オーブンと暖炉・6

「あなたの思考は本当に飛躍していますね。そう、私たちはそう考えています」

 ぼくは視線を机の上に落として、机の木目に向かって長く息を吹きかけた。

「本当に、ナツヒコの無機型ビヘルタを設計したのは、あなたなのですか?」

「ええ。私はまだ、実生活に投入するのは早いと考えていました。しかし、カガミ博士はそうは考えなかったようです」

「それで、ナツヒコが高校を卒業するタイミングになった、か」

「ええ、そうです」

「ナツヒコが定期的にカイザ・ジャパンの実験施設を訪れていたというのは、データを取る為ですね?」

「パーツを交換することもしていました。まだ実験途中でしたから、私はより良いものを作ろうとしていました。彼は最初に新型無機型ビヘルタに乗り換えた後、16回カイザ・ジャパンの実験施設を訪れ、結果的に全身のパーツを入れ替えました」

「全身? それじゃ、精神格納装置も?」

「ええ。私たちの技術を使えば、それも可能でした。精神格納装置といっても、様々なパーツの集合体に過ぎません。少しずつ脳細胞を入れ替える手術をするように処置すれば、可能でした」

「同一性はどうなります? それじゃまるで、テセウスの船だ」

 テセウスの船という思考実験は、一つの船のパーツを少しずつ入れ替えていって、結果的に全てのパーツを入れ替えたら、それは同じ船か、というものだった。かつて何かの本で読んだことがあったのだ。

「ええ、しかし、意識は連続していました」

「意識は、手術中は途切れるはずです。ナツヒコは自己の同一性を疑わなかったのですか?」

「彼はその問題について、少しだけ悩みを持ったようでした。しかし、彼は彼なりの答えを出したようでした。しかし私は彼の出した答えについて、詳しい知見を持っていません」


 少しの間、ぼくは言葉を探して黙っていた。プリティヴィのほうも黙ったまま背筋を伸ばして座っていて、ベルンハルトはまだ暖炉の前で起立していた。


「マヤさん。私たちには時間がありません。答えを伺ってもいい?」

「ぼくの頭の中にあった仮説を聞いてもらっていいですか?」

「ええ、構いません。でも、出来るだけ短くね」

「まとまっていないのですが、話し始めます。いまから話す可能性は、すべてホソミ・ナツヒコという人間が複数存在するという仮説です。なぜなら、爆破事件で死んだらしいナツヒコを、事件の後で目撃した人間が、AE上に存在しているからです」

「AE上の姿は、現実リアルに由来するものです。そして、他者のアカウントでログインすることは出来ない」

「そうらしいですね。だったら、まったく同じ人間の、まったく同じアカウントが二つ存在していたと考えるしかない」

「そんなこと、私が見落とさないと思うけど……」

「しかし、そんな状況は、開発段階で想定されていなかった。二人は一卵性双生児どころではなく、同じDNAを持った人間だった」

「面白い話ね」

「まず、仮説第1は、焼却処分されたはずの有機ビヘルタの精神格納装置が、残されていた可能性です。しかしこれはありえません。なぜなら、デジタルデータの精神はコピー出来ないからです。精神格納装置は、無機型に移ったはず。なので、この仮説は間違っているか、不十分です」

 プリティヴィはぼくの話に頷く。

「次に、仮説第2です。それは、有機ビヘルタ、つまりクローン体がもう一つあったというものです。この為にはまず、ナツヒコが生まれたときに、クローン体を二つ作る必要があります。もちろん二つである必要はありません。三つでも四つでもいいが、いまは二つと言っておきます。有機ビヘルタには、オリジナルの肉体から精神をコピーする必要がある。しかし、精神をコピーしたのは、遅くても高校3年の4月、病院襲撃事件が起こるまでです。その後ではありえない。なぜなら、ナツヒコは脳を銃撃されて死んでいたからです。しかし実際精神はコピーされていた。ならそのタイミングで二つコピーするのはどうか? この仮説は無機ビヘルタでも使えます。つまり、本体が生きている間に、2度以上精神をコピーした、というものです。定期的に精神をコピーしていたことになるかもしれない。では、ビヘルタは二つ以上あったでしょうか?」

「無かったと聞いているわ」

「僕もそう思います。なぜなら、通常ビヘルタは、一時的に精神を格納するものだからです。しかし、ナツヒコのクローンを作る計画があったとしたら?」

「もしそうなら、18歳の病院襲撃事件の直前に、その計画によるクローンは目覚めたということになります」

「そう。つまり、どちらにせよ、なぜ、そして、いつ精神がコピーされたかという問題になる。それは恐らく、記憶の問題から言って、病院襲撃事件直前という可能性が高い」

「病院襲撃犯の仲間が、冬麻記念病院に潜入していて、情報を流していたというの?」

「一旦そう考えて話を進めます。どうやらナツヒコは、高校3年の間にトウマからカイザに鞍替えしたらしい。何か、接触があったのでしょう。そして、病院襲撃事件が仮にカイザによるものだったとしたら? クローンのナツヒコは、自分のオリジナルを殺した相手のほうに鞍替えしたことになります。なぜか。クローン体が表に出られるようになったからでは? この考えを基にすると、クローン体の意識はオリジナルが生きていたときから連続していたことになります」

「クローンが堂々と生きられるようにしたから、という動機ね?」

「そうです。そして、もしそうだとしたら、クローン体が複数あったというのは不合理ではありませんか? 仮にクローンが仮に2体だったとしたら、その片方は存在しない筈の存在なのですから」

「微妙な推理ね。まぁいいわ。続けて」


「他の考え方をしてみましょう。なぜ、ナツヒコの精神はコピーされていたのか。それは、本体を殺すことに目的があった。既に意識を獲得していたクローン体を引き抜く為です」

「ホソミ・ナツヒコの存在を抹消する為ではなく?」

「仮に襲撃者の仲間がトウマにスパイ行為をしていたのだとしたら、クローン体に気付いていないということありえない。なぜなら、襲撃事件のタイミングが良すぎるからです。逆に言うと、精神を格納済みの格納装置があったということは、もうすぐクローン体を目覚めさせようとしていたからでは?」

「定期的に精神のバックアップが取ってあっただけかも知れない、とあなたがさっき言ったわ」

「そうかもしれません。では、そう考えてみましょう。バックアップを取って、本体のもしものときに備えていた。では、クローンはどうでしょうか」

「沢山備えていたかもしれない」

「もちろんそうです。オリジナルが死んでしまえば、精神はコピー出来なくなる。生きているうちに沢山コピーしておいて、沢山のクローンを作った? なら、結局、現時点でナツヒコのクローン体は複数体存在しているのでしょうか? この世で生活していたホソミ・ナツヒコという人間は一人であったのに」

「違法な手段を取れば、不可能ではないでしょう」

「ではなぜ、ホソミ・ナツヒコとして生きていた有機ビヘルタは、無機ビヘルタに乗り換えることにしたのでしょう。他の有機ビヘルタから差を付ける為でしょうか? いえ、それは、カイザからの頼みでした。そして、有機ビヘルタは、無機ビヘルタに精神格納装置を入れ替えた。たった一人だけ」

「他にクローン体がいれば、黙ってないというのですか?」

「それが爆破事件の真相でしょうか? それにしては、無機ビヘルタにしてから時間が経ちすぎています。結局、ホソミ・ナツヒコとして生きていられるのは、1体のクローン体だけなのです」

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