設定次第では、ドラゴンが存在しなかったり、魔法が呪法に変わったりとモチーフが変わるという点はあるが、上記の特徴は共通している。


 実際のところ、ファンタジー系のライトノベルもこの系譜にある。

 主な違いは、「独自の世界観を作り込むかどうか」という点がある。

 多くのライトノベルは、トールキン世界にゲーム的な味付けを重ねた、ドワーフやエルフが存在する剣と魔法の世界を採用する。あるいは、魔法設定や種族設定などで独自性を出しつつも、大筋では既存の設定を説明なしに利用したりする。

 なろう系になるとさらに異世界転生やら追放系やらハーレムやら、細かい分類次第で物語形式に強い傾向が生まれるが、それらはしばしば世界観に組み込まれているものとして、説明なしに利用される。


 ここまで述べて、初めて本格ファンタジーと非本格ファンタジーの違いが明確に出る。

 本格ファンタジーは独自世界観の提示によって想像力を刺激する一方、登場人物同士の人間関係は、比較するとやや単純、かつストイックになる傾向がある。

 非本格ファンタジーは、既存世界観や物語形式をできる限り利用し、「そこで起きること」、特に恋の鞘当てやざまぁ、お色気ハプニングなど、クセの強い形式を持ちつつ強い情動を引き起こす人間関係的な物事にフォーカスする。

 その他の面ではこの二つのジャンルは非常に似通っている。実際のところ、本格ファンタジーもかなりのハイコンテクストだ。非本格ファンタジーのコンテクストを100とすると、いわゆる本格ファンタジーのコンテクストは10〜30ぐらい、もっと広義の幻想文学は場合によるが、1ということもありえる……というのは批評としてはあまりに客観性に欠けるだろうが、こんなイメージを持つとわかりやすいだろう。


 争いが起きやすいのは、「ある面では非常に似通っていながら、好みが明確に分かれる」ジャンル同士の間だ。独自世界観の構築を好み説明なしの物語形式採用や人間関係ハプニングに惹かれない人々は非本格ファンタジーを受け入れないし、人間関係ハプニングに惹かれ小難しい世界観語りを好まない人々は本格ファンタジーを受け入れない。

 だが自由な作者の立場としては、どちらかを称揚しどちらかを棄却する絶対的な必要性はない。ラノベ的世界観をベースにしつつ、ある程度の独自世界観を提示し、ざまぁ要素はありつつもざまぁ成立で物語を終わらせず予想外の結末に導くなど、戦略は様々だ。


 同時に、作者の動機として「これはしたいがあれはしたくない」というこだわりがあることも現実だ。それには作者それぞれで理論化された様々な理由があることだろう。

 だが、その根幹にある動機付けは、前提で述べた好き嫌いの問題に関わってくる。それは純粋に主観であるが、同時に個々にとっての切実な真実だ。

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