オーブンと暖炉・7
「あなたの思考パターンは分からないわ。あや取りをするみたいにものを考える人ね」
「精神は複数コピーされ、クローン体は複数存在していたでしょうか? ぼくはいなかったと考えています。それは叔父のツクバ・ヒロトが聞いた通りだった」
「ふりだしですね」
「ところがそうでもない。仮説第3は、ホソミ・ナツヒコという人間が後になって新たに創造された、というものです」
「……どういうこと?」プリティヴィは机の上で腕を組んで、体を前のめりにした。
「事件の後にナツヒコを見たのは、バーのマスターですが、彼が見たのが本人だったのかどうか。つまり簡潔に言えば、事件の後に見られたナツヒコは、あなたではなかったのか、ということですよ。プリティヴィ。あなたは、このAEで唯一外見を欺くことの出来る存在らしい」
プリティヴィは目を見開いて、両手をハングアップして見せた。ぼくはその動作が面白くて、また笑ってしまった。
「私が? まさか!」
「この可能性は考えるに値する仮説でしょうか? もしそうなら、爆破事件はプリティヴィ、あなたの差し金ということになる。しかし、あなたは事件の捜査をぼくにしました。これは明らかに矛盾した行為だ」
「だって、私じゃないもの」
プリティヴィは手を腰に遣って、困ったような、怒ったような表情をした。
「そのようです。ところで、これはいま話をしていて考え付いたことなのですが、いえ、世間話程度に聞いて下さい。あなたがナツヒコの体を使って実験していたというのは、まさにテセウスの船なのではないですか? ナツヒコが自己の同一性を保ったまま普通に生活出来れば、実験は成功だったのではないですか? つまり、あなたが作りたかったのは、パーツを取り換えながら永遠に生きる人間を創ることだったのではないですか?」
通常人間は老化し、寿命を迎える。21世紀が終わろうという現在になってもその本質的な理由は分かっていないけど、DNAのコピーの限界、つまりヘイフリック限界などが一因として重要視されている。しかし、細胞分裂を、DNAの複製を必要としない体であれば、どうか。より具体的に言えば、無機の、金属製のパーツ由来の機械装置に体を置き換えれば、どうか。
プリティヴィは、笑った。肩を震わせて目を細め、声を出して笑った。それを見ているとこちらまで可笑しくなって、ぼくはささやかに微笑を浮かべてしまった。
「そうよ。そう。よく、その答えに辿り着いたわね、マヤ・シンヤ。あなた、カイザに入らない? そうしたら、もう暫くお話出来る。それか、インドにいらしてもいいのよ?」
「残念ですが、プリティヴィ。ぼくはもう暫く日本にいなければなりません。大学を出た後のことも、そろそろ考えなければならないとは思っていますが」
「そう……。惜しいけど、もう、時間のようね」
そう言うと、プリティヴィは立ち上がってぼくの元へ歩み寄った。ぼくも立ち上がる。プリティヴィは手を差し出してきた。ぼくはそれに応え、握手をする。その手からぼくは、確かに体温を感じた。
「欧米的な習慣ですね」
「いいえ、これは私が信頼出来ると感じた相手だけとだけ結ぶ、実際的な挨拶です。また会いましょう、マヤ・シンヤ。あなたとの会話はとても刺激的だったわ」
「こちらこそ、お会い出来て光栄でした。今度はもっと、爽やかにお誘いしてください。手紙とか、メールとか」
「ええ、この度はすみませんでした。私はもっとジェントルにお誘いするべきと思っていたのよ」
視界にベルンハルトが入ってきた。ベルンハルトは入って来たドアを開けて、プリティヴィを待つ。プリティヴィはぼくの手を離してその手を振り、開けられたドアの向こうへ歩いていった。一度もこちらを振り返りはしなかった。ベルンハルトは何も喋らずに、プリティヴィに続いて部屋から出て行った。
ドアは閉められ、ぼくは一人になった。
なんだか、急激に疲れた。
ぼくは椅子に座り、深く息を吸って、吐いた。
2分ほどもそのまま動かずテーブルの木目を見ていた。
「マヤさん! マヤさん! 生きてますか!」
壁の向こうから聞いたことのある声が聞こえてきた。アマミヤの声だった。懐かしい声だ、とぼくが思っていると、プリティヴィたちの出て行ったドアが急に大きく開いて、拳銃を構えたアマミヤが突入して来た。AEでアマミヤを見るのは初めてだ。アマミヤは座っているぼくを見て、肩を下ろした。
「生きてた……」
「生きてるさ。多分、生きてるんだろうな」
「心配しましたよ。この家、シールドが張られていて外から何も出来ないんですから」
ぼくは立ち上がって、アマミヤに手を差し出した。アマミヤは目を丸くして、その手を握る。
「なあ、ぼくは、生きているのかな。このAEでも、生きていると言えるんだろうか?」
「変な気を起こさないでください。この握手は何ですか」
「何でもないさ」
「変なの」
「君、また俺の家に勝手に入ったの?」
「ですから、あの家はセキュリティが甘すぎます」
「まぁ、いいか。それより、帰って紅茶でも飲もう。何だか、疲れたよ」
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